"異端"の経済理論が「デフレ脱却を目指す日本は、財政赤字をむしろ拡大すべき」と説く理由ーー文藝春秋特選記事

文春オンライン / 2019年7月12日 6時0分

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文藝春秋7月号の特選記事を公開します。(初公開 2019年6月25日)

「自国通貨を発行する政府は、高インフレの懸念がない限り、財政赤字を心配する必要はない」

 こう説くMMT(Modern Monetary Theory「現代貨幣理論」)が話題となっている。

 もしこの理論が正しければ、10月に予定されている「消費増税」はもちろん、長らく日本の課題とされてきた「財政赤字の健全化」など、不要となるからだ。

メディアでは「異端の経済理論」として紹介

 MMTの提唱者、米ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授は、「政府債務は過去の財政赤字の単なる歴史的記録です。これによってわかるのは、これまでの赤字財政で日本経済の過熱を招くことはなかったということです」として、「理論を実証してきた」日本を「成功例」として挙げている。

 一方、「財政規律の軽視」につながる議論としてMMTを警戒する財務省は、「MMT反論資料」を作成し、財政制度等審議会に提出した。

 財務省だけではない。多くのメディアでは、MMTは「異端の経済理論」として紹介され、経済学者やエコノミストの多くが「トンデモ理論」と斬って捨てている。

 しかし、MMTは「最近、にわかに登場したトンデモ理論」とは決して言えないのだ。

 2016年刊の大著『富国と強兵』(東洋経済新報社)で、日本でいち早くMMTを論じた評論家の中野剛志氏はこう述べる。

「最近になって登場した感があるが、実は、20世紀初頭のF・G・クナップ、J・M・ケインズ、J・A・シュンペーターらの洞察を原型とし、A・ラーナー、H・ミンスキーなどの業績も取り込んで、1990年代に、L・ランダル・レイ、S・ケルトン、W・ミッチェルといった経済学者、あるいは投資家のW・モズラーらによって、MMTという名で成立していた理論である」

「貨幣」とはそもそも何なのか?

 中野氏によれば、MMT(現代貨幣論)は、その名の通り、何よりも「貨幣論」だ。「貨幣」の理解の仕方が主流派経済学とまったく異なるのである。

「主流派経済学の標準的な教科書は、貨幣について、次のように説明している。

 原始的な社会では、物々交換が行われていたが、そのうちに、何らかの価値をもった『商品』が、便利な交換手段(つまり貨幣)として使われるようになった。その代表的な『商品』が貴金属、とくに金である。これが、貨幣の起源である。

 しかし、金そのものを貨幣とすると、純度や重量など貨幣の価値の確認に手間がかかるので、政府が一定の純度と重量をもった金貨を鋳造するようになる。次の段階では、金との交換を義務付けた兌換紙幣を発行するようになる。こうして、政府発行の紙幣が標準的な貨幣となる。最終的には、金との交換による価値の保証も不要になり、紙幣は、不換紙幣となる。それでも、交換の際に皆が受け取り続ける限り、紙幣には価値があり、貨幣としての役割を果たす(N・グレゴリー・マンキュー『マンキューマクロ経済学Ⅰ入門編 第3版』東洋経済新報社)。

 このような貨幣論を『商品貨幣論』と言う。しかし、この『商品貨幣論』は、実は、誤りなのである」

貨幣とは「負債」である

 その上で、中野氏はこう述べる。

「では、『貨幣=商品』でないとすると、貨幣とは何であるのか。

 これについては、イングランド銀行の季刊誌(2014年春号)に掲載された貨幣に関する入門的な解説が参考になる。この解説によれば、『今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において交換手段として受け入れられた特殊な負債である』。

 この解説のように、貨幣を『負債』の一種とみなす学説を『信用貨幣論』と言う。

 イングランド銀行は、『貨幣=負債』であることを説明するために、『春にロビンソン・クルーソーが野苺を収穫してフライデーに渡し、その代わりにフライデーは秋に獲った魚をクルーソーに渡すことを約束する』という異時点間の物々交換を例に出す。この場合、春の時点では、クルーソーにはフライデーに対する『信用』が生じ、反対にフライデーにはクルーソーに対する『負債』が生じる。秋になって、フライデーがクルーソーに魚を渡した時点で、フライデーの『負債』は消滅する。

 これは二者間の取引を想定した例であるが、現実の経済における財・サービスの取引は、多くの主体の間で行われるため、『売り手』と『買い手』の間の『信用/負債』関係もまた無数に存在することとなる。

 クルーソーとフライデーの例のように、二者間の関係だけで『信用/負債』関係を解消することは、現実の経済では極めて難しい。そこで、ある二者間の関係で定義された『負債』と、別の二者間の関係で定義された『負債』とを相互に比較し、決済できるようにするために、負債を計算する共通の表示単位が必要になる。この共通の負債の表示単位なるものが、例えば、円やドルやポンドのことなのだ。要するに、『負債』を円やドルやポンドといった共通の計算単位で表示したものを、我々は『貨幣』と呼んでいるのである」

 つまり、「貨幣=商品」ではなく「貨幣=負債」ということだ。

 続いて、中野氏はこう解説する。

「『貨幣とは負債である』ならば、債務を負えばだれでも貨幣を創造できるように思える。しかし、実際には、だれの負債でも貨幣として受け取られるというわけではない。負債には、デフォルト(債務不履行)の可能性があるからだ。それゆえ、デフォルトの可能性がほとんどないと信頼される特殊な負債のみが、『貨幣』として受け入れられる」

貨幣の価値は国家権力に担保されている

「デフォルトの可能性がほとんどないと信頼される特殊な負債」として現在流通しているのが、ドルやポンドや円などの通貨だ。では、こうした通貨の流通はどのように担保されているのか。これについて、次のような明快な解答を示したのがMMTだ、というのだ。

「国家が貨幣を租税の支払い手段と定めていることで、貨幣の価値が担保されている。要するに、通貨の価値を裏付けるものは、租税を徴収する国家権力なのだ」

 こうした「貨幣」理解に立つMMTは、次のような“常識”とは異なる結論を導き出す。

「民間において通貨が取引や貯蓄など納税以外の手段として使用されるためには、国家は税収以上の支出を行う必要がある。ランダル・レイの言い方を借りれば、「『正常な』ケースは、政府が『赤字財政』を運営していること、すなわち、税によって徴収する以上の通貨を供給していること」となるのだ。

財政規律は「インフレ率」にすべき

 日本は、20年もの間、デフレである。ということは、日本の財政赤字は、大きすぎるのではなく、小さすぎるということになる。

 財政赤字の拡大のリスクはインフレだけである以上、財政規律は『インフレ率』にすべきなのだ。

 財政赤字の拡大がインフレ圧力になるのは事実である。だからこそ、デフレ脱却を目指す日本は、財政赤字を拡大すべきなのだ」

 中野氏がMMT理論を詳細に解説した「米国発『消費増税無用論』の真贋」の全文は、 「文藝春秋」7月号 に掲載されている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年7月号)

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