ファイターズ・田中賢介選手引退 すぐ泣く私がまだ泣いていない理由

文春オンライン / 2019年10月7日 11時0分

写真

9月27日のオリックス戦を最後に現役を引退した田中賢介

「ロス」が来ない。シーズン前から覚悟していた田中賢介選手のラストシーズン。優勝で花道を飾ることは出来なかった。引退セレモニーも終わったし、次の日のスポーツ新聞も隅々まで読んだし、何よりシーズンが終わってしまったし、事実は受け止めている。もう「けーーんすけーーー」とコール出来ないこともわかっている。だけど、「ロス」がまだ来ない。私はまだ、泣いていない。

“9月27日”を見ると、いつも2006年のことを思い出す

 9月12日。この日付の意味を知らないまま、旧本拠地・東京ドーム最後の試合を迎えた。北海道に移転する前の2000年入団の賢介選手にとっては大切な場所だ。調べると、なんとこの日が1軍デビューの日だった。同じ東京ドームで。2000年の9月12日、ライオンズ戦。7回の守備から途中出場、それが1軍初出場の試合だったそうだ。

「足が震えたのを覚えている」

 その19年後の同じ日に今度はその場所でのラストの試合を迎えるなんて、エピソードを聞いてファンが震えた。試合には見事に勝利し、ヒーローインタビューに立った宮西投手のサプライズでお立ち台にも立って、東京時代からのファンに別れを告げる姿は感慨深かった。

 9月27日。この日付を見ると、いつも2006年のことを思い出す。

 1位通過を決めたのが2006年9月27日のナイターだった。その後、プレーオフで優勝して日本一となる第一関門突破の日。私がHBCラジオで『ファイターズDEナイト!!』という番組を担当したのはこの年からで、日々初めてのことに追われているうちにものすごい慌ただしさでこの日を迎えていた。札幌ドームのマスコミ席は人で溢れていて、私はラジオの放送席すぐ横の階段で立ったり座ったりを繰り返しながら試合を見守った。

 あの年にレギュラーを掴んだ選手が高卒7年目の田中賢介選手だった。背番号「3」が眩しかった。あの試合で打ったホームランはその年の賢介選手の勢いを象徴しているかのようだった。

 あれから13年、2019年の9月27日。この日が今季のファイターズの最終戦であり、田中賢介選手の引退試合となった。

 5歳の息子さんが始球式をする。ベンチで見つめるパパの表情に時の流れを感じた。2番DHで試合は進む。8回裏に迎えた最終打席。モニターに映る賢介選手は涙でぐちゃぐちゃで、ベンチで見守る後輩たちも泣いていた。号泣しているのに、よく見えないはずなのに、バットはボールを捕え、ライトフェンス直撃のタイムリー。結局、この日はこの1点しか取れなかった。今年のファイターズ、最後のタイムリーを打ったのは賢介選手ということになる。

 9回には守備についた。賢介選手を慕う同じ福岡出身の中島選手との最後の二遊間だった。最終打席とは違い最後のセカンドでは笑顔で、「景色がよかった」と賢介選手はあとで言ったけれど、私たちが見た最後の二遊間も記憶に刻む素晴らしい景色だった。

ねえ、このまま本当に終わってしまうの?

 私は自他共に認めるすぐ泣くラジオパーソナリティーだ。引退セレモニーでは毎回、ティッシュの箱をマイクの横に置きながら放送している。ラジオなのでみっともない姿がリスナーに見えることはないのでありがたい。たくさん使うからそのティッシュは鼻にやさしいソフトタイプにすることも忘れない。今回だってきちんと用意していた。どれだけ泣くんだろうと自分で思っていた。どこでスイッチ入るんだ?と、自分にその時がいつ来てもいいように構えながら放送を続けていた。

 引退セレモニーが始まって、賢介選手自身の挨拶。そうか、これからも北海道に住んでくれるのか、嬉しいな。

 花束贈呈。中島選手、鶴岡選手、、渡す方がこんなに泣いてるのって珍しい。金子誠コーチ……そうだ、この厳しいショートの職人に賢介選手は認められたセカンドだった。

 場内一周……の途中で、岩本勉さん、稲葉篤紀さん、建山義紀さん、稲田直人さん、森本稀哲さんから花束。いまはスーツ姿でお仕事をするこの皆さんは賢介選手と一緒にグラウンドを駆け回った仲間たちだ。最後は6人で肩を抱き合って、何を話したんだろう。

 鳴り響く賢介コールと応援歌。胴上げ。一連のセレモニーを私は放送席のHBC・川畑恒一アナウンサーとグランドレベルの建山さんと繋いでスタジオから中継した。その間中、ずっと落ち着かなかった。

 ねえ、本当にやめてしまうの? これが終わったら本当に引退になってしまう。だって、まだ出来るのに。今日もタイムリーが出たのに。マルチなのに。ほら、だって、日本通算1500本安打にあと1本足りないのに。ねえ、このまま本当に終わってしまうの?

 スタジオでセレモニーを伝えながら、私の心の中はこんな風にずっと波立っていた。だからあんなに心配していた涙は出なかった。ただただ、駄々をこねていた。

 そして私はまだ賢介選手に駄々をこねている、諦めの悪さに自分でも驚いている。プレーバックの映像を見ては、雑誌を読んでは、過去の記事をまた引っ張り出しては、まだやってほしいのにと心の中でつぶやいて口をとがらせている。同じ年の鶴岡選手がオフは返上で練習、なんて話を聞けばなおさらで、どうして、どうしてとまだ思っている。

 だけど。コップにはもう水がいっぱいなのも感じている。溢れるのはもう時間の問題だ。こらえた分だけ、駄々をこねた分だけ、これはずいぶんと厄介なものになりそうだ。私史上最大の「ロス」、まもなく到来。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム クライマックス・シリーズ2019」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://bunshun.jp/articles/14419 でHITボタンを押してください。

(斉藤 こずゑ)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング