晴れた冤罪。だが内縁夫の性的虐待はなかったことになった ――青木惠子さん55歳の世にも数奇な物語

文春オンライン / 2019年8月18日 11時0分

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15年10月、釈放され会見するBさん

 東住吉冤罪事件――1995年(平成7年)7月、大阪市東住吉区の青木惠子さん(当時31)宅から火が出て全焼。娘のめぐみさん(同11)が亡くなった。1カ月半後、警察は青木さんと内縁の夫Bさん(同29)による保険金目当ての殺人として2人を逮捕。青木さんは無実を訴えるが無期懲役の判決を受け服役。しかし弁護団などの粘り強い調査により再審が決定、2015年(平成27年)10月に20年ぶりに釈放、後に無罪となった。『週刊文春WOMAN』2019GW号の 『冤罪とミニスカート』 で紹介したように、事件の背景には性的虐待がある。(全2回の1回目)

◆ ◆ ◆

性的虐待をなぜどこも報じないのか?

 私がこの事件に出会ったのは3年前の8月。青木さん(55=現在)の再審無罪判決が出た日だった。大阪で司法担当になったばかりの私は、判決文を見て驚いた。内縁の夫だったBさんによるめぐみさんへの性的虐待のことが記されていたからだ。しかもそれがもとでウソの自白を迫られている。冤罪の決定的要因とも言えるこの性的虐待のことを、NHKも含めどこのマスコミもほとんど報じていない。なぜなのか?

 私はBさんの無罪判決後の会見で、彼がこの問題にどう触れるのかに注目した。ところが一言も触れない。そして会見に参加している記者も誰も聞こうとしない。

 さらに後日、国賠訴訟を起こした記者会見で、青木さんは提訴の理由について、「娘への性的虐待を使って自白させた。その警察の汚いやり方が許せない」と述べた。私はその言葉をそのまま原稿にし、NHKのニュースで流れた。これはさすがに各社も報じるだろうと思ったら、国賠提訴自体は記事やニュースになっているのに、性的虐待のことはどこも触れなかった。

メディアもタブー視していた

 数日後、別の裁判の取材で、とある新聞社の記者が話しかけてきた。

「相澤さん、よく性的虐待のこと、ニュースにしましたねえ。Bさんの方から何か言われませんでしたか?」

 そんなことを気にしていたのか!

 性的虐待に触れることはタブーだったのだろう。放火殺人は冤罪でも性犯罪は有罪というのは、Bさん本人というより、そのことを報じるマスコミにとって都合が悪かったのだろう。だから闇に葬られた。それゆえ、この事件はいつまでもスッキリしない。これを解消するには、性的虐待が招いた冤罪の悲劇としてきちんと番組で伝えるしかない。そう考え、共感してくれるディレクターと番組を提案し、2017年12月にNHKスペシャル『時間が止まった私』を放送したのだ。

運命を変えた出会い

 青木さんとBさんが出会ったのは、今から30年ほど前、青木さんが20代前半の頃だった。

 23歳の時に夫が蒸発し、幼い子ども2人を抱えた青木さんは、生活を支えるため大阪市平野区内のスナックで働き始めた。その店の常連だったのが、Bさんだった。

 当時、青木さんは別の男性が好きだったが、その男性とうまくいかないことがあって、大げんかになった。その時、Bさんが青木さんの自宅を訪れて話を聞き、「その人とはやめた方がいい」と勧めた。青木さん曰く「私はあまり人を好きにならないの。その人は久しぶりに好きになったんだけど、結局けんかしたまま終わったわ」。

 その後、Bさんとのお付き合いが始まる。その際、Bさんは自分が在日コリアンであることを打ち明けた。

「在日だからいじめられたこともあるって話してたわ。でも私は差別なんか嫌いだから、ぜんぜん気にしない。そんな話聞いてかわいそうになったくらい。情がわいたのね」

 大阪で花博が開かれた1990年(平成2年)、青木さんは子ども2人を連れてBさんと4人で花博に出かけた。その時、娘のめぐみさんは6歳。食事中に服が汚れたため、Bさんが新しい服を買ってあげるという出来事があった。その後、青木さんは子どもたちに「Bさんと一緒に住んでもいい?」と尋ねた。2人とも「いいよ、住もうよ」と喜んでくれた。

 一緒に暮らすようになったBさんを、子どもたちは「パパ」と呼んでいたという。まさかBさんがめぐみさんに性的虐待を繰り返すようになるとは……そのことが今も青木さんを苛む。

性的虐待が冤罪を生んだ

 青木さんは性的虐待の事実を知らなかった。火事でめぐみさんが亡くなった後、取り調べで刑事からいきなりその事実を知らされたのだ。Bさんの警察での供述によると、虐待はめぐみさんが小学校3年生のころから始まり、5年生のころから性行為をされるようになり、40~50回にわたったという。

 刑事は「女としてめぐを許されへんから殺したんやろ!」と決めつけ、「お前は鬼のような母親やな、めぐみに悪いと思えへんのか、素直に認めろ!」と迫った。青木さんは混乱する中で殺人を自白させられてしまった。一方、Bさんの方も、放火殺人を認めなければ性的虐待を公表すると刑事に脅され、自白させられた。性的虐待がうその自白を生み、冤罪を生み出したのだ。

時効のため立件できない

 青木さんとBさんが問われた罪は、2人で共謀し、青木さんが受け取るめぐみさんの保険金目当てでBさんが自宅に放火し、めぐみさんを殺害したという筋書きだった。それが再審=やり直しの裁判で、自白通りには放火はできない、火事は家にあったホンダの車からのガソリン漏れの可能性がある、自白はすべて無理矢理で採用できないとされて、2人とも無罪になった。

 ただし、放火殺人は無罪でも、Bさんがめぐみさんに対して性的虐待を繰り返した事実は残る。このことは再審無罪の判決文にも書かれている。だが、すでに20年以上がたっている。時効のため今さらこれを性犯罪として立件することはできない。

 そんなBさんの無罪を勝ち取った弁護団の主任弁護士は、女性だった。

女性の権利を守る発信基地

 大阪市中央区。大阪城公園にほど近いビルの5階にある「女性共同法律事務所」。その名の通り、所属する弁護士6人もスタッフも、全員が女性だ。

 事務所のウェブサイトでは「女性の権利を守る発信基地!」「元気な女性を増やしたい!」「女性の権利を守るために設立した事務所です」とうたっている。実際、取り扱う事件の9割以上が女性からの依頼だ。内容は、離婚、それもDVが絡むような難しい事案や、セクハラ、性暴力、それに女性ゆえの不当解雇などの案件が多い。性差別にまつわる相談も後を絶たないという。

 この女性共同法律事務所の設立メンバーの1人が、乗井弥生弁護士だ。横山ノック大阪府知事(当時)の強制わいせつ事件で、被害者の女性の代理人を務めた。大手企業の女性賃金差別事件も手掛けた。その乗井弁護士が、Bさんの主任弁護士を務めた。女性の権利を守る弁護士が、なぜ少女の人権を損ねた男性の弁護士になったのか?

 乗井弁護士は弁護士登録が1995年。つまり東住吉事件が起きた年だ。阪神・淡路大震災、そして地下鉄サリン事件の年でもある。その翌年、すでに青木さんら2人の裁判が始まってしばらくたった頃に、Bさんの弁護の話が回ってきたという。乗井弁護士は語る。

「Bさんに最初についていた国選弁護士が『これ以上やりきれない』と辞退したので、別の弁護士が引き受けることになりました。1人では大変なので、当時私が所属していた事務所に『誰かやらないか?』と誘いに来ました。その時ちょうど私がいて『私にやらせてください』と手を上げました。

「調書は安っぽい小説みたい」

 手を上げたのは、まだ弁護士2年目で、いろんな事件をやりたいと思っていたから。『声をかけられたら積極的に受けた方がいい』と先輩から言われていましたし、自分も勉強できる重大案件だと思いました。その時点で被告のBさんの人となりは知りませんでした。性的虐待のことも」

 弁護を担当してまず取りかかるのは裁判記録の読み込みだ。記録をもらって読み始めたのが夏の暑い頃だったという。

「記録を読んでストンと胸に落ちないところがありました。ほとんどが自白調書ですけど、安っぽい小説を読まされているような気持ちになりましたね。

 私は女性だから、(担当ではない)青木さんの心情に関心が向くんです。例えば青木さんが浪費をするとか、マンションを買うのにお金に困ってこういうこと(保険金目当ての放火殺人)をやったと、調書に書いてあるんですけどね。私は破産や債務整理も手がけますから浪費でお金の回らなくなっている人を何人も見ていましたけど、そういう人はどれだけ自分がお金が回らないか、収入と支出がわからなくなっていることが多いんです。でも青木さんは事細かく家計簿をつけていました。カードの引き落としはいつでいくら、支払い予定は、と全部把握してもいました。これはお金が回らなくなった人の生活ぶりとだいぶ乖離があります」

 青木さんと乗井弁護士はほぼ同世代。子を持つ母親であるということも共通している。

「記録を見る中で女性としての思いが出てくるんですよ。例えば青木さんはめぐみさんの修学旅行のためにこういう買い物をした、ということを家計簿に几帳面につけています。火事の直前にですよ。そんなふうに娘のために修学旅行の準備をする人が、その娘を殺すことを考えますか?」

※8月19日(月)掲載の「#2 内縁夫の無罪を勝ち取った女性弁護士の怒り」へ続く

(相澤 冬樹/週刊文春WOMAN 2019夏号)

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