吉本11対“非吉本”3の歴史 今年15回目「M-1でなぜ関東芸人は勝てないのか?」

文春オンライン / 2019年12月22日 6時0分

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昨年第14回大会で優勝した霜降り明星。歴代最年少王者となった

 今年もM-1グランプリの季節がやって来た。きょう12月22日午後6時34分より決勝がテレビ朝日系で生放送される。今年は5040組が出場し、予選から準々決勝、準決勝と勝ち上がった9組と、決勝を前に行なわれる敗者復活戦(準決勝で敗れた16組が出場)で返り咲いた1組が漫才日本一を懸けてぶつかり合う。

 今回のファイナリストのうち、見取り図とかまいたち以外の7組(からし蓮根、ミルクボーイ、すゑひろがりず、インディアンス、ぺこぱ、オズワルド、ニューヨーク)は、いずれも初めて決勝に進出した。これとは逆に敗者復活戦には、昨年準優勝だった和牛をはじめ、過去のM-1ファイナリストがひしめき合い、激戦が予想される。

関東芸人はなぜM-1で勝てないのか

 M-1グランプリが始まったのは2001年で、中川家が初代王者となった。その後、2010年に、主催する吉本興業が《この大会を通じて、漫才がすみずみまで広まった。10年の節目をもって発展的解消することが次につながる》として、いったん大会を終了するが(「日刊スポーツ」2010年12月12日配信)、2015年に再開され、現在にいたっている。

 M-1については今年、ナイツの塙宣之がその名も 『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(集英社新書) という本を出し、お笑い関係者やファンのあいだで話題を呼んだ。昨年よりM-1決勝で審査員を務める塙は、2008年から3年連続で決勝に進出しながら、いずれの回も優勝を逃した。M-1が復活した2015年の大会にも、すでに十分に売れていながら出場し、準決勝で敗退している。

 塙によれば、本書のサブタイトルにもあるとおり、ナイツを含め関東芸人はM-1で不利だという。事実、過去14回のM-1で関西出身以外の芸人が優勝したのは、アンタッチャブル(2004年)、サンドウィッチマン(2007年)、パンクブーブー(2009年)、トレンディエンジェル(2015年)、とろサーモン(2017年)の5組しかいない。本書は“敗者”の立場から、なぜ関西に対し関東の芸人は不利なのか、勝つとすればどんな策が考えられるのか、自らの体験やこれまでのファイナリストを振り返りながら分析し、じつに明快だ(たとえば、関西芸人に対し、関東芸人は言葉の面で不利という指摘はうなずける)。それと同時に、M-1とはどんな大会なのかも浮き彫りにされる。要約するなら以下のようになる。

M-1は「漫才の100メートル走の日本一を決める大会」

<(1)そもそもM-1は吉本興業が立ち上げたイベントであり、いわば、吉本が所属芸人のために設えた発表会である。だから非吉本芸人は、卑屈になる必要はないが、不利を承知で乗り込んでいくのだというくらいの覚悟があっていい。(110ページ)>

<(2)M-1は漫才日本一を決めると謳いつつ、ひとネタを4分で収めるというルールがあり、実際には「漫才という競技のなかの100メートル走の日本一を決める大会」というべき、かなり特殊なコンテストである。それだけに「競技漫才」という批判もあるが、漫才をスポーツのように見せることに成功したからこそ、M-1はこれだけ注目され、年末の風物詩と呼ばれるまでのソフトになったのだともいえる。(113、189ページ)>

<(3)M-1は、少なくとも2001年から2010年にいったん終了するまでの「第1期」では、出場資格が結成10年以内とされていたこともあり、新しいことに挑戦する者には優しく、進化を拒む者には容赦のない大会だった。したがって新陳代謝も激しかった。しかし、それが2015年に復活して以降の「第2期」では、出場資格が結成15年以内に拡大され、2017年には最後のチャンスで出場した​とろサーモンが優勝するなど、新しさよりも経験値がものを言う大会になりつつあるようだ。(161~162、171ページ)>

<(4)M-1はこれまでの大会を通して漫才の解釈の交通整理をしつつ、ある程度まで漫才の定義を示した。つまり柵を設けた。しかし、その柵内であれば、どこまでも深く掘ってもいいし、どこまで高く飛んでもいいということにも気づかせた。(196ページ)>

<(5)M-1は一種のプロレスでもある。過剰な物語を仕立て、参加者や視聴者の感情を煽り立て、演者もそれに乗っていく。とりわけ、2007年に敗者復活戦から返り咲き、しかも「非吉本」「非関西」で優勝したサンドウィッチマンの下剋上物語は劇的であった。(209~210ページ)>

(1)に補足すれば、これまで「非吉本」の芸人でM-1を制したのは、前出のアンタッチャブル(プロダクション人力舎)とサンドウィッチマン(当時、フラットファイヴ)、それに2002年のますだおかだ(松竹芸能)しかいない。「非関西」以上に「非吉本」に対する壁がいかに大きいかがうかがえよう。今回のファイナリストも、「非吉本」の芸人はサンミュージックプロダクション所属のぺこぱだけである。

M-1優勝者とR-1優勝者の違いとは?

 ともあれ、先にあげた塙の指摘からは、M-1がいったん終了しながらも復活を果たし、いまなお注目を集め続ける理由がよくわかる。とくに(2)にあるように、スポーツのように見せたことは最大の勝因だろう。4分間は芸人にとっては短いのだろうが、視聴者にとっては集中して観るのに最適な長さではないか。芸人にも視聴者にも漂う緊張感こそ、M-1を「競技漫才」の大会たらしめているといえる。

 M-1がスタートしたのがインターネットの普及した時期と重なったのも、その人気に拍車をかけた一因だろう。とくにSNSの登場は大きかったはずだ。これにより視聴者にも参加意識がグッと高まったことは間違いない。私は15年ほど前、M-1を遠方に住む友人とそれぞれテレビで見ながら、電話で感想を言い合っていたが、SNSなら見知らぬ大勢の人たちと一緒に盛り上がることができる。主催者側でも、こうした状況を受けて、敗者復活戦から決勝に進む芸人を決めるのに、視聴者によるネット投票を実施している。

 M-1がほかのお笑いのコンテストとくらべて存在感を持つのは、優勝した芸人がほぼ確実に表舞台で活躍しているからでもある。なかには2008年に初出場にして準優勝したオードリーのように、頂点に立たなくても、M-1をきっかけに大きな飛躍を遂げたコンビもあるほどだ。これに対し、同じ吉本主催のコンテストでも、ピン芸人の日本一を決めるR-1ぐらんぷりの優勝者は、全員がいまでも一線で活躍しているとは言いがたい。その理由は、塙が指摘するように、M-1は「複数人による話術の芸を競い合う場」というはっきりした方向性があるのに対し、R-1は「一人芸」という漠然とした括りしかないからでもあるのだろう。相応の基準のもと選ばれた芸人と、基準が漠然としたまま選ばれた芸人とでは、やはり前者のほうが仕事を依頼しやすいというのはあると思う。

M-1王者の資格は「経験値」か「新しさ」か

 M-1が存在価値を持つのは、方向性に加え、出場資格が明確に設定されていることも大きいはずだ。(3)で指摘されるとおり、たしかに復活以降、出場資格が緩和されたこともあり、経験値がものを言うようになったのかもしれない。それでも結成年で出場者が絞られていることは、M-1になお新陳代謝をもたらしている。その意味で昨年、霜降り明星が平成生まれでは初めて優勝したのは象徴的だった。塙も、昨年の最終決戦では、うまさでいったら完全に和牛だったが、得票では霜降り明星が上回ったことから、《今後、M-1が存在価値を維持し続けるためにも、やはり「新しさ」を選ぶのだという大会の意志を感じました》と評している。

 筆者にとっても、M-1の魅力は何より、これまで見たことのないような漫才が見られることにある。過去を振り返っても、笑い飯の「奈良県立歴史民俗博物館」、チュートリアルの「チリンチリン」など、いま思い出しても笑いが込み上げてくる。あるいは南海キャンディーズも、当時はまだ男女コンビ自体が珍しく、そのうえ、山崎静代という強烈な個性に、山里亮太がセンスあるフレーズでツッコんでいくのが新鮮だった。オードリーも、アクの強いキャラの春日俊彰が、若林正恭と噛み合わない会話を繰り広げながらも、途中で仲の良さを垣間見せるのが、新しいボケとツッコミの関係を見た気がして面白かった。このとき審査委員長だった島田紳助が、春日のキャラに戸惑い、辛い点をつけていたのも印象深い。

 M-1にはやはり「経験値」よりも「新しさ」を重視する大会であってほしい。筆者だけでなく、歴史の目撃者になりたい視聴者は多いはずだ。今年も、誰も思いつかないような発想やスタイルで意表を突くコンビやグループの登場を期待したい。

(近藤 正高)

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