「凡人」メルカリCEOの山田進太郎の周囲にはなぜ優秀な人材が集まってくるのか

文春オンライン / 2019年6月13日 6時0分

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「ジャックナイフみたいだった」メルカリCEO山田進太郎を変えた出会い から続く

 大学の卒業は2000年3月。そこからメルカリの前身となる会社を設立する2013年2月まで、13年もの月日が流れている。

暗中模索の13年

 山田は卒業後にウノウという会社を起業しているが、実態はウェブ制作の受託や、「映画生活」の運用を細々と続ける個人商店。良く言えばマイペースに時を待つ、悪く言えば暗中模索の日々が数年続く。

 ここからのストーリーは、筆者が描いたものも含め、すでに多くの言説が残されているため割愛するが、要するに山田は、自分が何者になればいいのか分からず、フリーランスとして細々と生計を立てながら自分探しを続けていた。

 一方で、米国への憧れが拭えず、グリーンカード(永住権)の抽選を一発で当てると、2004年に渡米。現地で知り合った50歳代の米国人女性と意気投合し、サンフランシスコ近郊で日本食レストランを開こうと企て、オープンが間近に迫った時、山田はこう思い至った。

「おばさんに、『あなたは店に立ちなさい』と言われて、ああ、僕は目の前のお客さんを相手にするよりも、インターネットで世界中の数千万人、数億人にサービスを提供する可能性を追求したいって思えた」

 その年の暮れに帰国した山田は、ウノウをベースに人を雇い、本格的な起業時代へと突入。「映画生活」の他、写真共有サイト「フォト蔵」を手がけるなど、次第に会社としての体が整っていった。

 結果としてウノウは2009年に公開した携帯電話向けの無料ゲーム「まちつく!」が500万ユーザーを超えるヒットとなり、2010年に会社ごと米ゲーム大手のジンガに売却。山田は個人としても数億円の売却益を手に入れ、成功を収めた。

ウノウは、僕にとって「黒歴史」

 しかし、当の本人はウノウ時代の実績には必ずしも満足していない。

「ウノウは僕にとっては挫折なんですけどね。僕が発案してエンジニアと一緒に色んなサービスを作って出してみたけれど上手くいかないことが続いて、人が辞めていったり。その過程は、本当に僕にとって黒歴史的な感じなんです」

 米社へ売却したのは、「イグジット(投資回収)」ではなく、ウノウのゲームを世界に届けるためだった。だから山田は買収されたウノウに留まったが、結局は米国流の経営に馴染めず、辞めてしまう。富は手にしたが心は満たされないまま、2012年、世界一周の旅に出た。

フリマアプリを発想するきっかけになったボリビアの旅

 ボリビアではウユニ塩湖を経由してチリに抜けるツアーに参加した。チャーターしたトラックを運転するガイドの男性が5歳くらいの子供を連れていた。インドのバラナシでは鉄道駅で子供たちが必死にチャイを売り、他方では物乞いをしていた。

「意外と人間って生まれた国や環境に縛られてしまうんだな」「自分はこんなに恵まれているのに何もしないのか」――。

 山田の中に燻っていた何かが弾けた。旅を終え、日本に帰ると、スマホで簡単にモノを売り買いできるフリマアプリが注目されていた。

「旅で出会ったような人たちがどうすれば豊かになるんだろうな、っていうのは帰国してからも結構考えていて。そういう中でフリマアプリを見た時、これこそ新興国にあったらめっちゃ便利じゃん! ってすごく思ったのを覚えています」

 帰国から4カ月後に会社を設立し、その5カ月後には最初のアプリを配信。それが、今のメルカリである。

人を惹き付ける特殊能力

 かつて熱狂の渦にいたベンチャー群とは何が違うのか。なぜ、時間がかかったのか。山田に聞いた。

「起業ありきじゃなくて、やりたいことをやるために起業するみたいな逆算なんですよね。そこは結構違いを感じているというか、時間がかかった要因なのかなと」

「リーダーシップやマネジメントも、会社経営と大学のサークルとでは話が違いますよね。もっと上手くやりたかったけれど、先輩たちほど才能もセンスもないので、自分のスタイルを確立するまで時間がかかっちゃったという」

 だが、それで良かった。

 かつてのネットベンチャーの先達は世界への挑戦権を失い、今はメルカリが国産サービスの急先鋒となっている。時価総額も、多くのベンチャーを抜き去った。

 山田は周囲に踊らされず、焦らず、マイペースで自らの山を見つける旅に出かけることができた。理想的なビジネスや組織作りに拘泥することができたのだ。

 凡人の自覚とルサンチマンからの脱却は、山田にある能力ももたらした。博報堂DYホールディングスの子会社、アイレップで取締役CMOを務め、大学時代から山田と交流のある北爪宏彰は、山田をこう評する。

「進太郎は人を惹き付ける特殊能力があるからなぁ」

 極めて頭脳明晰で切れ味が鋭いタイプでも、カリスマ性が備わっていたわけでもない。だが、彼の周囲にはいつも優秀でモチベーションの高い人間が取り巻いている。その不思議さを表現した言葉だ。

「進太郎は自分より優秀な部分がある人を遠慮なく誘う。ある種、無私というか、私心がないというか。だから惹かれちゃうんですかね」

 そう見立てる前出の矢嶋自身も、特殊能力にほだされた一人だ。

 実は、彼は現在、メルカリの広報責任者として、山田を支える立場にある。前職はLINEの広報責任者。2016年のLINE上場を見守った翌年、「大きな組織ではなく、スタートアップで自分の力を試したい」と、あてもなく退社を決めた。

 すると、初めて山田から「一緒にやらないか」と誘われた。「もうメルカリは大きい。出来上がっている」と固辞したものの、山田は必死にビジョンを語り、まだ道半ばであることを強調。その熱烈なアピールに根負けし、メルカリに入ることを決めた。

インターネット株式会社

 広報の要である矢嶋を引き抜かれた格好のLINE。だが、そこに軋轢はない。関係は良好だ。矢嶋の元上司にあたり、LINEの生みの親でもあるLINE取締役CSMOの舛田淳も早稲田大学出身。山田の一つ下の後輩で、当時から旧知の仲。今でも飲みに行く間柄だ。今年3月には、競合するキャッシュレス決済事業で戦略的業務提携を発表した。

 舛田だけじゃない。山田がフェイスブックに投稿する写真には、いつも名だたるネット企業の幹部が山田の周囲で笑っている。それも特殊能力が為せる技か。山田は言う。

「自分の中では、あまり競合だという意識はないというか、『インターネット株式会社』っていう感覚。みんな立派な会社だし、そこを優秀な人材が部署異動しているようなものだと思っていて」

「僕は日本が好きだし、日本的な良さを、もっと世界に知ってもらいたい。だから日本の中で戦っても意味ないというか、みんなで日本のインターネット産業を強くしていけばいいし、いつも何か一緒にやりたいね、という話をしていますね」

 ポーズでもポジショントークでもなく、本音と思わせる実直さが山田にはある。鬱々としていた時代の話も含め、ここまで外連味(けれんみ)なく記者に内面を晒す経営者は稀有だろう。

 山田の凡人感と、メルカリの超越感は一見、アンビバレントに見えるが、実は相対するものではなく、因果関係にある。その陰には長いもがきの歴史があった。

 そして今も山田は米国市場の開拓で、もがき続けている。旅路はまだ当分終わりそうにもない。

(文中敬称略)

(井上 理/文藝春秋 2019年6月号)

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