ボブ・ディランが札幌ドームにやってきたあの日のこと

文春オンライン / 2019年10月5日 11時0分

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ボブ・ディランさん ©AFLO

 9月最後の金曜の夜だ。なぜか文春野球中日のライター、カルロス矢吹が繋いでくれる形で北海道新聞の記者さんと会うダンドリになっていた。本当になぜカルロスが繋ぐのかわからない。僕は2003年、つまりファイターズ本拠地移転の1年前のシーズンから北海道新聞で野球コラムの連載を続けている。ずっと隔週の掲載だったが、何年か前、月イチに減ってしまった。うわー、ちょっと書き足りないなぁと思ってたら渡りに舟、うまい具合いに文春野球がスタートしたのだ。

賢介ラストゲームに日暮里の寿司屋にて

 北海道民の間では「道新」で通っている。たぶん北海道の読者は「道新」コラムで僕の存在を知った方がほとんどだろう。僕もホーム意識がある。連載開始がら現在まで15人以上の担当記者さんにお世話になったが、皆、忘れ得ぬ思い出がある。長く続いてる連載なので道新社内にもたまーに愛読者がいて、それが今回の飲み会にも結びついた。カルロスから来たメールは「東京支社の記者さんが『せっかく東京にいるんだから、えのきどさん紹介してくれ』って言ってます」だった。参加者は直前に追加があり、「札幌の記者で、えのきどさんに会うんだったらぜひ連れてってくれという人がいます。大丈夫ですよね?」ということだった。

 ただその週になって、大丈夫だけどあんまり大丈夫じゃないなぁと思い始めた。飲み会のセッティングは半月以上前だから今更動かせないんだが、よくよく考えたら9月ラストの金曜日はファイターズの今季最終戦、すなわち田中賢介引退試合だった。日程をきちんと調べておかなかった凡ミスだ。しょうがない、夜中に録画を見てひとりで泣くことになるんだろう。

 待ち合わせは日暮里の寿司屋さんだった。夜6時に店に入ったら誰もいない。店の大将が「7時の予約になってますよ」と言う。しまった、時間をきちんと調べておかなかった凡ミスだ。しょうがない、懇意にしてる家が近くにあるからそこで野球見て時間をつぶそう。電話したらこころよく迎え入れてくれた。一般家庭だけど、お父さんと田中賢介の昔話ができる。大型のTVモニターの横にゴールデングラブが飾ってあるもんなぁ。

 7時になって懇意にしている家を辞し、寿司屋さんに向かった。2階の座敷へ通され、ご挨拶し名刺交換していたら部屋にTVがあって、何とファイターズ戦をやってるじゃないか。この日はNHK-BS中継が組まれていて、おかげで僕は賢介ラストゲームをオンタイムで見ることができた。

ほぼ誰にも知られていない道新の“隠れたスクープ”

 部屋にいたのはカルロス矢吹のほか3人。東京支社のO記者、カメラマンのMさん、それから真向いにいちばん大柄な石川泰士さんという記者が座った。この石川さんが面白かった。この人が追加で参加した札幌の記者さんだ。僕のコラムを熱心に読んでくれてて、「いやぁ、感激ですぅ」なんて大仰に言いながら、それでも「すいません、こんなこと滅多にないので聞いていいですか。えのきどさんにとって田中賢介とはどんな存在ですか? すいませんすいません、職業病ですぅ」と質問を投げてくる。僕は「賢介はファイターズ野球の象徴ですね。引き出しが多くて野球を知ってる」なんて答えていた。

 やがて試合が終わり引退セレモニーが終わり、目の前では石川記者が泣いていた。僕はそれを見て、うんうんとうなずいていた。先手を打たれた。おしぼりで涙をぬぐう大男の前ではちょっともう泣きにくいじゃないか。

 それで何だっけかなぁ、どういう話の転がりか忘れたけど、「道新って新聞協会賞を何度もモノにしてるけど、それ以外にも隠れたスクープありますよね」と言ってみたのだ。「僕がすごいと思ったのはボブ・ディランがファイターズの試合見に来てたって記事。あんなの他にはどこにも出てないでしょ」。3年前、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したとき出た、道新地方版の記事だ。ほぼ誰にも知られていないが、とんでもない大ネタだ。

「うわ、そ、それ、僕が書いたんですよ。うわー、マジですか。何で地方版の記事なんて読んでるんですか。マジですか。感激ですぅ。僕ですよ僕ですよ。うわ、マジかー」

 大男は涙でなく額の汗をおしぼりでぬぐいだした。僕もびっくりした。「え、あれ書いたの石川さんなの!? あれはすごいよ。3年前、報知の加藤弘士さんからLINEが来て、2人で大騒ぎしたよ。あんな話、みうらじゅんも知らないよ。まさかボブ・ディランがお忍びで札幌ドームに来て、ファイターズ戦を見てたなんて!」大男は寿司屋の2階で叫ぶ。「そうなんですそうなんです。ディランが、ボブ・ディランが札幌ドームに来たんですぅ!」

 たぶん読者はあまりのことに呆然としてるだろう。記事が出たのは2016年10月15日だ。ファイターズは前夜、CSファイナル第3戦に勝利し、日本シリーズ出場に王手をかけた。先発有原航平は7回1失点の好投、レアードに2試合連続のホームランが飛び出している。いよいよ翌16日は大谷翔平がDH解除で最終回のマウンドへ上がる。球速165キロを計測した伝説のマウンドだ。あぁ、あの日に帰りたいね。最高だったなぁ。

ディランがグッズ売り場で買った2人の選手タオル

 で、さかのぼること2日前の10月13日、ボブ・ディランにノーベル文学賞が授与されることになった。片桐ユズル訳の『ボブ・ディラン全詩集』(晶文社)がロングセラーになってるぐらいで、その歌詞の芸術性に誰しも疑いなかったが、果たしてそれは文学か!?、という点で論争を巻き起こした。

 道新・石川記者はボブ・ディランの足どりを追って記事が書けないかと考えた。ディランは2014年4月13、14日の2日間、札幌市中央区のZepp Sapporo(ゼップサッポロ)で公演していた。札幌市内では17年ぶり2度目の公演だった。記事は「ディランさん 札幌再訪を/2年前 言葉の一つ一つが楽器のようだった/待ち望む熱烈ファン」という見出しの5段組。イベント運営に携わったグループ会社の担当さんや、詩作に刺激を受けたというミュージシャン、実際にZepp公演を聴いた音楽ライター、「ノーベル賞特設コーナー」をつくったタワレコの担当バイヤーさん等のコメントを織り交ぜて、伝説的スーパースターが遠い存在ではなく、確かに当地にも影響や実感を残している、という感じにまとまっている。

 だが、記事の白眉は札幌ドームの野球観戦のくだりだ。以下、引用する。

「ディランさんは札幌滞在中にホテルをほぼ出なかったが、公演初日の前日には自ら希望して札幌ドームの野球観戦に向かったという。当初はグラウンドから遠い貴賓室に案内されたが、『良く見えない』と一般客に交じりバックネット裏に移った。同行した貝田さん(道新文化事業社の貝田健介さん)は『陽岱鋼選手と中田翔選手が気に入ったのか、帰り際に2人のタオルを土産に買った』という。」(文中、マルカッコ内はえのきど)

 報知の加藤弘士デスクも「やられた!」と白旗だ。こんなこと菅野ヘッケルさんだって知らないぞ。ボブ・ディランは「ファイターズの外国人選手の名前を挙げてくれ」と言ったそうだ。メンドーサ、クロッタ、ケッペル、トーマス、ウルフ、ホフパワー、ミランダ、陽岱鋼……。「陽、その選手!」とタオルを所望した。で、更に中田翔タオルを所望した。これはちょっとした『追憶のハイウェイ61』だ。鎌ケ谷で鳴らした悪童コンビを正確に見抜いている。おおディラン、そうなんだ、その2人は高卒で切磋琢磨し明日を夢見てたんだよ。

ディランが見たのは一体どんな試合だったのか

 ディランの見たのがどんな試合だったか知りたくないだろうか。2014年4月12日(土)に行われたのは西武2回戦だ。先発は大谷翔平と菊池雄星。すごいの見てんなー。注目の花巻東高・先輩後輩対決だ。先輩菊池は6回投げて8被安打・5四死・3失点。後輩大谷は5回2/3を投げ6被安打・4四死球・1失点・10奪三振(プロ初の2ケタ三振!)。試合は3対2でファイターズが勝利し、大谷に勝ちがついている。ちなみに1番センター陽は4打数3安打の大当たり、4番レフト中田は4の1ながら1打点だ。あ、それから日暮里の懇意にしてる家の息子は西武の9番ファーストでスタメン出場、4の1で1打点稼いでいる。へぇ、ひちょりはボブ・ディランに見てもらえたんだ。

 洋楽アーティストがプロ野球を見に来るケースは稀にあって、例えば今シーズンはエド・シーランが東京ドームでファイターズの試合を見ている。4月7日の西武3回戦だ。試合前には栗山監督や中田翔と記念写真を撮り、ユニホームシャツを着込んで観戦する姿をSNSで公開している。ファイターズはこの試合の選手登場曲をすべてエド・シーランの楽曲にした。つまり、球場に来ているファンにもオープンになった観戦だ。

 ボブ・ディランはお忍びだったんだよなぁ。もし、エド・シーラン方式でディランの名曲が登場曲だったら渋かっただろうなぁと思う。『ミスター・タンブリン・マン』で小谷野栄一が、『コーヒーもう一杯』で金子誠が打席に向かう。大野奨太は『ブルーにこんがらがって』だ。もちろんそんなことにはならなかった。

 偉大なシンガーソングライターは静かに野球を楽しみ、ヒットを打った選手を記憶し、何とグッズ売り場へ向かった。試合が遠い貴賓席を断って、ネット裏から後に大リーガーとなる2人の投げ合いを見つめた。本当に素敵な話だ。石川泰士記者、本当にありがとう。僕はファイターズのファンであることを誇りに思う。

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(えのきど いちろう)

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