フランスメディアはゴーンをどう見たか 「傷ついた虎の弁論」「社会面の事件」「マンデラ気取り」

文春オンライン / 2020年1月11日 6時0分

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レバノンで記者会見を行ったカルロス・ゴーン被告 ©︎AFP/AFLO

 フランスでは、地上波デジタルのニュース専門チャンネルが4局ある。1月8日、そのどれもが、カルロス・ゴーン被告の記者会見を午後2時から5時までぶっ通しで中継した。中にはゲストを呼んで、会見の休憩や質問タイムに討論や解説を挟む局もあった。

民放独占インタビューでは「日本にはもう誰も行くな」

 午後8時からの2大チャンネルのニュースでは、民放のTF1が、会見後にゴーン被告の事務所での独占インタビューに成功しており、その模様がトップ扱いだった。会見では司法や日産は別にして、日本と日本人は素晴らしいと盛んにゴマをすっていたゴーン被告だが、ここでは「私のように罠にかかるな。日本にはもう誰も行くな」と冷たく言い放った。また「私の『暗殺』計画をしたのは」と名前こそ出さなかったものの、日産と検察に加えて「安倍の行政官」と述べた。

 一方、国営放送FR2の取り上げは2番目で、トップは、ドゴール空港でコートジボワールからの飛行機の車輪格納部から、密航しようとして凍死か窒息死したとみられる10歳くらいの男の子の死体が発見されたというニュースであった。まるで、同じ国外脱出でもずいぶん違うものだ、というように。

会見翌日の朝刊一面は、割れた

 フランスの新聞の一面はその日の主要ニュースを紹介し、記事は別のページにある。会見翌日の9日朝の紙面は、「ルフィガロ」と「レゼコー」がトップ扱いであったのに対して、「パリジャン」は右上に経済面の記事として紹介、「リベラシオン」に至っては取り上げられていなかった。「ルフィガロ」は中産階級から上の層の読者が多く、「レゼコー」は経済紙である。

 ちなみに「パリジャン」のトップは大衆紙らしく「年金改革/外国人から見たストライキ」という少々ほっこりした社会面的なアプローチ。「リベラシオン」は「死の警察検問/不当暴力」でスクーター運転中にスマホをみていた42歳の配達員を警察が力ずくで捕まえて窒息死させてしまったという同紙らしい体制批判のニュースであった。

 もっとも、この両紙は8日の朝にゴーン被告の会見を大きく取り上げている。

「リベラシオン」は編集長論説で皮肉たっぷりにゴーン被告を批判している。

 ゴーン被告は、「億万長者のドレフュスあるいはマンデラ気取り」で日本での不当な扱いと戦っている。しかし、逃亡は、結果として当局がとった厳しい警戒を正当化してしまった。日本の検察は証拠をもっていないという彼の主張を弱くしてしまった。 なぜなら普通の市民なら逃げたのは有罪だからだと思うものだから。そして、もしこの事件から教訓を得るとしたら、なぜ立派な経営者が贅沢な生活をするのに十分で驚異的な給料をもらっているのにそれに満足しないのか、ということだ、とも。

「夫は真実を暴く」キャロル夫人のインタビュー

 一方「パリジャン」の社説では、ゴーン被告が「自由に発言できるようになった今日、強い説得力を持たなければならない。フランスの支配を排除するためには何でもやる日本のマフィアという論だけでは、彼にかけられた非常に重い容疑を晴らすことは出来ない」とする。なおこの日のトップは、「夫は真実を暴く」というキャロル夫人のインタビュー記事である。

 9日一面で大きく告知しなかったのは、結局、ゴーン会見にこれらのことを上回るだけの内容がなかった、ということだろう。

「社会面の事件」と切り捨て

 一面トップにもってきた「レゼコー」も同じだ。見出しは「傷ついた虎の弁論」で、大きく扱ってはいるもののとくに社説もなく、会見の内容を淡々と報道しただけだった。同紙も8日の朝には社説を出して「すべての陰謀論の愛好者は真実を暴露するために爆弾を投げることを期待しているだろう」と書いた。爆弾は投げられなかったということだ。

 この会見前日の社説では、ゴーン被告にとってはこれから始まるメディア法廷が重要だとしても、もはやルノー・日産・三菱にとって「重要なことは別のところにある」という。いかに有能な経営者であっても、一人の手に権力を集中してはならない。大企業の経営者はつねに透明性をもってきちんと報告し、反対者に対しても説明しなければならない。さらに、ゴーン被告が犠牲者であろうと犯罪者であろうとそれは「社会面の事件」でしかない、とはっきり切り捨てた。

 同紙は、事件の当初から精力的に取材しており、経済紙という性格から財界や経済界の事情に詳しい。もはやゴーン被告は、フランスでは用済みだと言わんばかりだ。

何百万ドルも払って司法から逃れた男を信頼できるか?

 インテリ向けの夕刊紙「ルモンド」の一面には小さく「司法 カルロス・ゴーンの自己弁護」とあるだけだった。そして「ベイルートでの1月8日の記者会見でルノー・日産の元社長はその逃亡について何の要素も与えなかった。そして『彼に対する執拗なキャンペーン』を告発しただけだった」

 事実関係の報道などのほか、社説もあるが、「何も新しいものは出てこなかった。他人を非難するだけだった」という。怪しい者たちに何百万ドルも払って司法から逃れた男をどうしたら信頼できるのか、とゴーン会見の説得力のなさを指摘。また「日本の司法の不公正さ」と、「監視の厳しさ」が大きなポイントであったが、確かに客観的に言って日本の司法の不公正は問題であるとしても、逃亡を正当化するものではないし、「監視の厳しさ」も、容易に警察の警戒を欺いて9000キロメートル離れたところに逃げられたのだから大いに割り引いて考えなければならない、と。

「ゴーン反撃」と理解を見せた新聞も

 このように、各紙、ゴーン被告に対しては冷めた見方をしているのだが、わずかに理解を見せたのは「ルフィガロ」だった。9日一面の見出しは「ゴーン反撃」である。その下の社説では、ゴーン被告は「特に厳しい扱いをされた」と日本の司法を糾弾し、「今まで聞かせることを拒否されていた彼の真実を表明することができた。公正な裁判のみが最終的に彼の名誉を取り戻すのだ」と締めくくった。ただし、会見の模様を伝える記事では、「暴露も驚きもなかった」としている。

ゴーン被告がフランスで一定の支持を得る理由

 ゴーン会見を見ながら、私は、日本の司法のあり方が違っていれば、と残念でならなかった。ゴーン被告の演説の半分は司法への恨み節であった。そのためにずいぶん論理のすり替えが行われてもいた。ゴーン被告がフランスで一定の支持を得ているのは、ひとえに、日本の司法に対する不信ゆえである。

 ゴーン被告の容疑に対する反論も、フランスならばこの程度のことはすでにマスコミに流れていたことだろう。弁護士が同席し、捜査資料がすべて公開されるとなれば、検察側はこれ以上の努力をしなければならず、真に問題の中核に迫れることだろう。マスコミももっと深いところを掘り下げるだろう。

 そもそも、現代の経済犯罪に対しては、身体拘束して自白を求める司法は合わないと私は考える。何しろ、世界中の英知、腕利きビジネス弁護士などが、法律の穴をさがし、いろいろな国や地域の制度を使い「合法的」にみえるようにしているのだ。犯人も悪事を働いている意識はない。創造的なテクニックを使っただけだと思っている。その穴を突かなければならない。とりあえず一つの罪だけで捕まえてその後で本丸を攻めようとすると何年も拘置しなければならない。かといって証拠固めまでしてから逮捕では、時機を逸してしまう。だからこそ、GPSをつけるなどの方法がとられているのである。

 なにも人権だ何だというような大げさなことではない。要するに、自分もいつ冤罪で捕まるかもしれない、そのときにきっちりと間違いをただし、社会的にも名誉を保ち続けられるようにするにはどうしたらいいか、ということだ。これは世界共通のテーマだと思う。

 それから今回、ゴーン被告が日本の司法の欠陥告発の旗手のようになってしまったために、日本での議論が歪められ、改善がまた遠のいたのではないかと心配である。

(広岡 裕児)

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