ビームス社長が阿川佐和子に明かす「43年前、原宿の6.5坪の個人店が全国160店舗以上になるまで」

文春オンライン / 2019年10月29日 7時0分

写真

BEAMS代表取締役社長設楽洋さん(左)と阿川佐和子さん

10月29日の発売とともに、業界内外を騒がしている異色のコラボ増刊「ビームス×週刊文春」。そのなかから『週刊文春』の名物コーナー「阿川佐和子のこの人に会いたい」BEAMS設楽洋社長編をご紹介します。

◆ ◆ ◆

原宿の片隅から始まったビームスを父から引き継ぎ、様々な業態に広げた設楽さん。43年を迎えた現在でも、気になる存在でいるために必要な「コクとキレ」についてうかがいました。

もともと新光株式会社という段ボールを作る会社だった

阿川 設楽さんとはこれまで2回ゴルフをご一緒したことがありますが、ゆっくりお話しするのは初めてで。経歴を拝見したら、慶應義塾大学の1個上の先輩だったのね。

設楽 そうそう。僕のほうは学生時代から阿川さんのことを知ってましたよ。

阿川 嘘でしょ!?

設楽 ほんと。ちっちゃくて可愛い子がいるなあって(笑)。

阿川 ホホホ。昔は可愛かったの(笑)。本日、ここ原宿のビームスの本社にうかがう前に、久々に原宿の街を歩いたら、私が高校、大学生の頃は、マドモアゼルノンノンとかMILKとかビギなど、とんがったブティックがあるくらいだったのが、いまや服屋さんだらけで。

設楽 阿川さんの学生時代から数年後の1976年にビームスが出来るんです。ビームスは元々、僕の父親が創業して、その創業の1年前に僕は大学を卒業して電通に入社していまして。

阿川 お父様は元々ファッション業界でお仕事されてたんですか?

設楽 (手を振って)全然。親父は、新光株式会社という段ボールを作る会社をやってたんです。ただ、当時オイルショックがあって紙の値段が上がったことによって、このままだと将来がないと思ったんですね。そのときに、いままではものを包む仕事だったけど、今度は人を包みたいと言い出して、飲み屋で知り合った人を介してファッションに詳しい青年に出会った、それが現在のユナイテッドアローズ名誉会長の重松(理)さんなんですが、彼にお店を任せてビームスを始めたんです。

阿川 ちなみにビームスの名前はどこから取ったんですか?

設楽 親父がやっていた新光株式会社の「光」から取りました。後に3つの意味を持たせて。

阿川 3つの意味?

設楽 ビームっていうのは光線だから、新しいものに光を当てる。そして、梁という意味もあるので、屋根の梁のように、みんなで支え合おうということ。そして動詞にすると、ビーミングフェイスというように、太陽に向かって微笑むという意味も出てくる。みんなにハッピーな微笑みを提供しようという、3つのスローガンが増えたんです。

ネズミ捕りは売れなかった(笑)

阿川 へぇ~。ビームスは最初からセレクトショップだったんですか?

設楽 当初“アメリカンライフショップ”と看板に掲げていました。服だけじゃなく、ちょっとした生活用品も置いていたんですよ。

阿川 たとえばどんなものを?

設楽 ネズミ捕りとか。これは売れなかった(笑)。あとはお香のキットも置いてましたね。

阿川 いまや流行なのにねぇ。

設楽 そうそう。だから、早すぎることがいいことではないんです。まだ文化が根付いてないときに商品として置いても支持を得られない。

阿川 設楽さんはその時点で、どうやってアメリカ文化に触れることができたんですか?

設楽 当時は皆がアメリカに憧れた時代ですよね。僕は学生時代、海でよく遊んでいた縁から、米軍キャンプの人と知り合いになって、彼らがバザーを開くときにアメリカの品物を見て、「これがアメリカか! こういうのが欲しい」と思ってましたけど、日本では売ってるところがなかったんです。

阿川 たしかに昔は舶来物というと上野のアメ横に行かないと買えないって思ってた。

設楽 アメ横か、福生か、横須賀ですね。でもそこにあるのは米軍放出品で、日本人にはサイズが合わないものが多かった。あとは百貨店で売ってるようなスーパーブランド。その中間がなかったんです。親父がファッションをやるぞ、と言ったとき、「じゃあ、欲しかったけど、日本では買えるところがないアメリカのものを置こう」と進言しました。

設楽さんは電通の社員だったんでしょ?

阿川 でも当時、設楽さんは電通の社員だったんでしょ? 元々、広告マンになりたいと?

設楽 どちらかというとクリエイターになりたかったんでしょうね。だからいまだに職人さんだとか大工さん、ミュージシャンなど、一芸に秀でた人に対して、憧れとコンプレックスがあります。自分自身、音楽をやったり、絵も描いたんですが、どれも本当にすごい人にはかなわないと大学時代に気がついて。その中でも一番クリエイターに近い仕事ができるのはコピーライターなど、広告の世界かなって考えました。

阿川 当時はコピーライターが出始めの頃ですよね。

設楽 はい。ただ結局、電通で僕はコピーライターではなく、イベントプロデューサーのような仕事をするんです。良かったのは、電通にいたことで、それなりに早く情報を得ることができたので、7年間、リサーチャーとして無償でビームスをお手伝いしてました。その後、電通を辞めてビームスに入社するんです。当初はアメリカの情報がなかなかなくて、ビームスのスタッフたちの間で、いまアメリカで“ニケ”っていう運動靴が流行ってるらしいぞ、と言ってたくらいで。

阿川 アハハハハ。

設楽 買い付けて店に並べる頃になって、「どうもこれ、“ニケ”じゃなくて、“ナイキ”って読むらしいぞ」と(笑)。

阿川 その頃、ナイキのシューズ以外には何が売れました?

設楽 プレッピーブームがあったので、ロゴトレーナーがバカ売れする時代がありました。それでなんとか経営的にめどがつきましたね。

阿川 文字がプリントされたトレーナー?

設楽 そう。当初はUCLAの生協に行って大量に買い付けたりしたんですよ。

阿川 それ、税関で怪しまれなかったんですか?

設楽 もう時効ですけれど、初期の頃、税関に問い詰められたことが。靴を大量に持って帰って、「これ売り物だろう」「いえ、僕らのサッカーチームの靴です」と誤魔化したなんてエピソードがあります(笑)。

原宿の6.5坪の店からスタートした

阿川 うちはチームのメンバーが100人以上いてねえ、とか言って?(笑)

設楽 そんな感じだと思います(笑)。最初は原宿の6.5坪、売り場面積は7畳の店からスタートしたので、直接買い付けに行くしかなかったんですね。

阿川 そもそも、ビームスの1号店が原宿にオープンしたのはどうしてだったんですか?

設楽 それまでの戦後の風俗・文化って夜に生まれたんです。赤坂や六本木、新宿なんかに文化人が集まる店があって。それが、学生運動が終わった頃、スコーンと晴れた青い空になって、いままで夜の世界にいた人たちがサーフィンやったりスケボーやったりするようになった。それで原宿に彼らが集まるようになって、「原宿に風が吹いてきているな」となったんです。

阿川 じゃあ、設楽さんの思いつきで原宿に?

設楽 その部分もあります。とはいえ、最初は原宿の片隅だったから、なかなか人は来てくれませんでした。それこそ、デザイナーの人や、僕と親交のあった平凡出版(現・マガジンハウス)の編集者が「ビームスっていう小さいけど、面白い店が出来たぞ」となって来てくれるくらい。大学時代から、当時平凡出版にいた小黒(一三)と僕が友達だったこともあって、彼を通じて人脈が出来たり、情報を教えてもらったりしたこともありました。

阿川 あ、“ロハス”という言葉を世に流行らせた、有名な小黒さん!

設楽 そう。その頃、電通は築地にあって、橋を渡った銀座に平凡出版があったんですね。ある日、橋を歩いていたら小黒が歩いてきて「いま『平凡パンチ』を作ってる」と言うの。彼から「アメリカに行ったらこういうのを買い付けたらいいよ」とか、スタイリストを紹介してもらって。

阿川 へぇ~。最初は、小黒さんの助けもあったんですね。

設楽 確実にありました。平凡出版で『POPEYE』が創刊されてまもなくの頃で、『POPEYE』にビームスの紹介記事が載ったことで初期はなんとか持ちこたえました。

経営的に「もうだめだ」と思ったことは?

阿川 これまで、経営的に「もうだめだ」と思ったことはないんですか?

設楽 何回かありましたよ。ファッション業界は、グーッと伸びていったときにパタッと止まるときがあるんです。それで在庫を抱えてしまうのが、苦しくなるパターンですね。うちは初期はメンズ中心だったから、なんとかなったんですが。

阿川 レディース中心だと違うの?

設楽 違いますね。メンズのファッションは緩やかに流行が来て、緩やかに落ちるけど、レディースはグーッと行って、ドンッと止まるんです。だから、レディースをやってると一気にビルは建つけど、あっという間に「あそこの社長どこに行ったの?」という事態にもなりやすい。ついこの前までフェラーリに乗ってブイブイ言わせてたのにっていう人が、簡単に消えるんです。

阿川 えー、怖~い。

設楽 たとえば、ブーツがものすごく流行って、「ブーツを仕入れろ、倍々ゲームで生産しろ」なんてやってたら、急にミュールが流行って、ブーツが全く売れないなんてことがありますから。

阿川 なんでそうなるんですか?

設楽 女性の場合、ファッションを感性で選ぶ人が多いと思うんですよ。逆に男性は、あんまり気に入らない服でも、説明を受けているうちに欲しくなったりする。女性は、説明はいい、嫌いなんだから要らないって、すごくはっきりしている気がします。

阿川 でも感性で選んでるといっても、流行は激しく気にしますよ、女は。

設楽 遅れてると思われたくないというのはありますね。ただ、ごく一部のものすごく早い人たちは、流行になる前にまったく違うことをやってるんですよ。我々は一番早い人のことをサイバーと呼んでるんですけれど。

阿川 ビームスに関する資料を読んでいるときにその用語が出てきました。ビームスではお客さんを何層かに分類してらっしゃるって。

設楽 サイバー、イノベーター、オピニオン、マス、レイターですね。各層がピラミッド状になっているイメージです。

阿川 サイバーとイノベーターの違いというのは?

設楽 サイバーと呼んでいる人は、我々常人から見ると、変わった人で、アーティストに近いんです。それがサイバーなのか、ただの変人なのかは、その人の遍歴を見ないと分からない。たとえば、世の中が数年後、みんな志茂田景樹さんみたいなファッションになっていたら、志茂田さんはサイバーにあたるわけです。そんなサイバーをイノベーターは見ていて、同じように、オピニオンがイノベーターを見ている。最後のレイターは、流行にほとんど興味がない人たちになります。

「半可通は絶対に通にはなれない」

阿川 私はレイターだな。設楽さんはどこに属してるんですか?

設楽 僕はマスの上くらいだと思います。同世代だと流行を早めに掴んでいると思いますが、ファッション業界の中だと全然たいしたことないし。

阿川 そうなの!?

設楽 うん。この階層って実は、江戸時代からあるんですよ。当時はピラミッド型の一番上に「通」がいて、真ん中が「半可通」、いわゆるミーハーですね。そして一番下に「野暮」がいた。で、半可通は絶対に通にはなれないんですよ。それは通を見ているから。自分は最近おしゃれになったと言っても、流れが落ちてきただけなんです。

阿川 要するに誰かの真似をしているだけだと。

設楽 ええ。通の人の「羽織の裏地はこうなんだよ」というのを真似しているのが半可通ですね。ただ、野暮は通になる可能性があるんです。何が来ようと俺には関係ない、これが好きなんだからいいんだよという精神があるから。

阿川 そっか、トップも下も、ある意味流れに乗らない族なんですね。

設楽 難しいのはサイバー相手ではビジネスにならないんですよ。イノベーターくらいまでの動きを見ることで、次の1シーズン、2シーズン後を見るというような感じでしょうか。ビームスでは、マスの上から3分の1までを顧客と想定して商売をしています。

「流行の予測は早い人たちを見れば分かる。難しいのは引き時」

阿川 そもそもサイバーなり、イノベーターはどこにいるんですか?

設楽 社内にも一定数いますし、店舗で定点観測もしています。お客様の中にとてつもなく早い方がいるんですよ。彼らが興味を持っているものが、次に来るんです。

阿川 それは「いらっしゃいませ」だけの関係じゃ分かりませんよね。

設楽 分かりません。だからビームスの店員は、お客様と色々話すなど、コミュニケーションを取るようにしています。逆に僕なんかはマスだから、僕が手を出すような商品は、そろそろ引かなきゃいけないって、社員は感じてるんじゃないかな(笑)。

阿川 社長が着始めたぞ、よし、いまが引き時だって(笑)。

設楽 「設楽さん、よく次の流れが分かりますね」なんて言われますけど、流行の予測は、早い人たちを見ていれば分かる。難しいのは引き時なんです。在庫のリスクもあるけれど、同時に早い人から「まだこんなものを大きく展開しているのか」と思われたら、彼らが去ってしまうから。

阿川 じゃあ、まだ何万着売れそうだと思っても、思い切って引き上げる?

設楽 やります。それが出来なくなったら、陳腐化になってしまいますね。現在はビームスは全国に160店舗以上あり、ビジネスとして大きくなっているから、ある程度マスも相手にしなきゃいけないけど、必ず通が来たときにうなるものを置いておかなきゃいけない。売上データを見ると、そんなものほとんど動かないけれど、置いておくことに価値があるんです。

秋元康さんに言われた「ビームスと近いよね」

阿川 商売って難しいのね……。

設楽 難しいですけど、そこが勝負どころですからね。昔、秋元康さんと対談したことがあって、彼が面白いことを言ってたんです。おニャン子クラブをプロデュースしていたとき、作曲の後藤次利さんに対して、「この子たちのファンはラジカセで聴くから、音質にこだわる必要はないよ。ただし、プロが聴いたときに『なに? このコード進行?』となるものを入れておいてね」と伝えたそうなんです。

阿川 どういう意図で?

 

設楽 それがバカにされないコツだと。続けて、秋元さんに「ビームスと近いよね」と言われたんです。そのとき「スゲェな!」と思いましたね。

阿川 「秋元さん、わかってるじゃん!」となった?

設楽 なりました(笑)。うちの場合だと、要するにイノベーターくらいの人たちが店に来たときに「ああ、やっぱりこういうものまでちゃんとやってるんだ。たまにチェックしなきゃまずい」という風に思わせないと続かないんです。

阿川 ほうほう。それは社員の方も共有してる感覚なんですか?

設楽 していますね。社内ではよく「コクとキレが必要だ」と言ってるんですけれど。

なぜビームスを全国160店舗にまで広げたか

阿川 ビールにたとえて?(笑)

設楽 うん。コクというのは本流のいいもので、キレというのは一瞬にして「クーッ」となる要素ですよね。キレだけだと一瞬で終わっちゃう。たとえば週刊文春でも、強烈なスクープもあれば、コクのある連載もある。その両面が大事で、どういう風なバランスで展開していくかなんです。

阿川 それに気付いたのはいつ頃なんですか?

設楽 それこそ、80年代の最初、先ほど言ったようにロゴトレーナーの大ブームがあったときに気付きました。このまま行くとまずい、ビームスはロゴトレーナーしか売ってないと思われる。売上の半分を占めているけど、やめようとなりました。

阿川 その決断は勇気が要ったでしょうね。

設楽 でも、他店もそれに気付いて、やめたところから残っていますよ。その後も同じようなことが何回かありましたね。一時期、ビームスのオレンジの袋が街中にあふれたことがあって、これもやめました。そこから十数年経って、「あれ懐かしいよね」という声が出てきたんで、いまはちょっと形を変えて復活させましたけど。

阿川 ビームスは全国に160店舗以上あるとおっしゃっていましたが、事業として広げようと思った理由は?

設楽 自分たちが本当に作りたいものや、仕入れたいものを揃えるためですね。海外からこれを仕入れたいと思っても、最低これだけ買ってくれないとうちは売らないというものがあったりしますから。あとは、ビームスが世の中の風俗・文化を変えていこうというときに、ある程度各地に店がないと、その声が広まりませんよね。

「ユーミンがちょっと先輩で、同期が永ちゃん」

阿川 ははあ。原宿の片隅から始めて43年で、そこまで広がった。

設楽 芸能界でいうと、ユーミン(松任谷由実)がちょっと先輩で、同期が永ちゃん(矢沢永吉)。少し下がサザンオールスターズですね。彼らだって、どんどん出てくる新しい人と対等に戦っているわけじゃないですか。ファッションも同じで、原宿を見てても、新しいものは出てくるけど、ほとんどが一発で消えていくんです。そんな中、43年もやってこれたのは奇跡ですよね。今後5年、10年続けられるかは、不安もありますよ。

阿川 どんな不安? 今の若者にとって、ビームスはもはや老舗の部類に入っているでしょう?

設楽 そう。もう分かってるから見なくていいと思われたらまずいですよね。僕はブランディングって山手線ゲームみたいだと思っていて。

阿川 山手線ゲーム?

設楽 たとえば、今日原宿で服屋さん5店舗を回ろうと思ったとき、頭の中で、この店の次はこの店、というように山手線ゲームをやっているんですよね。その際、最初の3軒はいま評判の店ですよ。うちはそれなりの歴史になったので“いま評判”という訳にはいきませんから、なんとかして残りの2軒に入らなければいけないし、なんだかんだビームスは外せないよねという立ち位置にいなきゃいけないんですね。来たら実は面白いことをやっているんだけど、来てもらわないことにははじまらないので、売れなくても通の人にウケるものも置くし、イベントをやったりと話題を提供し続けています。

筆記テストで90点の人が落ちて、10点の人が採用になったことも

阿川 社内にもサイバー、イノベーターの方がいるとおっしゃっていましたが、やっぱり社員を選ぶときも、なにかのジャンルに詳しいような、とんがった人を優先するんですか?

設楽 もちろん、オールマイティな人がいないと会社が成り立たないので、一定数、そういう人も採りますけど、おっしゃるようにとんがった人を多く採用するようにしています。筆記テストで90点の人が落ちて、10点の人が採用になったこともあります。まあ、往々にしてとんがっている人間の中には社会生活が不得手な人間もいるんですが……(笑)。

阿川 困っちゃうことも……?

設楽 ありますよ。出張申請しないで、出張に行ったりとか。その代わり、自転車にはメチャクチャ詳しいとか。(飾ってある自転車を指差して)そいつがこれを作ったんです。

阿川 ビームスって、自転車も作ってるんですか?

設楽 うちは車からカップ麺までやってますよ。知られてないけど。(袋を取り出して)このラムネは名古屋のカクダイ製菓さんという会社とコラボして作りました。名古屋の地域活性化のために、他にもトヨタさんや、判子のシヤチハタさんなど6つの企業とコラボして商品開発してまして。

阿川 そんなに手広く!?

原宿に9店舗も構える理由

設楽 面白ければ、自然発生的に事業を広げるようにしています。社員がゴルフをやるようになれば、ゴルフファッションを作るし、子どものいる社員が多くなるとベビー服も作りたい、という声が出てきて、扱うようになったり。うちはまず事業計画ありきという会社じゃないんです。そもそも原宿に9店舗も並べる必要ってないじゃないですか。

阿川 近くに同じ店があったら食い合ってしまいますもんね。

設楽 離れたところに出せば、一粒で何度も美味しいビジネスになるんです。じゃあなぜやるかというと、ビームスは同じ人に別のいいものもあるよっていうことを見せたいために原宿に9店舗も置いたんです。

阿川 それが事業計画ありきではないということにつながるんですね。

設楽 いまでこそ、さっき言ったようにゴルフファッションを取り扱ってますけど、僕が昔からゴルフ好きなこともあって、20年以上前に「ゴルフブランドを作ろうよ」と言ったときは、社員は全員反対したんです。ゴルフをやる社員がいなかったから。

阿川 最初は設楽さんの発案だったの!?

ファストファッション、eコマース……悩みは?

設楽 でもそのときは、社員から「ビームスがメジャースポーツに関わるのはカッコ悪い。カヌーとか山登りとかのファッションだったら分かりますけど」と言われ。それが、社員の平均年齢が少し上がって、みんながゴルフをやるようになると、「うちでゴルフブランドもやりましょうよ」と提案されて、「コノヤロー」と思いました(笑)。

阿川 ハハハ。それでゴルフブランドを作った結果、先日ビームスのゴルフウェアを着た渋野日向子選手の大活躍もあって、ビームスのゴルフウェアがバカ売れしたとか。設楽さんは先見の明があったんですよ(笑)。あと、価格の問題はいかがですか? 昔はなかったファストファッションが出てきて、超高級ブランドじゃない中間の価格帯の洋服屋さんは苦しんでいるって話を聞きますけど。

設楽 それは事実です。あとはeコマースの台頭ですよね。我々は小売がメインなので、インターネットを通して服が買えるようになったのは大きな変化です。でもプラスに考えると、おしゃれの感度のベースが相当に上がっているとも言えて。

阿川 ほおー。たしかに今の若い子はみんなセンスいいもんねえ。

設楽 安くても結構いいものを手に入れられるようになっているわけですから。すると、その次のステップとしてビームスのような、普通に見えるかもしれないけど、実はちょっと違うものの良さが分かってもらえる。そこまで来たら、次はコーディネートの技というところに行きます。ここがビームスの得意としているところで。

通販サイトの売上の6割は「社員のお勧め投稿経由」

阿川 実は、ここに来る前にビームスの店舗に寄らせていただいたんですが、店員さんが感じ良くて、上手にオススメされて、買ってしまいました(笑)。あれは社員教育なんですか?

設楽 お買い上げ、ありがとうございます(笑)。うちの社員には、「スターなきスター集団になろう」と言ってるんです。つまり、1人のスーパースターに頼るのではなくて、各人がファンを作る。コアなやつには10人のファンがつくかもしれないし、マスっぽい人には100人集まるかもしれない。

阿川 この人が勧めるんだったら買おうと思わせるってこと?

設楽 そうです。うちは自社サイトでの通販もありますが、売上の約6割は、ブログやスタイリング写真などの社員のお勧め投稿を経由しているんです。

阿川 へ~え! ビームスの社員自身がイノベーター役になってる?

設楽 (立ち上がって本を持ってきて)これ『BEAMS AT HOME』という本なんですが、社員の家の中を公開しているんですよ。社員の実名、どこの店舗で働いているのかも出したうえ、サーフィンが趣味とか、アートが趣味といった情報も記載して。

阿川 ヒェ~、社員の個人情報を公開しちゃって大丈夫なんですか?

設楽 うちはライフスタイルを売っている店だし、家の中を見せることで、この社員はこういう趣味なんだって分かるでしょ。そうすることで、「こいつから買いたい」という風になるわけです。

阿川 ああ! 社員さんにファンがつくって、そういうことか。

設楽 そう。接客を飛ばして、ネットで服を買える時代でも、「この人に共感しているから買った」というような動機づけをみんな求めているんだろうなって感じます。だからビームスは今後も、そのニーズに応えていこうと。

したら・よう 1951年、東京都生まれ。75年、慶應義塾大学卒業後、電通に入社。83年に電通を退社し、父・設楽悦三が代表取締役社長を務めていた株式会社ビームスに入社する。88年より、株式会社ビームス、株式会社ビームスクリエイティブ、新光株式会社の代表取締役社長。現在は株式会社ビームスホールディングスの代表取締役社長も務めている。

(「週刊文春ムック」編集部/文春ムック 週刊文春が迫る、BEAMSの世界。)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング