IKKOさんが語る“テレビ界の恩人”「死化粧のとき、逸見政孝さんの目から一筋の涙が……」

文春オンライン / 2019年8月25日 11時0分

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IKKOさん

「スチュワーデスになりたい」IKKOさんが“自分は女性だ”と気づいた小学1年のとき から続く

 ヘアメイクの世界に飛び込んだIKKOさんは着物撮影ですぐに評判を呼ぶ。

 そしてテレビ界との接点になったのが『SHOW by ショーバイ!!』『平成教育委員会』などで国民から愛された逸見政孝さんだった。逸見さんのヘアメイクとして信頼されたIKKOさんがテレビの表舞台にデビューするまで。(全3回の2回目/ #1 、 #3 へ)

◆◆◆

着物の撮影で「この5ミリが大切なのよ、IKKOさん」

―― 横浜・元町のヘアーサロンで8年間働いて、その後、独立されてヘアメイクの世界に入られます。

IKKO 最初、フリーとしてやっていたんだけど、全然仕事がなくて。半年後にヘアメイクの事務所に入ったんです。私の場合、着物撮影のヘアメイクができるっていうのが大きかったんです。入って2カ月もしないうちに、「着物の仕事だけどやってみる?」って言われて「やります」と。今考えると度胸あるなって思う(笑)。それですぐ『美しいキモノ』という雑誌の表紙をやっていました。最初が女優の眞野あずささん。『家庭画報』『婦人画報』『ミセス』『マダム』『ラ・セーヌ』のような雑誌の表紙を飾る人ってだいたい決まっていたんですよ。その人たちのメイクをやったら一流といわれていた。それを入って2、3カ月で出来たんです。

―― その頃に出会われた女優さんで、印象に残っている方はいますか。

IKKO 松尾嘉代さんですね。石立鉄男さん、杉田かおるさんとドラマ『パパと呼ばないで』に出ていた女優さんです。とにかくすごかった。着物の撮影のときに1時間近く横座りしていたんですよ。その体勢を支えている手が、私は椅子についていると思っていた。でも違うんです。ずっと浮かせているんです。5ミリ浮いていた。「この5ミリが大切なのよ、IKKOさん。楽な格好をすると美しくない」って。すごいでしょう。

なぜ逸見政孝さんのヘアメイクをすることに?

―― その後、アナウンサー逸見政孝さんのヘアメイクをされていたんですよね。着物の世界とはかけ離れているようにも思えますが、どんな経緯で?

IKKO 奥様からの紹介だったんです。逸見さんがフジテレビから独立して『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』をやり始めた頃だったと思います。直角のパチッとした髪型から、ちょっと崩れた感じになったでしょう、イメージを変えて。最初に奥様から「うちのパパをやってほしいんだけど」と言われたときは迷ったんです。『dansen』って男性専門誌で男性メイクの経験はあったけど、どういうふうに逸見さんのヘアメイクをしていけばいいんだろうって。

―― 逸見さんはどんな方でしたか。

IKKO 真面目でしたよ。もう、棒のように一直線。やっぱり逸見政孝さんとの出会いも私の人生のターニングポイントのひとつです。すごいなっていうことしかなかったですよ。芸能人なのに、こんなに真面目なんだって。時間に正確で、仕事が終わったらすぐ直帰。

 だから、私も現場に1時間前に入って、30分前にはもう準備を終えて、いつでもお出迎えできるようにしていたんです。それでも、たまに逸見さんのほうが早いときがあるのよね(笑)。そのくらい真面目な方でした。

―― 印象的だった言葉ってありますか。

IKKO ある時、逸見さんに「どうやったら一流になれるんですか」って訊いたことがあるんです。すると「どんな人でも一流になれるものはあるんじゃないでしょうかね」って言うんです。だけど、チャンスとかそういったものっていうのは、いつ来るかわからない。「田舎のバス停でバスを待っているようなもの」なんじゃないかって。何時間に1本か、あるいは1日に1本、来るかどうかわからないけど、それに乗る準備ができているかどうか。いざバスが来たからと行って、じゃあそのバスに飛び乗っていいのか。それを見極める目が大切なんじゃないでしょうかっておっしゃっていましたね。

「死化粧のとき、逸見さんの目から涙が……」

―― その後、IKKOさんは逸見さんのヘアメイクを続けられて、逸見さんが亡くなられたとき(1993年)、死化粧をされたんですよね。

IKKO あれは亡くなる前日の12月24日。私は『ミセス』の撮影で山梨にいたんですよ。撮影が終わって友達とクリスマスパーティをすることになっていたので、都内に戻ってその前にシャワーを浴びたんです。シャワーから出て、そういえば逸見さんはどうしているかしらって急に気になって、逸見さんの付き人の義理の弟さんに連絡したら「ちょっと危ないから、来てくれませんか」って。すぐに病院に向かうと、そのときはちょっと持ち直して。「逸見さん、逸見さん」って呼びかけると、体が揺れるような反応があって。「ありがとう」って言ってくれているみたいでしたね……。

 次の日は別の仕事で、その現場に向かっている車の中でうちのマネージャーからポケベルに連絡があって、「亡くなったわよ」って。本当に悲しかったです……。お通夜のとき、娘さんの愛ちゃんがメイクをしようとしていたんだけど、弟さんが「できたら生前と同じようにIKKOさんにメイクをしてもらいたいんだけど、大丈夫ですか?」って言われたんです。私は初めての経験でできるかなって不安に思ったんですけど、お化粧を綺麗にして、髪の毛を整えたら、逸見さんの目から涙が出てきたんです。お経をあげるまでは魂がそこらへんにいるっていうけど、本当だなって思いましたね。

IKKOさんのテレビデビューは41歳

―― ヘアメイクで裏方として支えてこられたIKKOさんがテレビの表舞台にデビューしたのは?

IKKO 41歳のときです。TBSの『ジャスト』という情報番組の「マダムに会いたい」というコーナーに出たんです。それは15分のコーナーだったんですけど、撮れ高が良かったらしく、時事ネタが少なかったら、もうちょっと伸ばすかもしれないって言われていたんですよ。そしたら当日電話がかかってきて「45分になりました」って。

―― ええ、3倍! スゴい!

IKKO 反響もスゴかったですよ。視聴率もすごく良くて、『ジャスト』のトップの人からお花も届きました。それで『ジャスト』に「IKKOの幸せメイク」というコーナーを持つようになったんです。

「オネエ」という雑なカテゴリーは嫌じゃないですか?

―― 最初、テレビのオファーがあったとき、出演に迷いはなかったんですか。

IKKO いや、嬉しかったですね。私はその頃、書籍を作っていこうって決めてたの。自分のヘアメイクの作品集みたいなものを形にしたいって。そのきっかけとしてテレビに出られるというのは嬉しかったですね。テレビでも「美容家」として打ち出してくれましたから。

―― その後は『おネエ★MANS』(日テレ系)になるんですか。

IKKO そうですね。でも『ジャスト』のあと、『おネエ★MANS』が始まるまでにも、『ソロモン流』(テレビ東京)で密着してもらったり、バラエティ番組にも出始めていたんです。

―― テレビでは「オネエ」みたいに、割と雑なカテゴリーでくくられてしまったりしますが、それに対してどう思われますか。

IKKO まあいじってくれてなんぼの世界だから私は大丈夫です。自分がしっかりしていればいいですからね。もちろん、あまりにもひどいと、いやだわと思うけど(笑)。

―― 「オネエ」と呼ばれて活躍されている方々とは交流はあるんですか。

IKKO もともとKABA.ちゃんとは仲が良かったんです。あちらのほうが、芸能界ではデビューが先ですけどね。話しやすくて優しい。あと真島(茂樹)さんとか、マロンちゃんとか、仲いいですよ。マツコ(デラックス)ちゃん、ミッツ(マングローブ)ちゃん、クリス(松村)、はるな(愛)ちゃんあたりは今はお互い忙しくてなかなかお会いする機会は少なくなったけど、大好きな仲間ですね。『おネエ★MANS!』は終わってちょうど10年経ちますけど、懐かしいメンバーでもう1回集まって特番とかが出来たらいいなって思いますね。

―― マツコさんが番組で「IKKOさんはタレントとしての才能がすごい。敵わない」って言ってましたね。

IKKO そんなことないですよ~! マツコちゃん、気を遣ってくれたんですね。いつもそうやってね、おっしゃってくれるから嬉しいなって。私なんていまだにテレビ出るたびドキドキドキドキしちゃってますから。

(#3へ続く)
写真=宮﨑貢司

◆#1 「スチュワーデスになりたい」IKKOさんが“自分は女性だ”と気づいた小学1年のとき
https://bunshun.jp/articles/-/13538
◆#3 『どんだけ~』IKKOさんの“許す力”「チョコプラ松尾ちゃんには感謝しかないの」
https://bunshun.jp/articles/-/13541

IKKO/1962年生まれ、福岡県出身。横浜・元町の美容室で8年間修業した後、1992年に「アトリエIKKO」を設立。「女優メイク」と呼ばれる独自のヘアメーク術で、テレビ、雑誌、舞台など幅広く活躍する。2003年「ジャスト」(TBS系)に出演し、テレビデビュー。「おネエ★MANS」(日本テレビ系)などにレギュラー出演。2007年「どんだけ~」が新語・流行語大賞にノミネートされる。

『どんだけ~』57歳IKKOさんの“許す力”「チョコプラ松尾ちゃんには感謝しかないの」 へ続く

(てれびのスキマ)

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