ワイルドな難路に「なぜこんなところに……」秘湯中の秘湯が、執念の結晶だった話

文春オンライン / 2019年10月8日 17時0分

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「どこに連れて行かれるんだ」感がある

 石川県・白山市の人々が「あの温泉はすごい場所にあるから」と口を揃える、秘湯中の秘湯がある。白山麓に位置する「 岩間温泉 山崎旅館 」だ。

 ガードレールのない断崖絶壁の部分も多い難路の先にある、小さな昔ながらの一軒宿。辿り着くまでの難易度が高いだけでなく、雪が積もるため営業は6月から11月までに限定している。

「なぜこんなところに温泉を?」取材をすすめると、とある男性の執念の物語が浮かび上がった。

 源泉から3.5キロもパイプを引き、6キロ超の道をつけてまで温泉宿を作りたかった男性の人生に迫る前に、まず「山崎旅館」への道のりを見ていただこう。

「落石注意」「路肩注意」の看板に緊張感

 9月某日、「文春オンライン」編集部2名は車を走らせ「山崎旅館」へと向かった。ところどころ立てられている「落石注意」「路肩注意」の看板にさっそく緊張感が高まる。

 つづら折りの道路を進んでいくと、じわじわと高度が上がってくる。道のすぐ脇は断崖絶壁だ。

「岩間温泉」の看板が見えてきたが、この地点でまだ2キロほど。

 さらに行くと、ガードレールどころか、路肩に何もない道も増えてくる。

 来た道を遠目で見ると、崖にへばりつくように進んできたことがよくわかる。

大型車とのすれ違いが怖い

 編集部が「山崎旅館」に向かったこの日はちょうど道路の工事があったようで、途中大型車と数回すれちがったが、これがとにかく怖かった。道のところどころにふくらみ(のようなもの)があるので、そこを利用してすれ違うのだが、結構ギリギリに寄せる必要がある。間違いなくテクニックを要する。

注……運転に自信がない方や移動手段のない方は、事前に宿に 送迎 をお願いできます。

いよいよ宿へ到着

 スリルを味わいつつ、「山崎旅館」に到着した。どこか懐かしい感じのする、こぢんまりとした宿だ。

 そして、ついに待望のお風呂へ。

 開放感抜群の露天風呂は混浴。鳥のさえずりが聞こえてきたり、大自然の中で入浴する醍醐味が味わえる。夜に入ったら、こぼれんばかりの星空も見ることができるだろう。

 お湯は加水加温、循環は一切なしの24時間かけ流し。貧血や神経痛、胃腸疾患や皮膚病への効用があるという。無色透明でほぼ無臭のお湯は、飲泉もできるそう。

 近隣集落の一里野からの所要時間は車で約20分。実際来てみて感じるのは、「本当にすごい場所にあるな」ということ。「なぜこんなところに温泉を?」という質問を、3代目館主の山崎太一朗さんにぶつけてみた。

工事に6年かかった理由

――来てみて、びっくりしました。大自然のど真ん中にありますね。

太一朗氏 ははは、ありがとうございます(笑)。「日本秘湯を守る会」の会員の方々が来られた際に、「秘湯中の秘湯だね」という言葉をいただきました。

――「山崎旅館」を作るのに、初代の山崎信一さんが大変な苦労をしたと聞きました。

太一朗氏 木の管を2000本つないで源泉から湯を3.5キロ引き、6キロの道路を作った末にできた宿なんですよ。着工は1951年。工事に6年かかったと聞いています。

――雪深い地域ですし、なかなかスムーズに進まなかったのでは。

太一朗氏 ええ。冬の間は作業できないですし、道も崩れたりもしてなかなか進まなかったようです。しかも、当時は工事もほとんど手作業。ダイナマイトでバチンとはじいて、そのがれきを捨てながら道にしていたみたいですね。

「地域の財産を守らなければ」と“脱サラ”した初代

――なぜそこまでの苦労をして、この宿を作りたかったのでしょう。

太一朗氏 岩間温泉は、昔からこの地域の人には効用が知られていた温泉だったんですよ。当時は農閑期に布団や米を担いで、小屋を建てて寝泊まりして湯治をしていたんですよね。ほとんど崖のようなところを、徒歩で通って。

 そんな温泉だったから、「集落にまで引っ張って活用しよう」という引湯計画の話は毎年のように出ていたらしいんですが、毎回頓挫していました。

 しかし、あるとき、外から大資本が入ってきて開発しようとしているという話が出まして。「地域の財産を守らなければ。自分がやる」と祖父が言い出したんです。

――それまで、信一さんは何をしていた方だったんですか。

太一朗氏 近くの発電所の職員でしたが、「岩間温泉の引湯計画を進める」と決めてから、40歳で辞めています。今で言う“脱サラ”でしょうか。

 その後、土建会社を立ち上げ、地域の人を雇い、国の補助金をもらいつつ作ったと聞いています。林道をつける費用は1割が地域負担だったので、その1割は祖父が自費で出したようです。

――ものすごい執念です。

太一朗氏 当時すでに過疎化が進んでいたことにも、危機感があったみたいですね。住民がどんどん減っていく中で、地域のために何ができるだろう、と。

「山崎旅館」完成後も、信一氏は止まらなかった

――信一さんの究極的なゴールは、地域の復興だったのですね。

太一朗氏 ええ。なので、山崎旅館を作った後には、「近隣地域の一里野にまで温泉を引っ張りたい」と一里野の地域開発に乗り出したんですよ。

――「山崎旅館」に飽き足らず……。

太一朗氏「山崎旅館」のあるところは、山や谷の狭間でスペースもないので、温泉街は作れません。雪が積もるので冬季は営業できないですし。

 ですが、「山崎旅館」からさらにくだった場所に尾添という集落があって、そのすぐ上の一里野という平野で田んぼなどを耕して暮らす人が多かった。それならば、一里野まで温泉を引っ張ったら、みんなで温泉街を作れるではないか、と。

 当時、県がダム建設やスーパー林道(*)を作る計画を進めたがっていたこともあり、県側と「じゃあ一里野の地域開発を一緒にやりましょう」という話に至ったようです。その枠組をまとめている最中の1970年、59歳で祖父は亡くなってしまったのですが。

*スーパー林道……60年代から90年代にかけてつくられた高規格林道。ここではのちに観光道路化した「白山白川郷ホワイトロード(旧・白山スーパー林道)」を指す

――最後まで見届けられなかったのですね。

太一朗氏 そうですね、残念ながら……。でも、その6年後、地域の方々の尽力や県の協力によって、一里野に温泉が到着しました。

 岩間温泉の源泉から一里野まで、計10キロ引っ張っています。源泉では100度くらいある温泉なんですが、10キロ運ばれるうちに、一里野には50度ぐらいで到着するんですよ。

――それでも50度もあるんですね。

太一朗氏 ええ。おかげで湯を沸かす必要がなくて、他の温泉地に比べて経済的に有利なんです。しかも、毎分約600リットルの温泉が今も脈々と注がれているので、この地域の温泉はすべて源泉かけ流し。これがあるからこそ、地域が成り立っているという“生命線”みたいなものかな、と。

 温泉が到着した翌年の1977年には祖父の意志を継ぎ、家族が自宅だった古民家を移築して、一里野高原ホテル(現「一里野高原ホテル ろあん」)を作りました。白山一里野温泉スキー場もオープンし、今の一里野の原型が完成したわけです。

――70年代に、すでにスキー場が。

太一朗氏 そうなんです。当時はスキーってまだまだ一般的でなくて、「こんなの作って、客なんてくるのか」という感じだったらしいんですけど(笑)、バブルでブームが到来して……。

 スキー場に関しては誰が言い出しっぺなのか分からないのですが、祖父が書いた手紙にも言及はあります。

次から次へと新しいことをやるから、いつもお金がなかった

――やはり、信一さんは先見の明がある人だったのでしょうか。

太一朗氏 どうでしょう。とにかく新しいこと、洒落たことが好きな性格だったことはたしかですね。「山崎旅館」も、こんな山奥ですけど、当時珍しかったジュークボックスを入れたり、結構凝った作りをしてあるんですよ。「岩間音頭」という音頭を作ってみたり。

 旅館にお客さんが来るようになって、ある程度形になっても、また次のことにお金をかけちゃう。次から次へと新しいことをやるから、いつもお金がなかったというようなことは聞いています。

旅館を継ぐことへの抵抗は?

――太一朗さんは3代目ですが、旅館を継ぐことに抵抗はなかったですか?

太一朗氏 いやあ、ずっと継ぐものだと思ってました。祖父が旅館を作るのに、どれだけ苦労したかさんざん聞かされて育ったから……洗脳されていたんでしょうか(笑)。

 それよりも、祖父をはじめとする家族が遺してくれた宝を守りたい、という気持ちが強いです。正直、経営の厳しさは感じているので。

――どのような難しさがあるのでしょう。

太一朗氏 昔は岩間温泉を結ぶ路線バスが走っていた関係で、「山崎旅館」に登山客の方がたくさん来てくださっていました。ですが、路線バスが廃線になり“足”がなくなると、来てくださる方が減ってしまった。

 一里野にも、一時期年間30万人のスキー客が来られていたのですが、バブルがはじけてからは客足が減り、昨年来られたスキー客は5万人ほど。

 でも、岩間温泉や一里野って、すごくポテンシャルのある地域だと思うんですよ。素晴らしい温泉もあるし、自然や食文化も豊か。それに、金沢市のすぐ近くなのに、こんなに雪が積もる。特に東アジアや東南アジアの方にとって雪見観光する場所としてのポテンシャルがあるんじゃないか、と。

――白山麓地域の魅力は、まだまだ発見されていない。

太一朗氏 ええ、心の底からそう思っています。最大の課題はやはり交通の便なので、僕の代で新たにバス事業なども立ち上げまして、未だに赤字ですが、こちらの売上はかなり伸びてきています。

 他にも、旅館でお出しする料理に地元のものやオーガニックのものをたくさん取り入れるなど、地域の宝をとにかく生かしていく方向に改革しているんです。

――太一朗さんにも、信一さんのような“執念”を感じます。

太一朗氏 僕なりに、祖父を意識しているようなところはあります。自分でも知らないうちに後追いしてたりしますが、人間の大きさ的にみても、自分は祖父には到底なれないな、と。

 祖父とはまた違う方法で、岩間温泉や一里野を盛り上げていきたいですね。

取材協力=白山ろくスローツーリズム研究会
写真=山元茂樹/文藝春秋

(「文春オンライン」編集部)

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