「とてもかわいらしい方ですね」天皇が抱いた第一印象と、雅子さまの使命感

文春オンライン / 2019年7月15日 5時30分

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トルコ大統領が来日 天皇皇后両陛下と面会 ©AFLO

令和の皇后となられ、ご成婚時の輝くような笑顔を、取り戻されつつある雅子さま。
新皇后の半生を徹底取材した決定版『 皇后雅子さま物語 』(文春文庫)から、新皇后の「あゆみ」を特別公開します。 

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天皇陛下と雅子さまとの出会い

 ショートヘアにイヤリングを付け、光沢のあるワンピースを着た雅子さんは、東宮御所の受付に置かれた芳名帳の恆さんの名前の左側に、「雅子」と書いた。東宮側の招待客リストには送付した夫妻の名前だけで、同伴家族の名前はなかったため手書きで加えられたのだった。

 1986年(昭和61年)10月18日土曜日の午後3時。スペインのカルロス国王の長女・エレナ王女の歓迎パーティのお茶会には、120人近くが招待されていた。受付をすませて、真っ直ぐ行くと左手に談話室がある。隣の大食堂とは普段、可動式の壁で区切られているが、この日は壁が取り払われ二間続きになっていた。部屋は庭に面しており、窓が開放され、招待客は庭にも溢れている。賑やかな談笑に寄り添うように、ベルの音が印象的に響くクラシック音楽が流れていた。秋の柔らかな日差しが室内にそっと差し込んでいる。

「お后候補」として推薦されての”出会いのパーティー”

 会場には既に、皇族と交流のある学者、宮内庁・外務省職員、スペイン国関係者などの姿があった。恆さんと同じように家族同伴で来ている人たちもいて、年頃の女性が40人ほど、中には着物姿の人もいたという。彼女たちもまた徳仁親王殿下(浩宮)との自然な出会いを期待されていた。

 パーティはカジュアルな雰囲気で、平服の装いに飲み物と軽食が用意された立食スタイルだった。雅子さんが招待客の人数に圧倒されながらも奥に進み、オレンジジュースを手にした時だった。声を掛けてきたのは、中川融氏だった。宮内庁から依頼を受けた中川氏が、雅子さんを浩宮のお妃候補として正式に推薦したのが3カ月前のことだったのはすでに述べた。ようやくこの日、浩宮と雅子さんは初めて会う。中川氏や安嶋彌(ひさし)東宮大夫は、二人の出会いに大きな期待を寄せていた。

 恆さんと雅子さんはそういった意味のあるパーティであることなど、知る由もなかった。生前の取材で中川氏はこう語っていた。

「恆さんは、雅子さんが外交官になったことよりも、社会に羽ばたこうとしている成長ぶりの方が親として嬉しかったのでしょう。言葉に出すことはありませんでしたが、雅子さんとの会話や雰囲気などから喜びがにじみ出ていました。そんな状況の中で、雅子さんがお妃候補のひとりだったとは、想像もしていなかったと思います」

 エレナ王女が浩宮にエスコートされ、パーティの会場に到着すると、招待客から一斉に拍手がまきおこった。雅子さんは緊張した。同じ年頃の王女の美しさと浩宮の存在感に魅入られたのではないだろうか。

「合格して良かったですね」お礼で精いっぱいだった雅子さま

 浩宮が来客に順番に声を掛けられている。いよいよ恆さんと雅子さんの番になった。恆さんから雅子さんが外交官試験に受かったことを聞くと、浩宮は次のように語った。

「合格して良かったですね」「どんな外交官になりたいですか」

 雅子さんは外交の理想を少し話したそうだ。雅子さんの緊張をほぐすように、浩宮は、「これから頑張って」と述べられた。

 雅子さんは、浩宮にお礼を申し上げることで精いっぱいだったといわれている。わずか2、3分の会話だったが、穏やかで優しい出会いだった。そんな様子を中川氏と東宮職幹部は、少し離れたところからじっと見届けていた。これが良いきっかけになれば、という大きな期待があった。

「とてもかわいらしい方ですね」天皇陛下の雅子さまへの第一印象

 パーティの翌日、浩宮は歌手・柏原芳恵のデビュー7周年リサイタル(新宿・東京厚生年金会館)に出かけた。ポスターを留学先の英国オックスフォード大の寮の部屋にも貼っていたというほどのファンで、薔薇の花束を渡される浩宮の様子がテレビのワイドショーでも紹介された。何度も流される映像に、ある東宮職はひそかに胸を撫で下ろしていた。リサイタルの話題に隠れて、先日のお茶会が出会いの場であることをマスコミに知られずに済んだからだった。お妃候補の女性たち、特に雅子さんの存在が注目されれば、「上手くいくものもまとまらなくなる」と東宮職は危惧した。実はこの時すでに、浩宮は雅子さんについて、「とてもかわいらしい方ですね」と述べられていた。後のご婚約会見(93年1月19日)で、エレナ王女のパーティでの出会いについて、浩宮はこう語っている。

「非常に強いというか、いい印象を受けました。まず非常に控えめでいらっしゃるんだけれども、自分の思っていることをはっきりとおっしゃって、それでいて非常に聡明であるということ。それから何かこう話題にも共通性があって、お互いに心が通じ合うというような、そういう感じを強く持ちました。従ってこう非常に話していて楽しい人という……」

 そんな浩宮の思いは知らず、雅子さんは、外務省に入れば時間がなくなるだろうと、習い事を始めていた。まず、パーティの1週間後には自宅近くの自動車教習所に通いはじめた。

 父娘二代外交官としての取材要請も続いており、息抜きは、東大の仲間や田雙時代の友だちに会うことだった。同級生でソフトボール部の仲間だった村岡ルリ子さんの結婚式に介添え役で出席、雅子さんはこんなお祝いのスピーチをした。

「実は中学時代、私のクラスメイトが集まって、結婚について話していたことがあったんです。その時に、結婚というのは意外としなさそうに見える人がけっこう最初に結婚しちゃったりするのよね、なんて言っていて、その時は皆が、それじゃあ小和田が最初だったりしてって、げらげら笑っていたんです。この私は、やはりというか、残念ながらその当時のまま今も結婚とは縁が遠いっていう感じなんですけど……」

学生時代から雅子さまを動かした「日本の伝統を伝える使命感」

 茶道や日本料理も学んだ。もちろん、「花嫁修業」ではない。雅子さんの茶道の先生・平野宗欣さん(故人)は後に新聞でこう語っている。

〈外交官として仕事をするのに、日本の文化をお知りになりたいと通って来ていました。しっかりなさった方で覚えが速かった。イギリスに留学する前にはお休みするあいさつに見え、ムクゲ『宗旦』の鉢植えをお持ちになりました。お茶にちなんだ花木を選ばれた心配り、大変ありがたく受け取りました。その木も今では背丈ほどに大きくなり、夏に白く芯(しん)の赤い花を咲かせます。雅子さんなら、お茶の精神を忘れずにやっていかれるでしょう〉(読売新聞93年1月19日付夕刊)

 東京・銀座の日本料理店「晴美」に通ったのも、日本文化を学ぶためだった。当時、雅子さんを指導した、現在は中野の割烹「寿花」の店主・山田寿男さんはこう語る。

「外務省に入られると、海外に行く機会もあるため日本料理を学んだ方がいいという事で、内輪の料理サークル『イカロス会』に来られました。86年の暮れに初めてお会いしたときは、常識があって、若くて綺麗な方だなあと思いました。会は男性と女性が半々くらいで、1回に8人ぐらいまで。2カ月に1回、日曜日に3時間くらい季節の料理を作りました。最初は我流だった包丁の持ち方からお教えしました。具材の切り方から出汁の取り方、魚のおろし方までをプロに教えるのと同じ指導で、料理は焼き物、煮物、鍋物など計21品。雅子さまはとても熱心にメモを取って学ばれていました。物覚えがよくセンスも良かったですね」

 雅子さんは学生時代から日本文化を学び、伝えることに積極的だった。その熱心さに、友人に語っていた言葉、「幸いにも教育を受けることができた者は、海外に日本の伝統を伝える使命のようなものがある」を思い出す。成長期を多く海外で過ごした雅子さんを動かしていたのは、そんな使命感だった。だからこそ外交官となる道を選び、その準備のために日本文化を学び、親善パーティなどにも積極的に参加した。それは純粋な気持ちだったにちがいない。

 だが周囲には、雅子さんの役割は外交官よりもお妃という立場にふさわしい――と考える人々がいたのだった。

(友納 尚子)

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