電動車椅子で生活する私が「24時間テレビ」と“感動ポルノ”を支持する理由

文春オンライン / 2019年8月24日 17時0分

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「24時間テレビ」(日本テレビ)公式HPより

 夏真っ盛りである。夏の風物詩といえば花火、かき氷、そしてなんといっても「24時間テレビ」と“感動ポルノ”にまつわる論争である。

 私の名前はダブル手帳( @double_techou )。身体障害者手帳1級(重度脳性麻痺)と精神障害者手帳3級(発達障害)を持っていることから思い付いた安易なペンネームを使って執筆している。生まれつき歩くことができず、背筋は湾曲し、右手も自由にならないため、電動車椅子で生活している。

 私は「24時間テレビ」に代表されるいわゆる“感動ポルノ”に何ら問題を感じない。以前執筆した「 障害者から見た『感動ポルノ』について 」というブログと重複する部分もあるが、以下に私の持論を展開したい。

“感動ポルノ”批判の問題点

 まずはじめに、「感動ポルノ」とは何だろうか。現在ではその定義も拡散しているが、本稿ではこの言葉が人口に膾炙するきっかけとなったオーストラリアのコメディアン、ジャーナリストの故ステラ・ヤング氏(2014年に逝去)のスピーチ「 私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく 」に準拠したい。

 ステラ・ヤング氏は感動ポルノを「障害者をモノ扱いし、健常者が感動したりやる気を起こしたりするために利用すること」と定義する。そして「障害者が特別視されるのではなく真の成果で評価される世界」を望むため、感動ポルノを問題視する。



 


 彼女のスピーチには一理ある部分もあるが、私は基本的に反対の立場だ。理由は、彼女の言うように障害者を特別視せず「真の成果」(健常者と同じ物差しで測った社会的成功)なるもので評価される世界になれば、障害者の努力が過小評価されてしまうからだ。

 今まで立つことができなかった脳性麻痺者が数秒間だけつかまり立ちができるようになったとか、今まで一言も発したことがなかった知的障害者が初めて単語を発したとかいうのは、彼女の言う「真の成果」ではないのかもしれないが、ノーベル賞を取るのと同じくらいすごいことだし、感動や賞賛の対象になってしかるべき達成だと思う。

 殆どの障害者が多かれ少なかれそういう達成の積み重ねの上に自分なりの生活を築いていることを考えれば、彼女が批判する「障害を持って生活するだけで立派だ」という考え方も決して間違いとは言えない。

ある日、全校集会で表彰されることになった

 動画では、彼女は15歳の時に何の功績も無いのに表彰されそうになって面食らったと語っているが、私にも似たような経験がある。高校卒業間際に、学年最優秀生徒として全校集会で表彰されることになったのだ。

 確かに学業成績は良い方だったし、作文や数学コンクールなどの受賞歴もあった。だが同学年には東大に合格していた者、部活動で全国レベルの活躍をした者、生徒会長を務めた者など、他にも優れた人間はたくさんいたし、その人達の方が表彰されるに相応しいという見方も当然ありうる。その中で私が選ばれたのは、やはり障害者であることが大きかっただろう。

 それを理解してなお、私は表彰されることに対して何の恥じらいも感じなかった。何故なら、障害が原因で多くの余分な苦労を強いられてきたし、ハンデを克服するために目に見えないところで人の何倍も努力してきたという自負があったからである。

高校に進学するために、トイレの猛特訓

 例えば、上半身の麻痺のため書くのが遅い私は、同じ試験時間内で終わらせるために、他の人より素早く問題を解く練習を積み重ねた。また、高校入学までの道も決して平坦ではなかった。高校では介助員による支援制度が無いため、中学生当時自力で排泄ができなかった私は、周囲から進学を諦めるように促された。

 それでも、どうしても高校に進学したくて、血の滲むような猛特訓をした。一人で排泄ができるようになるまでに、何度うんこを漏らして泣いたか分からない。

 仮に障害者が健常者と同じ“成果”を挙げようと思えば、どうしてもプラスアルファの努力になる。それら諸々について他の人は知らないだろうが、間違いなく私が成し遂げてきたことであり、その努力は評価されてしかるべきだ。こうした努力が好意的に取り上げられることが、悪いことだとは思えない。

多様な切り口のうち、「感動」の側面に焦点を当てているだけ

「24時間テレビ」は障害者にまつわる物語を、健常者の視聴者を想定した感動的なものに限定しているという点で、障害者を「モノ扱い」しているという批判もある。この意見も一理あるが、私自身は賛同しない。

 というのも、今は「24時間テレビ」だけでなく、様々な番組で障害者を扱うようになっているからだ。もし仮に、障害者を「感動の対象」として見るような番組しか存在しないとすれば、それは確かに問題だろう。人間には誰しも様々な様々な側面がある。それを無視して、いついかなる時でもその人の特定の一面しか見ないという態度は、人間をモノ扱いすることに繋がる。

 しかし今や各局は、2016年に「24時間テレビ」のパロディを放映し、「感動ポルノ」を批判したNHKの「バリバラ」をはじめ、他にも色々なニュースや社会派番組、報道番組などで、多様な角度・切り口から障害者を扱う。その一つとして「感動」の側面を軸にした「24時間テレビ」も存在するということに過ぎない。

 そして「24時間テレビ」で集まった募金によって必要な支援を受けることができた障害者が数多くいることも忘れてはならないだろう。だとしたら、本当に必要なことは24時間テレビを叩くことではない。

問題視すべきなのは年に1度の「24時間テレビ」なのか?

 ここまで「24時間テレビ」や“感動ポルノ”の是非について論じてきた。しかし、テレビにおける障害者の描かれ方ということに関して言えば、わたしたちは年に1度しか放映されない「24時間テレビ」ではなく、障害がテーマでない場面では、そもそも障害者がほとんどテレビに登場しないことを問題視すべきなのではないか。

 たとえば、テレビ局の「顔」とも言えるテレビアナウンサーに障害者が非常に少ないということは、ほぼ間違いなく言えるだろう。外見から分かる障害ばかりではないとはいえ、 身体障害者の国民に占める割合が3.4% 、民間企業における障害者の法定雇用率が2.2%であることなどを考えると、体感的にはそれより圧倒的に少ない。

 もちろん、「アナウンサーに障害者が少ない」というのが単なる私の思い込みである可能性も十分ある。そこで、文春オンラインを通じて、NHK及び民放キー局に、障害を持つアナウンサーの雇用状況を問い合わせた(質問状は文末に記載)。その結果は以下の通りである。

<NHK>
障がい者の職種ごとの在籍の有無、具体的な人数、障がいの内容などについては、お答えしていません。

 

<日本テレビ>

社員のプライバシーに関する事柄に関してはお答えしておりません。

 

<テレビ朝日>

プライバシーにかかわることなのでお答えを控えます。

 

<TBSテレビ>

プライバシーに関わることでもあり、個別部署での在籍等は、お答えしておりません。

なお、当社では、採用にあたって障がいの有無で判断することはありません。

 

<テレビ東京>

個人のプライバシーに関わることであり、お答えは控えさせていただきます。

 

<フジテレビジョン>

個人のプライバシーに関わる質問ですのでお答えできません。

 ある程度想定していたことではあるが、具体的な回答が得られなかったことは極めて残念である。

 文春オンラインが独自に調べた範囲では、アナウンサーとキャスターは厳密には異なるものの、NHKには少なくとも5人の聴覚障害を持つキャスターが在籍していることが分かった。また、NHKは1990年に新設された番組「きょうのニュース」で聴覚障害者の手話通訳士を起用しており、少なくとも20年以上前から継続的に障害者を起用してきた。流石に公共放送たるNHKはこういった面では他局に先んじており、率直に評価したい。

 しかし、これ以外に障害を持つアナウンサーの存在はどの局でも確認できなかった。ある意味で局の「顔」ともいえるアナウンサー職に障害者を採用する取り組みは、NHKでしか実現していないようだ。

公共放送でさえ、障害を持つアナウンサーは福祉番組のみ

 そして、そのNHKでさえ、福祉に関連する番組内容でしか障害を持つアナウンサーを採用していない。こうした状況は若干寂しいと言わざるを得ない。私たち障害者は「理由なく」存在するのだから、福祉番組であるといった文脈とは関係なく、「理由なく」テレビに登場してもいいのではないか。

 たとえば、BBCでは、子供向けチャンネル「CBeebies」で2009年から2017年の間、先天性四肢欠損のケリー・バーネルをアナウンサーとして起用。同じくBBCで、先天性四肢欠損のルーシー・マーチンが2015年から天気キャスターとして活躍している。

障害者の姿は、健常者の視界から消されがちだ

 以前、私は「 れいわ重度障害者当選 就活で20社以上落とされた、脳性まひのアニオタが考える意義 」という記事で、アニメに過去の因縁などの特別な理由なく障害者が登場することがまずないことを指摘した。

 そして、それは私が実際に経験した、働く障害者が何かと理由をつけて特定の部署に集められ、健常者の視界から消される現象とつながっているのではないか、と述べた。メディアでも、現実でも、私たちの姿は健常者の視界から消されがちなのだ。

 そんな現実があるからこそ、障害者が存在することに特別な理由を求められない社会を実現するうえで、障害者がテレビなどのメディアを通じて日常的に人の目に触れることは極めて重要である。

 福祉番組だけに留まらず、もっともっと多様な番組、多様な文脈で当たり前に障害者が出てくるように各テレビ局が取り組むこと。また、視聴者もそうしたテレビ局の取り組みを後押しするとともに、各局による障害者の描き方に関心を持つこと。そうした地道な積み重ねの方が「24時間テレビ」という、一番組を批判するより、はるかに意義深いことではないだろうか。

 そして、それは結果として「24時間テレビ」が提示する感動的障害者像の影響力を相対的に縮小させることにも繋がるのだ。

 

<NHK及び民放キー局に送った質問状の内容>

 

1) 御社に障害を持つアナウンサーが在籍していたことはありますか。

 

2) 御社に障害を持つアナウンサーが在籍していたことがある場合、その
人数を教えて下さい。

 

3) 御社に障害を持つアナウンサーが在籍していたことがある場合、それ
ぞれの障害の内容を教えて下さい。

 

4) 御社に障害を持つアナウンサーが在籍していたことがある場合、その
アナウンサーらが担当した番組と、番組内での役職や役割を教えて下さい。

 

5) 御社に障害を持つアナウンサーが在籍していたことがない場合、その
理由を教えて下さい。

(ダブル手帳)

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