《ラグビー秘話》「ナンバー8」姫野はなぜ母校に通い続けるのか 高校恩師への感涙メール

文春オンライン / 2019年10月19日 21時7分

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インタビューに答える宮地真監督

 アイルランド、スコットランドなど強豪を破り、破竹の4連勝で史上初のW杯決勝トーナメント進出を決めたラグビー日本代表。激闘が続く試合の中で、攻守に渡りチームを救ったのが「ナンバー8」の姫野和樹(25)だった。その力の源泉はどこにあるのか。ルーツを探ろうと、姫野の母校・中部大春日丘高(愛知)の宮地真監督(54)に聞いた。

英語の勉強を始めた訳

〈めちゃくちゃ嬉しいです。明日の試合に向けて気合が入りました。英語はとりあえず忘れて、ワールドカップ終わったら、死にもの狂いでがんばります〉

 大番狂わせとなったアイルランド戦の直前、宮地監督が姫野に高校関係者の応援メッセージを集めた動画をLINEで送ると、こんな言葉が返ってきたという。姫野はいまも母校の教諭に付いて英語を学び続けている。「英語はとりあえず忘れて」とあるのは、応援動画の中に、英語教諭のメッセージがあったからだ。

「姫野が在籍していたときの顧問が英語教諭で、彼は2年くらい前からラグビーの練習の合間に先生の自宅に通って英語を勉強しています。やっぱりレフリーとのコミュニケーションも必要ですし、チームメイトにも外国の選手が多いですから、英語が必要だと感じたのでしょう。その英語教諭も、まさかこんなスーパースターになるとは思っていなかったから、自分の家のソファーで勉強しているなんて驚きでしょうね」(宮地監督)

 愛知県名古屋市出身の姫野は、中学時代にラグビー(12人制)を始め、早くも頭角を現す。中学2年ですでに身長180センチにもなり、当時から圧倒的な体格と抜群のセンスで、“怪物中学生”として「姫野」の名は全国に轟いていた。姫野との出会いを、宮地監督は懐かしそうに振り返る。

「姫野が中学2年の時から、『スゴい奴がいる』と噂になっていましたから、彼の存在は知っていました。中学3年になって、私もどこかのタイミングでスカウトしたいと思っていた。それで彼の試合を観に行ったら、姫野のほうから私を見つけて、『春日丘の先生ですよね? 僕、春日丘でラグビーしたいんです』と言ってきた。今でも鮮明に覚えています。

 当時の春日丘は実力はありましたが、花園(全国高校ラグビー大会)には一度も行ったことがありませんでした。それでも春日丘の、徹底して人がいない所にボールを回すラグビースタイルに憧れていたようで、入学することになったんです」

 姫野は、高校入学するとすぐに頭角を現した。

「姫野の魅力は1人で3~4人分に匹敵するパワーがあって、運動量とインパクトがズバ抜けていること。姫野みたいな選手がチームにいると、相手は左右のタックルに加えて、その後ろにディフェンスも必要になり、相手は3人掛がかりになる。その時点でオーバーラップが起きて、フリーになる選手が生まれるんです。それまでも能力的に高い生徒はいましたが、190センチ近い体と高い身体能力を兼ね備えた選手は見たことありません。姫野は1年生の5月から試合に出場させました」

姫野を育てた「あの敗北」

“姫野効果”はすぐ現れた。姫野が入学した2010年の冬には、春日丘は念願だった花園出場を勝ち取った。以来、同校は花園の常連校として昨年まで6年連続8回出場しているが、ただ1回だけ花園を逃した年があった。

「姫野が高校3年生のときに県大会の準決勝で負けてしまったんです。彼は根っからの負けず嫌いだから、そのときは腸が煮えくり返るくらいのしんどさだったと思います。時々、あの時のことを考えるんです。成功は失敗という言葉がないと生まれないですよね。あいつも数々の悔しい負けがあったでしょうが、負けが成功へのアプローチに繋がる。負けや失敗は大事。私は高校時代のあの敗北が、その後の姫野の躍動に繋がったのではないかと思っているんです」

 中学時代から活躍し、入学当初からレギュラーメンバーに選ばれるスター選手だった姫野。一方、学校生活でも他の先生から『要領よくやっている』と言われるような評価で、赤点を取るようなこともなかったという。そんな彼に、恩師が高校の3年間にわたって言い続けたのは“謙虚”でいることの大切さだった。

「ラグビー以外では姫野にこんなことを言いました。『人の話は聞かなきゃ損だからな』と。話を聞くためには、まず相手に話をしてもらわなくてはいけない。そこで必要なのは、謙虚な姿勢と態度だと。謙虚じゃない奴に誰もアドバイスはしてくれない。『お前は表舞台に立てる人間だから、常に鏡を見て自分を確認しなさい』と、口酸っぱく言いました。だから、いま記者さんやテレビの人に姫野選手はどんなにしんどい時も質問に答えてくれて、笑顔で対応してくれるという話をきいて、とても嬉しく思いますね」

全治1カ月のはずが翌日復帰

 一番思い出に残っているのは、姫野の尋常じゃない「ケガの回復力」だと語る。

「高校3年のとき、姫野は足の内側の靭帯を痛めて完治まで1カ月くらいの重傷を負った。それが、翌日にはテーピングをして『これでいけます、先生。昨日と全然足の状況がちがいます』と。それで実際にいつものようにプレーできていたんですよ(笑)。今回のW杯でも、スコットランド戦前にケガで欠場するかもしれないという報道がありましたが、欠場せずに済んだのは、前向きな気持ちと、あの回復力でグラウンドに立つ努力をしたんでしょう。

 ただ、痛みに強い分、我慢できてしまうから高校卒業前には足の甲の疲労骨折をしてしまいました。体重の負荷が掛かってしまう箇所で、帝京大学に進学しても完治せず、腰の骨を移植する手術をした。大学に入学した当初も試合にも出られなかった。

 心配していたら、帝京大の岩出雅之監督から『足が治っても、この子は将来があるので無理はさせません。出場させても試合の半分だけにします。近い将来、日本代表に入る選手ですから』と。姫野は選手層の厚い帝京に進んで本当によかった。選手の少ない他の大学だったら、無理して試合に出ていたかもしれません。そして姫野自身も大学へ行って成長しました。あいつのメールの文章も、それまで『こんばんわ』だったのが、『こんばんは』になったり(笑)。しっかりした言葉を使うようになって、岩出監督からちゃんと指導を受けているなと感心しました」

〈いいチームだからこそ、勝てました〉

 帝京大学で4年連続日本一を経験し、2017年にトヨタ自動車ヴェルブリッツに加入した姫野は、社会人1年目から日本代表入りを果たした。それでも母校と距離をとることはなかった。

「毎年、夏合宿が終わる頃に学校に顔を出しに来てくれて、日本代表やトヨタのウエアを頑張った生徒にいっぱい配ってくれます。中には、姫野の足のサイズ、31センチのスパイクもあって、もらった生徒は大きくて履くわけもいかず飾っているそうです(笑)。数年前の花園の壮行会では、足のケガで試合に出場できなくなってしまった当時のキャプテンを見つけて、姫野は自分のジャージにサインして渡して『最後までがんばれよ』って激励していた。そんな後輩思いの子ですよ」

 激闘のスコットランド戦も、恩師は姫野を見つめていた。

「ディフェンス勝負だと思っていましたが、早い段階で点を取られて……。でも、あの声援が後押ししましたよ。80分間、あの大きな相手にリアクションできるなんて考えられない。きっと、ジャパン全員がこれまで私たちの想像を超える練習を積んできたんだと思います。転んで起き上がる意識の高さ、それを後押しする7万人の声援。姫野はディフェンスとボールの繋ぎに徹していた。ラックですぐにサポートに入って、仕掛けながら外にパスを投げて。要所で強いアタックとジャッカルも素晴らしかった。あいつは高校の時からラグビーの偏差値が高いから、試合中でも余裕があるんですよね。本当に姫野はラグビーが好きなんだと思います」

 W杯で格上のアイルランド戦に勝利した後、恩師と姫野はこんなメールを交わしていた。

〈いいチームだな〉(宮地監督)

〈ありがとうございます。いいチームだからこそ、勝てました〉(姫野)

 10月20日行われる決勝リーグ初戦は、世界ランク5位の強豪、南アフリカが相手。グラウンドで満開の桜が再び吹き荒れるのだろうか。

《ラグビーW杯》“ジャッカル”姫野のぽっちゃり少年時代 中学恩師が「私も吹っ飛ばされた」驚異の体幹 へ続く

(「週刊文春デジタル」編集部/週刊文春デジタル)

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