まるで地上げ屋の手口? 160万人を巻き込む「モスクワ大改造計画」とは何か?

文春オンライン / 2017年8月13日 7時0分

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(c)栗田智

 欧州最大となる人口1200万人を擁するモスクワ。昨年発表された新興都市ランキングでは北京やイスタンブールなどを抑え1位に輝き、東欧圏で今最も開発スピードに勢いのある街に選ばれている。

プーチン大統領の側近セルゲイ・ソビャーニン市長

 その原動力となっているのが2010年からモスクワ市長を務めるセルゲイ・ソビャーニンだ。プーチン首相時代には、副首相と官房長官を兼任したこともあり、辣腕政治家として知られる。

 彼が就任してからというもの街は大きく様変わりした。歴史的建造物の修繕、公園の整備や街の緑化、モスクワの外周を結ぶ都市環状鉄道の開通、中心部の道路の駐車有料化による渋滞緩和、駅前を不法占拠していた店舗の撤去など、ソ連崩壊から20年以上が経ちながらいまだ旧態然とした街並みや悪しき慣習が残っていたモスクワの近代化を一気に推し進めている。

 街が便利になりきれいに生まれ変わったと一定の評価は得ているものの、その一方で、市民を置き去りにしたあまりに急激な変革や、ときに冷酷で強権的な手法に批判を浴びることも多い。十分な議論や説明がなされないまま生活のあらゆることが刷新されていく。街中いたるところで大規模工事が進行中で、空気も足元も悪く、スピード優先のあまり突貫工事で粗悪な施工も目立つ。そんなとき市民の口からしばしば漏れ聞こえるのが「ソビャーニンスカヤ」という言葉で、「ソビャーニンの野郎、よけいなことしやがって」と意訳されるわけだが、市民の平穏や残すべき古き佳き部分をも一緒くたにぶち壊す“破壊者”としてすっかりイメージは低落してしまった。

モスクワ市民を右往左往させる「リノベーション問題」

 破壊者たるイメージを決定的なものにしたのが、今モスクワ市民の一大関心事となっているリノベーション問題である。

 ソ連時代に建造された築50年を超える低層アパートの老朽化が進み、その建て替えプログラムを今年2月にモスクワ市が発表したのだが、その内容があまりにもひどく、激しい反対運動を巻き起こすことになった。

 本来であれば住み替えを促す救済プログラムであり歓迎されるべきものだ。壁や天井が崩れ、水回りも手のつけようのないほど荒廃した住居に暮らし、助けを必要とする人々は少なからずいて、そうしたアパートがなくなれば街の景観もよくなるはず。ではなぜ反対運動が起こったのかというと、条件を定めた法律が市の都合で改悪されたからだ。

およそ160万人ものモスクワ市民が影響を受ける

 まず、住民は同じ場所に住むことはできず、市が指定する建物に入居しなければならない。当初の法律では、引っ越し先は同じ区内の徒歩圏で、同等の資産価値評価の建物へという条件だったが、改正後はモスクワ市内とは言えないほど郊外になるケースも認め、かつ住居面積は同じ。つまり郊外へ行く分、資産価値は激減してしまう。高層住宅に何百世帯が住むことになり、学校や病院、買い物など周辺開発は未定のまま。およそ160万人もの市民が影響を受けると言い、住民たちは引っ越し先の場所さえ知らされない状態で、5月から6月にかけて住民投票に参加させられた。住民投票はアパート単位の投票で3分の2以上の賛成があればプログラムに参加することとなり、建物は解体となる。逆に上回らなければプログラムから離脱することができる。

 生活の基盤が根底から覆されるとあって、モスクワでは蜂の巣をつついたような大反対の声が沸き起こった。反対派のデモでは3万人以上が集い、「取り壊し反対!」「私たちのアパートから手を引け!」などのプラカードを掲げ、「ソビャーニンはやめろ!」と声を上げた。

半ば強制的に移住させる社会主義的なやり方

 デモ参加者の声に耳を傾けると、「建物は古いが改修すればまだ十分住めるものばかり。なぜ解体なのか」「中心部へのアクセスもいいし緑も豊かで、この住環境を手放したくない。低層ならではの安心感もある」「子どもを今の学校から転校させたくない」「生まれ育った場所、住み慣れた場所にこのまま居続けたい」といった意見が実に多く聞かれた。しかし、そうした市民の声を取り上げるメディアは少なく、連日報道されるのは賛成派に有利なものばかりだ。

 市が該当する建物の条件を広げることで今後さらに増えていくという見方もある。というのも、建物の老朽化は表向きの口実で、都市整備の名の下に地価の高い中心部から住民を追い出し、空いた土地を市が活用したい思惑があるからだ。

 市が助成金を出すことにより住民が個々で自由に住み替えたり、希望する住民には建て替え後の建物に入居する権利を与えたりといった選択肢はない。住民を十把一絡げに半ば強制的に移住させる社会主義的なやり方。モスクワの街並み以前に行政こそが旧態然としているのではないか。

 プーチン大統領をはじめ政治家の多くは「住民の意思を尊重し、住民投票という民主的なプロセスを経て計画を進める」とのコメントを出して火消しに回ったが、問題は行政で、あまりにも不透明でブラックボックス化している。

反対運動を行なった著名俳優が放火され死にかけた

 デモの参加者たちからも過去にあった行政の黒い部分の話を次々と聞かされた。

 高齢者に言葉巧みに取り入って承諾書にサインを書かせる──。耐久性診断の結果を改ざんして邪魔な建物を解体へと持ち込む──。反対運動に参加していたところ、ある日上司に呼ばれ、職を失いたくなかったらやめるようにと圧力をかけられた──。住民説明会に行くと、明らかに住民ではない人たちで会場が埋め尽くされていて、反対派は満員を理由に入場を断られ、会は「異議なし!」で終了した──。インターネットで行なわれる住民投票で、最終日の夜半に反対派が圧倒的多数だったにもかかわらず、最終結果は不自然な形で逆転されていた──。その昔、ある省庁が周辺の建物を接収しようとしたことに対し反対運動を行なった著名俳優が別荘にいるところを放火され死にかけた──。

 やり口は完全に地上げ屋のそれである。

「計画は2032年までに完成予定」

 8月1日、モスクワ市は住民投票の最終結果を発表した。それによると5144棟が賛成多数によりプログラム参加となり建物の解体が決まった。反対多数でプログラムから離脱したのは464棟にとどまった。ソビャーニン市長は「計画は2032年までに完成予定ではあるが、できる限り早期の実現を目指す」とさらなる意欲を見せた。ソビャーニンの辣腕ぶりとなんでもありの行政が組み合わさったとき、モスクワの街は一体どうなってしまうのか。市民の不安が尽きることはない。

写真=栗田智

(栗田 智)

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