“節税の教祖”が緊急提言「消費税減税の財源はある。断行すべきは消費税のサプライズ減税」

文春オンライン / 2019年10月17日 6時0分

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富岡幸雄氏 ©文藝春秋 

 いま必要なのは消費税の増税ではない。減税だ! 新書『 税金を払わない巨大企業 』で話題をよんだ、税制研究73年となる筆者が説く日本経済復活の秘策。

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断行すべきは消費税のサプライズ減税

 日本経済が失速してから約30年が経過し、とうとう平成のうちに回復することはありませんでした。これまで安倍晋三首相は、「あらゆる政策を動員し、GDP600兆円を達成する」と非常なる意欲を示してきましたが、施策として挙げられているのはスローガンの羅列にすぎず、肝心の中身が抜けています。

 その一方で消費税については、2019年10月から10%へと税率を上げる決断を下しました。

 しかし、この増税は景気対策に逆行しています。なんとしてもデフレから脱却しなければならないのに、日本経済へ冷水を浴びせるどころか、大打撃を与えてしまう最悪のシナリオです。

 いま、なすべきことは「消費税のサプライズ減税」を断行することです。世間の意表をついて税率を2014年以前の5%に引き下げる。これによって国民を喜ばせ、消費意欲を喚起して内需を拡大する。これを日本経済復活への導火線とするべきです。

消費税減税の財源はある

 こう言うと、かならず「財源はどこにあるのだ」と異を唱える層が出現するでしょう。

 財源はあります。増税の必要もありません。

 これまで寛大な法人税制の様々な恩恵をうけながらも、過去最高となる約446兆4844億円(2017年度)もの内部留保(利益剰余金。金融・保険業を除く)を積み上げている大企業に、「まとも」な納税をしてもらえばいいのです。

 いま日本の法人税制は、企業活動のグローバル化にともない、課税逃れもグローバル化したことによって崩壊しかかっています。国境を超えた企業活動に対して、国単位の税制が追いついていないのです。また租税特別措置など大企業への優遇措置も目に余るものがあります。こうした状況を是正し、法人税制を再建することによって、私の試算では約9兆円の増収が期待できます。この増収を減税の財源とすればよいのです。

実質的な負担は低い日本の法人税

 すると大企業を中心とした財界、多くのメディア、官僚にミスリードされた人たちは、こう叫ぶことでしょう。

「日本の法人税は高い。これ以上、負担を増やすと、ますます企業が海外へ流出して、日本国内の空洞化が進んでしまう」

 実際は違います。詳しくは後述しますが高いのは法定税率という数字だけであり、実際の税負担は極めて低いのです。しかも企業規模が拡大するにつれて負担率は低下しており、名だたる大企業であっても、「極小」と言っても過言ではない額しか納付していないケースもあるのです。

 2014年9月に刊行した『 税金を払わない巨大企業 』(文春新書)において、私はデータを精査・分析して納税額の少ない企業の実名を挙げ、この驚くべき事実を明らかにしました。こうした企業の税負担を本来あるべき水準に是正すればよいのです。

 ところが安倍政権では、私の提言とは反対に、消費税の増税と企業減税をセットで推し進めようとしています。

 もとよりグローバル経済において、企業は国際競争力の確保が肝要であり、必要以上に重い税負担を課すべきものではありません。「企業いじめ」は企業の活力をそぎ、ひいては国を滅ぼすことも重々承知しています。しかし問題は、日本経済の基盤となり、リーダーとなるべき巨大企業の税負担が、あまりに過小なことなのです。

 日本の稼ぎ頭である大企業に、法律で定められている程度の税の負担を求め、その増収分を財源にして、多くの国民を苦しめている消費税を減税する。くり返しになりますが、これこそ日本経済を活性化させ、社会を明るくし、国民に希望をもたらす一石数鳥となる切り札なのです。

 この「民のかまどをにぎわす善政」をほどこすことにより、安倍首相は「令和の仁徳天皇」として多くの国民から絶賛され、後世に名を残すことは間違いありません。

税制とともに生きて73年

 この本は73年間におよぶ私と税との関わりの集大成になるでしょう。

 1944(昭和19)年、学徒出陣で召集された私は、派兵された外地から命からがら帰国し、郷里山梨の大月税務署へ入りました。

 召集前、旧制横浜高等商業学校(横浜国立大学経済学部の前身)で学んでいた私は、復員したら大学で経済学を学ぼうと思っていました。ところが日本へ戻ってくると、周囲は一面、焼け野原です。東京へ出て経済学を学ぶことなど夢のような話でした。そこで税務署へ奉職したのです。

 しかし向学の思いはやまず、勤務のかたわら中央大学法学部の夜間部へ入学しました。役所の勤務が終わって東京・神田駿河台の校舎へ向かい、帰宅は混雑を極めた深夜の夜行列車です。若かったとはいえ大変でしたので東京へ異動させてもらい、中野や新宿、そして日本橋の税務署に勤務しながら学問を続けました。1949(昭和24)年に第一回の公認会計士試験(第二次試験)に合格したときは法学部の3年生で、日本橋税務署の法人税調査官でした。

 1951(昭和26)年に税理士法ができて、税理士試験に合格したときは東京国税局に勤務していました。このときは前夜から窓口にならび、受験番号1番の受験票を手に入れました。その試験で合格したのですから、私は文字通り日本の税理士第1号なのです。

 国税の現場にいたときは、脱税摘発に大いに奮闘しました。毎年のように脱税の摘発件数と摘発額が日本で第1位になり、模範職員として表彰され、二階級特進しました。

 その一方で、国税の現職でありながら、「節税」という言葉を生みだして大騒動を巻き起こしたこともありました。わが国で最初の節税の本『租税節約の話』(中央経済社、1959年)を刊行したのです。

「徴税担当者が課税を減らす方法を公けにするとは何ごとか」と、懲罰にかけられそうになりましたが、税法に違反することは何ひとつ書いていませんでしたので、役所は免職にすることができませんでした。

 脱税など違法なことをしなくても、税法を勉強すると、合法的かつ合理的に、納める税金を安くすることができるのです。節税は納税者・国民の権利であり、英知なのだということを説いたのです。私は「節税」という概念と言葉を生みだした「節税の教祖」として一世を風靡し、世に節税ブームが巻きおこりました。

税制のゆがみを正せ

 私が「節税」を唱えたのは、国税当局の人間ではありましたが、「税金は取れるだけ取ればいい。多ければ多いほどいい」とは考えていなかったからなのです。

 重要なのは、税制の大原則である「公平・中立・簡素」、そして負担能力に応じて納税する「応能負担原理」、これにのっとって税を納め、国と社会に貢献することです。

 そのためには大本である税制が大原則から外れることがあってはいけません。税の現場から大学での研究に転じて以降も、税制はどうあるべきかを生涯のテーマにしてきました。

 ところが近年の税制の動向をみると、政治が不当に介入してきたことにより、大原則に反する改定や財源あさりなど異常なことが少なからず見うけられます。

 その最たるものが消費税の導入であり、その税率の引き上げです。それに大企業優遇という不公平も一向に是正されないどころか、安倍政権下では、それに拍車がかかっています。また税制や国際課税ルールがグローバル化したビジネスモデルに追いついていないため、国際的な課税逃れが横行し、その結果、富の再配分機能といった税の社会的な機能が損なわれています。

 戦後税制とともに生きてきた私には、このような状況を看過するわけにはいきません。税制のゆがみは、私の人生がゆがめられているようなものであり、それには耐えられないのです。そうした思いから、 この本 を書きました。

  本書 が、日本の税制をただすための起爆剤となり、さらには日本活性化の導火線となれば、それに勝る喜びはありません。

(富岡 幸雄)

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