将棋の「もう一人の藤井」。藤井猛九段は、何がすごいのか?

文春オンライン / 2019年7月26日 11時0分

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1998年にプロデビュー(四段昇段)した高野秀行六段

「観る将」ということばが、テレビの特集や書籍のタイトルになるなど、広がりを見せている。

 ことばの意味は「将棋観戦を楽しむファン」のこと。これまで、将棋ファンといえば、当然のように将棋を指す人のことを意味していた。しかし、この「観る将」ということばの登場によって、自らはほとんど指さないものの、熱心に対局を観るファンの存在が、大きく認識されるようになった。

ただの「解説が面白いおじさん」じゃない

 また「観る将」は、たとえ棋力が低くとも、将棋を観戦し、集い、みんなで楽しめるんだと思わせてくれる、魔法のようなことばでもあると感じている。

『 将棋「観る将になれるかな」会議 』(扶桑社新書/以下『観る将会議』)は、そんな「観る将」の方に向けて、将棋番組で使われる用語や、棋戦の歴史など、将棋をより楽しく観る上で役立つ話を、指南役の高野秀行六段と、観る将級位者レベルのライターである私と漫画家の「さくらはな。」さんが語り合った一冊だ。

 そんな『観る将会議』のなかに《「藤井」はどちらもすごい》という一節が出てくる。このことばが表す一人は、今や時の人である藤井聡太七段。そしてもう一人が、藤井猛九段だ。最近「観る将」になった人にとって、藤井猛九段といえば「解説が面白いおじさん」といった印象の方も多いだろうが、高野秀行六段によれば、「将棋の序盤を変えた人」というほどにすごい棋士であるという。

 本企画は『観る将会議』の番外編として、高野秀行六段に「もう一人のすごい藤井」こと、藤井猛九段のすごさについて語ってもらった。

振り飛車は、居飛車に固く囲われると勝てなかった

岡部 藤井猛九段といえば「藤井システム」が有名ですよね。「名前だけは知っている」という観る将の方も多いと思うので、まず「藤井システム」について教えてください。

高野 「藤井システム」は、藤井猛九段が考案した、振り飛車側の「居飛車穴熊」対策の作戦です。

岡部 大前提の話ですが、この藤井システムが登場するまで、振り飛車は長い間、居飛車穴熊に全然勝てなかったんですよね。

高野 そうです。振り飛車は、居飛車に固く囲われると、なかなか勝てない時代が長かった。しかし藤井猛さんが、この藤井システムを使って振り飛車でも勝てるというのを世に示し竜王を取って、そこから三連覇もする。それはすごいことだったんですよ。

岡部 初めて登場したのが、1995年(平成7年)12月22日のことなんですね。

高野 B級2組順位戦の井上慶太戦のことでした。ちょっと局面を見てみましょう。

岡部 先手が藤井猛六段(当時・現在九段)、後手が井上慶太六段(当時・現在九段)ですね。

高野 先手が「藤井システム」ですが、どういった印象を持ちますか?

岡部 そうですね……。玉が動いていない「居玉」の状態であること。右の桂馬が跳ねていること。それと左の銀がずいぶん前に出ていることに目がいきますね。

「藤井システム」は将棋の常識とは真反対にある

高野 将棋のセオリーは、玉を囲うこと。守りの桂馬は早く跳ねない。そして攻める順番は「歩→銀」の順番です。この「藤井システム」はそういった常識と真反対にあるので、普通は「こんなのでうまくいくの?」と思うはずです。

岡部 しかし、実際はわずか47手で投了に追い込んでいます。

高野 この局面は後手が8四飛車と浮いた26手目ですが、実際にはここから3手(▲3五歩→△同歩→▲2五桂)で、後手を実質的に崩壊させているんですよ。

岡部 すごいことですよね。この藤井システムが登場したとき、棋士の間ではどういった感想が持たれたのでしょうか? 新手が出たときには「たまたまうまくいったんじゃないの?」といった懐疑的な意見が多いとも聞きますが……。

高野 たしかに「穴熊にせず急戦にされても対応できるの?」といった疑問もありました。ただ、作ったのが藤井猛さんだから、きっとすべてに対応できるんだろうという意見が多かったと思います。

岡部 つまり偶然ではないと。

高野 そうです。それくらい「藤井猛という人が作ったから」という信頼度は高い。というのは、藤井猛さんは、本当に常人では想像できないくらい序盤を研究しているんですよ。そんなことを、こちらの対局からご紹介します。

藤井猛という人の底はどこにあるのか

高野 これは1994年(平成6年)の棋聖戦で、先手が室岡克彦六段(当時・現在七段)で、後手が藤井猛五段(当時)です。

岡部 藤井システムが登場する前年の対局ですね。

高野 先手の室岡さんは、序盤研究の第一人者のひとりとされる先生で、佐藤康光九段にもっとも影響を与えた人ともいわれているんですよ。

岡部 つまり序盤の探求者同士による対決だったと。

高野 そういうことですね。それでこの局面ですが、先手の室岡さんはこの局面になれば、先手の勝ちと研究していました。しかし後手の藤井猛さんは、ここからわずかな時間で△8三金として勝った。

岡部 つまり、それは研究の範囲だったと?

高野 そういうことです! あの室岡さんの上を行った! もうどれくらい研究しているのか、藤井猛という人の底はどこにあるのか、多くの棋士が驚いたんです。おそらく一生日の目をみない新手もたくさんあるに違いありません。

岡部 そんな人が作り上げた「藤井システム」だから、きっとあらゆる対策がされているだろう――。プロの棋士のみなさんもそう思ったと。

高野 そういうことですね。

他の人には使えないんですか?

高野 「藤井システム」のすごさは、今まで勝てなかった振り飛車を勝てるようにした点がまずひとつ。そしてもうひとつのすごさは、藤井猛にしか使いこなせない点にあります。

岡部 他の人には使えないんですか?

高野 藤井猛さんくらいの研究量と感覚、アイデアがないと指せないんですよ。たとえば、矢倉とかなら、序盤の三十数手など多少手順が違っても、なんとかなるんです。でも藤井システムの一手、一手にはすべて意味があって、なんとなく動かす駒がひとつもない。その順番にもすべて意味がある。これを指しこなすのは、藤井猛さんにしかできないんですね。

岡部 本当に特別な作戦なんですね。

高野 「藤井システムもどき」を指す人はいますが、本当の藤井システムを指す人はいない――。これはつまり「藤井猛VS全世界」ということになるんです。

岡部 どういうことですか?

高野 藤井さんと対戦する人は、みんな藤井システムを研究してきます。そしてその多くの人が藤井システムと対戦することで、その攻略についてはどんどん進化する。しかし、藤井システム自体を進化させることは、藤井猛という人が、一人でするしかないわけです。

岡部 なるほど。

高野 ですから「藤井システム崩壊の日」が来るのは避けられない運命でもありました。ただ、藤井システムで勝てなくなってくると、次に矢倉をやるんですよ。「藤井矢倉」という独特なもので、これもまた素晴らしいものでした。

奨励会に入るまで実戦を200局くらいしか指さなかった

岡部 「藤井システム」がすごいというより、藤井猛という人がすごいということに尽きるんですね。

高野 そう。序盤の研究量とアイデアが、ずば抜けているんですね。藤井さんがここまで序盤を研究しているんだからと、多くの棋士がそれに倣って、研究を始めていきます。今の将棋の進化は、確実に藤井猛という人が作った一面があるんです。

岡部 なぜ、藤井猛さんは、そういうことができたんでしょうか。

高野 藤井猛さんは、奨励会に入るまで実戦を200局くらいしか指さなかったという有名な話があります。地方で対局場所も少なく必然的に自分で考えるしかなかった。だから序盤を研究したのかもしれませんね。ただ、序盤はずば抜けた発想がないとできないので、これは天から与えられた才能としかいえない部分もあります。

岡部 逆に藤井猛九段の弱点は?

高野 決して弱いというわけではないですが、トップ中のトップにくらべれば終盤力でしょうね。ただ、藤井システムなどを見てもわかるように、藤井猛さんは序盤の一手、一手からものすごく神経を使って指しているので、終盤、それは疲れていますよね。「新手一生」の升田幸三先生も終盤のポカがありました。同じ香りを感じるんです、藤井猛さんには。

岡部 もし「藤井猛の序盤力」と「藤井聡太の終盤力」がミックスされたらどうなりますか?

高野 それはものすごい怪物でしょう(笑)。いつか「猛」VS「聡太」の一戦を見たいですね。ものすごく盛り上がるだろうなぁ。考えるだけで、ワクワクします(笑)。

「システム登場!」「きたー!」と喜びの声が

 今でも藤井猛九段によって「藤井システム」が指されると「システム登場!」「きたー!」と喜びの声がツイッターに溢れかえる。おそらく誰も指しこなせない「藤井システム」の登場にこれだけ喜ぶ人がいるという現象は、「自ら指さずとも観ているだけで楽しめる」という「観る将」の世界観の一端を表しているかのようだ。

 なお藤井猛九段は、3年前の2016年には全棋士参加の「銀河戦」において「藤井システム」を駆使して優勝を果たしており、まだまだ健在を示している。藤井猛九段による「藤井システム」、そして藤井猛九段だからこその将棋を見るのが、また一段と楽しみになった。

 写真=石川啓次/文藝春秋

(岡部 敬史)

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