わざわざ「フジロック行ってきた」と報告される問題

文春オンライン / 2017年8月3日 7時0分

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(c)iStock.com

 この時期になると、身の回りで「フジロックに行ってきた」ってわざわざ私に自慢する親父がたくさん出るんですよね。あっ、はい。いや、興味ないんですよね。ギターとか楽器はやってましたけど、忌野清志郎も死んだしパソコン作業中に音楽聞く習慣もなくなったので。いまはもっぱらホワイトノイズ聞きながら原稿書いたり調べものしたりしています。

なぜフジロックに行った人はわざわざ私に報告しますか

 ただ、フジロックが楽しければ、自由に楽しんでいいと思うんですよ。ほんと、妨害しないからお好きにどうぞ。好きなミュージシャンが出て、心地よかったんでしょ。良かったね。ほんと良かったね。

 なのに、なぜフジロックに行った人はわざわざ私に報告しますか。いや、その情報要らないから。あーたが楽しかっただけでしょ。フジロックが好きな人同士で楽しく経験を語り合えばいいじゃないですか。「何年振り何度目だったんですけど」とか貴殿のライフスタイルいちいち言われても困るわけですよ。甲子園の強豪校の出場かよ。

 でもまあ、面と向かって言われれば、もちろん「へえ、そうだったんですね」とはにこやかに対応はしますよ。別に「お前のフジロックがどうとか興味ねえよ」と返して気まずい空気にしても嫌じゃないですか。そのままフジロックとともに永遠の眠りにつけばいいのにとか言うはずないよね。「雨降ったんだって? ざまあwww」とかさ。だから、こちらも興味も知識もないなりに「どんなミュージシャン来てたんです?」とか「年齢層どうでした?」とか「雨とか大丈夫だったですか?」とか、近所のおばさんとエレベーターで一緒になってしまって数十秒やり取りすることが強要されるときに話すレベルの内容しか話さないけど、とりあえず繋ぐ。繋ぎはする。送りバント的会話は頑張る。

 でもフジロックが好きな奴はうっかり返事すると話が終わらない。「へぇ」では済まされない。どんなグッズ買ったとかこういうTシャツ着た奴がいたとか1ミクロンも価値のない情報がいつまでも垂れ流されるのです。

布教活動してきやがる

 ついでにいうと、私は映画も観ません。一昨年子供が観たいというのでドラえもんの映画を家で観た程度で、私生活では映画とか演劇とかもうまったく関心の外なんですよね。仕事でこそ、どこそこの映画が興行収入これぐらいだったやら、この女優を使うとこのぐらい来場者数が増えるよとか、この原作のIPとしての集客力はこのぐらいだなどという話はすれども、その商品である映画も演劇もテレビ番組も興味ないんです。

 でも根っからの映画好きは違う。布教活動してきやがる。おいちょっと。観て感動した映画の話とか、どのハリウッドスターがあーだこーだという話を嬉々としてしてきます。うわ、めんどくせー。わざわざそういう話を私にしなくてもいいじゃん。他でやってくれねえかな。映画好きな奴なんてその辺に掃いて捨てるほどうろうろしてんだろ、そっちで喋ってくれよ。

 そうするとですね、先方もさすがに「あ、やまもとって奴は映画に関心がないんだな」と気づく場合がある。おう、映画に興味なんざ無いとも。お笑い芸人のピース又吉直樹が書いた小説としての『火花』は読むけど、その映像作品として話題になったほうの『火花』は観てない。観てないから視聴者数以外に感想は無い。文学は好きなんだけど、文学を題材にした映像作品は観ないんですよね。なのに、そういう仕事をしているから当然映画やネットドラマも観ているだろう、チェックしているだろうという前提で話をしてくるのがダルいんですよ。

 ところが、私が興味ないと知ってなお「やまもとさんも映画を観るべきですよ」とか言ってくるギョーカイ人も偉い人も沢山出てくるのであります。うるせえよ。興味ないって言ってんだろ。なんでそう自分の趣味を他人に押し付けてくるのかね。自分の44年の人生の中で観た映画なんて10本ぐらいしかないのに、ここから改心して毎日5本映画観ますなんて話になるわけないでしょう。

 フジロックとか最新の映画とか話題になったテレビ番組とかは、誰もがチェックしていると思って人に踏み込んでくるだけでなく、他人の趣味に干渉してくる人たちってどうして後を絶たないんですかね。

別に「お前らとは違う」と上から目線で言いたいんじゃなくて

 人にはいろんな趣味があるし、人生の使い方というものがあるからね。私に関して言えば、映画を観ている人の数千倍はシミュレーションゲームをしているし、『信長の野望』なら各シリーズほとんど極めるほどやり込んでいます。あるいは、プロ野球の試合は恐らく誰よりもチェックしてるし、好きな分野で語りたいことはたくさんあります。でもそれって需要ないのも知ってます。例えば「私がやっている『信長の野望』では新シリーズの筒井順慶がイマイチしっくりこなくて」とか話題振られたらみんな困るでしょう。「やっぱり『ハーツオブアイアン』はマス目が細やかになりすぎてフィンランドでプレイしていると冬戦争イベントで攻め込んでくるソビエト連邦相手に戦線が維持できなくてクソゲーになってきてますね」とか力説しても、誰も振り向いてくれないと思うんですよ。大好きな初芝清の記事だって、どうしたら喜んで読んでもらえるか考えて、頑張って工夫しているんです。

 で、私がゲーム好きだと知ると、いきなり「ドラゴンクエストの最新作どうでしたか」とか「ARMSはキャラ差大きくて弱いキャラだと勝てなさすぎですよね」などと言ってくる奴がいるんです。プレイしてねーよ。私がやるゲームはマイナーなものばかりで悪かったな。好きなものをハマりこんでプレイするのが好きなんですよ、私は。野球だって、好きなのは巨人ですか、阪神ですかって訊いてくる。もちろん巨人も阪神も好きだけど、本当に愛しているのは頑張ってもダメなプレイをしてしまうパ・リーグのネタ選手ですよ。別に「お前らとは違う」と上から目線で言いたいんじゃなくて、好きなものを好きなようにやるのは私の自由だろ、と言いたいんです。ゲームぐらい自分の好きなのをやらせろよ。野球チームだって選手だって、人によって好みが違って当然だろ。多様性って、誰に何と言われようと好きなものは好きで、それに土足で他人に上がられないという前提があってのことですよ

もっとこう、そっとしておいてくれないかな

 思うに、結婚生活であれ仕事づきあいであれ、お互いの生活や大事なものに対して干渉しない、強制しないことって物凄く大事なことだと思うのです。自分の好きにできる時間ぐらい好きに使っていいだろという前提で、同じオタクでもアイドルものが好きなのもいれば、ボーイズラブで腐ってるのもいれば、格闘ゲーム極めてるのもいる、各々の「好き」を尊重していけば良いと思うわけなんですよ。ところが、実際にはメジャータイトルや王道コンテンツを話題の対象としている人たちが、細かな棲み分けをして生息している少数民族を無邪気に蹂躙しようとするんです。そんな誰も好きな奴がいないような衰退ジャンルにいないでこっち来いよ、と悪気なく言ってくるんですよね。

 仕事ならば、どうしても知っておかなければならないことは山ほど出てきて、日々研鑽もするし、人の話も聞きに行きます。逆に知らなかったことが分かるようになる喜びは、仕事ならずともたくさんあるのが社会です。でも、個人的に好きでやることに土足で踏み込むことの是非っていう点では、結構みんな容赦ないんですよね。

 もっとこう、そっとしておいてくれないかな。趣味の話はだいたい同好の士と楽しくやってるからさ。他に話すべきことがあるだろ、ほら、野外イベントでの雨具の選び方とかさ。

(山本 一郎)

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