大爆笑でも「けしからん!」 憲兵隊を怒らせた“兵隊落語”とはなんだったのか

文春オンライン / 2020年3月8日 17時0分

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柳家金語楼 ©文藝春秋

 落語の人気はいまも根強い。しかし、現代の多くの人たちにとって、戦前から戦中にかけて庶民の関心を集めた「兵隊落語」「国策落語」がどんなものだったか、想像するのは難しいだろう。その中心にいたのが柳家金語楼だった。

 筆者の世代の記憶では、落語家を“休業中”で、自分の名前を冠した映画などに多数出演。NHKテレビの「ジェスチャー」の男性回答者リーダーを長年務めたコメディアンだった。薄い頭に百面相のような面白い顔(保険をかけたといわれる)の印象が強い。彼が兵隊落語で一世を風靡したことを知ったのはだいぶ後になってから。その落語を聞いたのはさらにずっと後だった。

「兵隊」と「落語」、あるいは「戦争」と「笑い」。全く正反対で結び付きそうもない組み合わせの実態はどんなもので、どんな意味を持っていたのか。そして、いまそれを取り上げることにどんな意味があるのか。

憲兵隊から「待った」がかかった落語

 1928(昭和3)年3月2日付(1日発行)東京日日夕刊2面に3段の記事が出た。「憲兵隊に睨まれた 金語楼の『兵隊落語』 軍事上有害と認めて 本人と蓄音器会社へお達し」。

「今売り出しの落語家柳家金語楼が、一枚看板で数年前から高座に読み物に放送に笑わせていた『兵隊』に対し、この1月末、東京憲兵隊から『軍事上有害』との理由をもって『以後しゃべり立てること慎まるべし』という珍妙なお達しがあり、その金語楼が吹き込んだレコード発売元である2、3の蓄音器商会に対しても、兵隊レコードの発売遠慮を通達してきた」。金語楼が人気を博してきた兵隊落語に憲兵隊から「待った」がかかったという内容だ。

「金語楼もすっかり気を腐らせ『兵隊ばかりが落語じゃねえ』とばかり、今月中には新機軸の落語完成に精進しているが……」「一方、憲兵隊ではいったん禁止通知を出したものの、最近、ことが意外に大きくなるのを恐れてか、『落語家柳家金語楼吹き込みのレコードに関する件――2月8日主題の件に関し、該品は軍事上有害と認め、一時発売禁止方申し進め置き候ところ、協議の結果、東京憲兵隊は本品の差し押さえをなさざることに決定』した旨、あらためて通知を発し、問題化を防いでいる」というのが本記の全文だ。

 脇には「軍隊に対する誤解を惧れる」の小見出しで渋谷憲兵隊の談話が載っている。

「最初は軍事上有害と認めたので、発売禁止ということにしようと思ったのです。昔なら知らないこと、現代の軍隊では決してああいう内容のことはないのですから、純朴な人が軍隊を誤解しては困ると思ったので注意したのですが、協議の結果、黙許ということにしました。しかし、今後不適当なことがあれば、また考え直し、適当な処置に出ます」と歯切れが悪い。

 金語楼の談話も「一体ドコが悪いのか 兎に角(とにかく)困りやした……と」の小見出しで掲載されている。

「上官を侮辱するようなところがあるのですか」

「へえ、すっかり恐れ入っちまいましたよ。私は人を通じて聞きましたね。一体どこが悪いのですかと。上官を侮辱するようなところがあるのですかといろいろ聞いた挙げ句が、上官が『元へ、元へー』と言うのがいけないと言うんでさあ。おかしな話ですが、西洋の軍隊にはおなじみの少ない私、西洋の兵隊のお話はできないから、そのうち一工夫いたしやしょう。問題になったのはこの1月、在郷軍人の方の前でしゃべったことからでしょうが、へえ、全く弱っちまいましたよ」。「睨まれた金語楼クン」の説明が付いた顔写真も載っている。

 さらに、合同蓄音器の営業課長の談話として「私の方をはじめ、同じものを吹き込んだ2、3の会社でも同様な運命に遭ったのです。最近は渋谷憲兵隊から没収はしないというお話はありましたが、さて、売っていいものかどうか……。都合によると、内容を多少変えて吹き込み直そうかとも考えています」とある。「とにかく金語楼がやりだしてから2年もたっていまさらいけないとは、どう考えても変です。何しろ問題が落語なんですからね。私の方はともかく、今まで売り込んだ金語楼としては生活問題でしょう」とも。

 どうも、金語楼の兵隊落語に「待った」がかかったいきさつがよく分からない。いずれにしろ、「けしからん」という受け止め方が憲兵隊の一部にあったことは間違いないようだ。

「兵隊落語」とはどんなものだったのか

 問題とされた兵隊落語とはどんなものか。いろいろな演目とバリエーションがあったようだが、当時は活字化した落語が総合雑誌や女性誌、少年雑誌などに掲載され、なかでも金語楼のものが圧倒的に多かった。それらと、国会図書館にある録音資料からすると、「兵隊」「兵隊さん」「噺家の兵隊」「後備兵」から「水兵」もあり、さらに「靴磨き」「兵営編」「除隊の巻」などにも分かれている。金語楼は自身、生涯で600以上の新作落語を作ったとされるが、同じ話は一度もしたことがなかったといわれ、演じるごとに内容を組み替えていたようだ。そのうちの一例を見よう。

 講談社の雑誌「雄弁」1927年9月号に掲載された「新作落語『兵隊』」は、新兵(満20歳で徴兵検査を受けた後、初めて軍隊に入った二等兵)が靴磨きをしながら、軍隊を茶化した歌を歌っていると、上官が通りかかる。後に「靴磨き」と呼ばれる兵隊落語だ。上官はこの場合は伍長で、上等兵や少尉に替わっていることもあるが、基本的なやりとりは変わらない。

新兵 「伍長勤務は生意気で――、粋な上等兵にゃ金がない――かわいい新兵さんにゃ暇がない。ナッチョラン、ナッチョラン」

伍長 オイ! コラッ

新兵 ハッ、伍長殿でありますか

伍長 おい、貴様。いま何か歌っていたな

新兵 いや、自分は……自分は決して

伍長 何?

新兵 自分は歌なんか歌った覚えはないであります

伍長 ウソをつけ。さっきから後ろに立っていたんだぞ

新兵はごまかそうとするが、追及されて弱り、遂に歌わされる

新兵 「伍長勤務は……」

伍長 伍長勤務はどうした?

新兵 「生意気で」。自分は生意気とは思わんのであります

伍長 そんなことはどうでもいい。次を歌え

新兵 「粋な上等兵にゃ金がない……。かわいい新兵さんにゃ暇がない、ストトン、ストトン」

伍長 バカッ。かわいい新兵さんとは誰のことだ

新兵 自分であります

 ここから入隊前は落語家だったことが分かってやりとりがあった後、

伍長 一体、貴様の官姓名(所属と名前)は?

新兵 陸軍……

伍長 陸軍は分かっておる。官姓名を言ってみろ

新兵 陸軍歩兵!

伍長 陸軍歩兵何等卒だ

新兵 陸軍歩兵二等卒であります

伍長 元へっ、姓名を言えっ

新兵 山下敬太郎であります

伍長 元へっ、官姓名!

 なかなか「官姓名」を通して言えず、追い詰められていく新兵

伍長 元へっ、

新兵 海軍

伍長 バカーッ、陸軍と海軍を間違えるやつがあるかーっ

新兵 陸の続きは海であります 

 これがオチだが、高座や舞台で評判になったのは、何回も責められ、新兵が泣きべそをかきながら叫ぶところだ。

新兵 陸軍歩兵二等卒、山下ケッタロ―!

 実際に聞くと、最後の掛け合いが長くて、当時の軍隊のことをある程度知らないと、どこが面白いのか分からない。筆者も何回か聞いたが、面白さを理解するのは難しかった。ただ、「後備兵」という演目もいろいろなバリエーションがあるが、軍医や上官とのやりとりが面白かった。

 それにしても、特に日本では暗いイメージしかない軍隊を笑いのネタにし、また、それが客に受けたというのはどういうことだろう。

二等兵として約1年半、兵営生活を送った

 自伝「泣き笑い五十年」によれば、金語楼は兵隊落語に出てくる通り、本名・山下敬太郎。東京生まれで、6歳のとき、ひょんなことから代役で高座に上がり、天才子ども落語家と呼ばれたのがきっかけでその世界に入った。柳家金三という名前の時、徴兵検査を受けて「甲種合格」(最優秀の合格)となり、1920年、朝鮮・羅南の第十九師団歩兵第七十三連隊に入隊。二等兵として約1年半、兵営生活を送る。その間「紫斑病」にかかり、回復したが、薬を飲まされて髪の毛が抜け、ツルツルの頭になってしまった。

 軍縮による現役免除で落語の世界に戻ったが「おみやげとして持って帰ったのは“ハゲ頭”ともう一つ、後でいわば私の出世作ともなった兵隊落語のネタというのも、実はその軍隊時代のおみやげでした」(同書)。

「ハゲ頭」にふさわしい「あたま」という新作ものを演じており、「兵隊ものをやりたいと思ったけど」、それまで3人ほどの落語家が兵隊落語をやっていたが「面白い割合に客には受けないんですよね」と書いている。「『兵隊落語てえものがこうも受けないわけがない。何かやり方があるんだろう』と思って、私もいろいろ工夫してみたんですが、はじめはさっぱり受けない」

軍隊での経験談を人情噺へ

 柏木新「金語楼の兵隊落語の変遷」(「季論21 2008年秋号」収録)によれば、兵隊落語の初高座は1922年、東京・本郷の「若竹亭」だったという。「二等卒帰る」という題で、羅南を出発して家へ帰ってきたところまでを演じた。

「可笑(おか)しくも面白くも無い」ものだったが、実際の軍隊に行った経験談が人情噺(ばなし)となり、客は「涙をふいている人も有るし、前の方の老人なぞは鼻をすすってる人も有った」。最初のころは「官姓名を名乗れ」「忘れました」がオチだったようだ。そこから「さらに面白いものにと努力し、兵隊落語を仕上げていくことになる」(同論文)。

「お客はクスクスと言っただけで」兵隊落語が受け入れられたとき

  再び「泣き笑い五十年」に従おう。

 そのうち、また若竹亭に出た。前の出番の講談師が休みで、後の出番の落語家が「どこかお座敷がかかったらしく、例によって姿を見せていない」。早く高座へ上がったが、その落語家が来ないために下りられなくなってしまった。オチまで来たが「お客はクスクスと言っただけで」「しょうがないからとっさに続けましたな。『自分の名前を忘れるやつがあるか。おまえは何というんだッ』『ハッ、山下敬太郎であります』『よし、それをやれ』『ハッ、りくりく……』『りくりくではない。陸軍だッ』『陸軍ほー兵』『砲兵ではないッ、歩兵だッ』『ハッ、二等卒山下ケッタロ―』」

「このころになるてえと、客はだんだん笑うようになりましたが、こっちは悲しくなって『もとーい、陸軍二等卒山下ケッタロ―』。クシュンと泣きべそをかいちゃった。そしたら、これがえらく受けるんですよね」。

 楽屋を見たら、後の出番の落語家が来ている。「途端に調子づいて『もとーい、かいぐーん』『海軍ではない。陸軍だッ』と、ここまで来たら、もうお客がウワーッてんで……。これが兵隊落語の受け始めなんですな」「それからというものは、私の兵隊落語てえものも形が出来、だんだん枝葉が生えてきて、波に乗ったというか、ハズミに乗ったというか、大変受けるようになりましたな」。レコードに吹き込んだら「これがヘンテコに売れたらしいんですな」。舞台の「兵隊劇」にもなり、金語楼のトレードマークになる。人気爆発の瞬間だった。

「憲兵隊の本部から『兵隊ものを遠慮してもらいたい』」

 そんなさなかに憲兵隊から「イチャモン」がついた。金語楼はいろいろなところでそのことを書いている。「泣き笑い五十年」にはこうある。

「ある時、憲兵隊の本部から『兵隊ものを遠慮してもらいたい』と言ってきたことがあります」「それから私は警視庁に行きまして『遠慮してくれってのは、やっちゃいけないってことですか』と聞きました。そしたら、『いや、寄席のなんとか法で、憲兵隊が演芸を差し止める権限はないはずだ。検閲というものが警視庁の管轄下にあって、それをやっているんだからいいはずだ』『……もし、やっていけないって言ったら、どうしたらよいでしょう?』『いけなくないようにしてやろうじゃないか……』」

 ここで金語楼は「ちょうど、大阪で“ゴー・ストップ事件”なんてえのがあったころで、憲兵と警視庁てえのは仲が悪かったらしいんですな」と書いている。陸軍一等兵が赤信号の交差点を横断しようとして、交通整理の巡査に制止され、口論のすえに格闘したという陸軍と警察が対立した事件だが、起きたのは5年後の1933年6月。ただ、両者の関係はそれ以前から悪かった。

陸軍と警察が対立した「ゴー・ストップ事件」とは

 金語楼の記事が出た翌日の3月3日付東京日日夕刊は1面トップで「憲兵隊長の大喝 警視庁を怒らす 直訴犯人奪い合いから またも歯をむいて啀(いが)み合う」という記事を載せている。1月の観兵式での直訴容疑者の取り合いから、憲兵隊長が警視庁特高課長らを怒鳴りつけ、対立が激化。それまで要視察人の情報などで憲兵隊に協力していた警視庁は、各警察署の幹部を呼んで、「今後、憲兵隊に対しては一切便宜を与える必要なき旨通達した」。そのため、「手も足も出ず、憲兵隊はいまさらのごとく狼狽している」とある。

 見出しにも「これまでも犬猿の間柄」とあり、記事でも「警視庁と憲兵隊が犯人捜査や功名争いで犬猿の間柄にあることはよほど以前からの問題であるが」と書いている。こうした憲兵=陸軍と警察が対立する空気が爆発したのがゴー・ストップ事件だった。

#2 へ続く

「笑えない時代」に人々が“兵隊落語”に大爆笑したのはなぜか へ続く

(小池 新)

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