「向こうで映画見るけどあなたもどう?」元カルト信者の私が『ミッドサマー』に覚えた既視感

文春オンライン / 2020年3月14日 11時0分

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『ミッドサマー』より ©2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.

 海外メディアのすさまじいレビューにより、日本公開前から注目を集めていたアリ・アスター監督、フローレンス・ピュー主演の映画『ミッドサマー』。不幸な事故によって家族を亡くした主人公、ダニーは彼氏のクリスチャンとクリスチャンの友人たちと共にスウェーデンの辺境のカルト村「ホルガ村」で行われる夏至祭の中で恐ろしい体験をするというフェスティバルスリラーです。

元カルト信者としての感想に大きな反響が

 2月に日本で公開された後、同作を見にさっそく劇場へ足を運びました。同作が気になったのは、話題の映画であるからだけではなく、私自身、元カルト信者だからです。見終わった後、元カルト信者としての感想をツイートしたところ、大きな反響がありました。


 結論から言うと、『ミッドサマー』のカルト宗教の描写は元カルト信者の私から見ても、とてもよくできています。私のカルト宗教での実体験や、『ミッドサマー』のカルト描写で共感したポイントを紹介したいと思います。

※以下の記事では、現在公開中の映画『ミッドサマー』の内容と結末が述べられていますのでご注意ください。

大学時代、先輩にボランティア活動に誘われた

 私がカルト宗教に入信した始まりは大学1年生の2学期になってのことでした。大学の近くで信号待ちをしていた時に同大学の先輩の見知らぬ二人組に声を掛けられたのです。

 二人組は、自分達はボランティア活動をしているサークルのようなものにいて、今は体験キャンペーンとして新入生を募集していると、私を勧誘しました。当時、大学公認のボランティアサークルに所属していた私は、ボランティア活動の勉強になるのではないかと試しに参加してみることにしました。

 今にして思えば、大学の掲示板によくある「サークルの新歓と見せかけて宗教に勧誘する人たちがキャンパスの周りに出没するので気を付けましょう」の張り紙通りの展開ですね。ただ、張り紙に書かれていなかったことは、「カルト宗教は決して宗教を自称しないものだ」ということです。

 サークルのレクリエーションや、地域でのゴミ拾いなどのボランティア活動を経ても、先輩たちはサークル活動が宗教の一環であることは明かしませんでした。こうして私は、自分でも知らないうちに、入信への一歩を踏み出していたのでした。

私が入信したカルト、どんなところ?

 私がいたカルトについて具体名は出しませんが、多少カルト宗教について興味を持っている方ならご存知かもしれません。キリスト教系の新宗教で、教祖はキリストに続いて地上に現れた救世主であり真の父だと主張している団体です。

 宗教の教義は、真の父である教祖の名のもとに、悪魔によって堕落していない「真の神の子」としての人格を完成させること。そして、同じく人格が完成した「真の神の子」、要するに同じ教団の信者を配偶者として教祖に選んでもらい、「真の家庭」を作ること。最終的には世界中を一つの家族にして平和の内に統一することでした。

 私がいたカルト宗教が、ホルガ村や、かつての麻原彰晃のオウム真理教、ジム・ジョーンズの人民寺院などのように教団主導で人殺しを行ったという事例は私が知る限りはありません。ただ、献金活動や伝道活動の違法性が認められ、霊感商法やマインドコントロールが社会問題になったこともあるので、彼らが不快な隣人なのは確かです。

カルト宗教あるある1:親近感アピール

 さて、映画『ミッドサマー』の描写と、私のカルト宗教での体験で重なるものは、大まかに分けて3つありました。第一に、ホルガ村の女性がダニー達に「向こうで『オースティン・パワーズ』を子供たちが見ているけどあなたたちはどう?」という旨を話すシーンです。

 一見社会と隔絶された村人のイメージに合わないポピュラーな映画のチョイスがユーモラスで、ダニーたちや映画を見る観客がホルガ村に対する親しみを深められる場面と言えるでしょう。

 私はここで、勧誘を受けて連れて来られた施設で出会った先輩たちのことを思い出しました。そこで会った人たちは一様に気さくで優しく、なにより純粋でした。自分から人と関わろうとするタイプではない私ですらも好感を持てる素晴らしい人たちだったのです。彼らは聞き上手で、大学生活の話だけでなく、『ターミネーター2』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などの好きな映画の話や、『ジョジョの奇妙な冒険』や『グラップラー刃牙』などの好きな漫画、色々な話で大笑いして盛り上がったのを覚えています。

 その先輩たちの姿は、日曜日に「聖書に興味はありますか」と言ってパンフレットを置いていく人たちや、数珠やお札をぶら下げて神に縋る心の弱い人たち、というような一般的なカルト信者のイメージからは遠く、私はその団体や先輩たちに対して、心のガードを下ろしていきました。

 ホルガ村のことを何も知らないまま村の文化や人々に好意を抱いていくダニー達はかつての私そのものだったのでした。

カルト宗教あるある2:「神秘体験」と「ジャーゴン」

 第二に、ダニーがメイクイーン選定のために薬を飲まされて踊るシーンです。このシーンがどう私のカルト宗教の体験と繋がるかを説明する前に、まずカルト宗教を語る上で重要なことを2つ説明したいと思います。

 一つ目に神秘体験です。肉体や精神に負荷を掛けていく修行、瞑想、自己啓発セミナー、薬物などによって、人は強烈な光を見たり、神の姿を見たり、神の声を聴いたり、背筋に電流が流れるような畏怖の感情が湧き上がったりします。

 カルト宗教では、こうした体験がその宗教の教義を裏付ける「神秘体験」として説明されるのですが、実際は脳内物質の働きなどを通して、科学的に説明可能な事象です。そして、大抵の方は宗教団体の中で修行や瞑想を真剣にする機会がないでしょうから信じがたいかもしれませんが、これが意外に簡単に引き起こすことが出来るものなのです。

 神秘体験を経験すると、その宗教の真実性が増すように感じられてしまいます。また、端からみると、人格や価値観がまるっきり変わってしまうことがあります。オウム真理教に関して、何故高学歴の彼らが荒唐無稽な麻原の教えを信じ犯行に及んでしまったのかが議論の俎上に載せられることがあるのですが、この神秘体験を経験してしまったがために入信したと語った元信者もいるのです。

 二つ目に、ジャーゴン、つまり内輪だけで通じる専門用語や特殊な言い回しです。ジャーゴンを使うのは何もカルトだけではありません。数人の友達内で通じる合言葉やインターネットミームなどもジャーゴンと言えるのではないでしょうか。

 カルト信者はカルト宗教だけで通じるジャーゴンを好んで使います。それ故に、外部から来た人がカルト宗教と接触して初めて感じる違和感はカルト信者の使うジャーゴンです。逆に言えば、カルト宗教のジャーゴンを使い始めれば信者になったということです。

神秘体験を経験し、すっかり教義を信じるように

 私はすっかり信用してしまったボランティア活動の先輩の勧めによって、冬休みの間に行われる研修会に参加しました。最初は感謝の大切さやグループ内での価値観を共有することを学ぶ一般的な自己啓発セミナーから始まり、次第に教祖(もちろん、講義の中では教祖などとは呼ばない)が世界平和を目指す活動家であることが明かされ、そして、最終的にカルト宗教の教義を学ぶに至りました。それはまるで、カエルが穏やかに上昇する水温を知覚できずに茹でガエルになる寓話そのものでした。

 研修会の中で、私は魂が震えるような感覚に襲われ、神のようなものを見る神秘体験を経験し、すっかりカルト宗教の説く真の家庭による理想世界が本当に到来すると信じるようになってしまいました。そしていつしか、私は元の私の言葉ではなく、カルト宗教のジャーゴンを使うようになっていました。

 正しく、私はカルト宗教の信者になってしまったのです。

 さて、『ミッドサマー』の描写に話を戻しましょう。ダニーは村人と共に傍目から見ても楽しそうにダンスをします。そして、その中でダニーは幾重もの光景が重なった黄色の強い光を見た直後に、ホルガ村の女性とスウェーデン語で会話が出来るようになるという不思議な体験をしています。そして、メイクイーンに選ばれたダニーは、自分を置いていった家族の姿を森の中に、或いは村人の中に見出すのです。

 ダニーがメイクイーンに選ばれるこの癒しすら感じられるシーンこそが、ダニーが晴れてホルガ村の住人として生まれ変わるおぞましい瞬間ではなかったかと私は思いました。

カルト宗教あるある3:個の喪失

 第三に、祝祭の終幕にクリスチャンが生贄として燃やされるのをダニーが見つめるラストシーンです。断末魔の叫びをあげる生贄に共感し、村人たちが一斉に叫び、のたうち回ります。

 そこには、優しくダニーに寄り添うペレも、村人を主導し外から来た者たちにも礼儀を払うシフも、ダニーたちに『オースティン・パワーズ』を見ないかと誘った女性も、ダニーと楽しくダンスを踊った女性もいません。彼ら彼女らは、人としての個を喪失し、ホルガ村という怪物の一部になったのです。

 そこでも私はやはりカルト宗教時代のことを思い出しました。

 私は研修会を経てすっかりカルト宗教の信者になり、更に教えへの理解を深める為という名目で、ボランティア活動の先輩たちとともに、大学生の信者寮に住むことになりました。

 入寮した夜、入寮者全員で祈祷をしました。必死に神や教祖に感謝や誓いを立てる為に叫び、身振り手振りで訴える先輩たちの姿は自分が信用した先輩たちではありませんでした。彼らは人としての個を喪失した、カルト宗教という怪物の一部でした。

 しかし、ラストシーンを迎えたダニーのように、当時の私は既に後戻りすることは出来ませんでした。逃げられないからでも、追いかけられるからでもありません。先輩たちの姿に違和感を感じなくなっていたからです。

 ダニーと私は同じでした。既に自分自身も怪物の一部になってしまっていたのです。

私がカルト宗教をやめられた理由

 ここまで一時期のめり込みながら、私は現在カルト宗教から足を洗っています。

 大学3年の頃の話です。当時、私は数々の神秘体験を経た後であったにも関わらず、カルト宗教の教えを疑うようになってきました。

 すべての人を幸せに出来るという話だったのに、カルト宗教が目指す真の家庭を作ることが出来ない人、即ち同性愛者やトランスジェンダー、アセクシュアル(*)、そしてカルト宗教の教える生き方を実践出来ない人たちは、悪魔の文化によって堕落していて幸せになれないとカルト宗教では教えていたからです。

*他者に対して性的欲求を持たない人のこと

『ミッドサマー』について、「ホルガ村はアセクシュアルにとって生きづらい場所だ」というつぶやきをTwitterで拝見したのですが、これは非常に重要な指摘だと思います。ホルガ村やカルト宗教のような共同体は、結局のところ、多様性を否定し少数派を切り捨てるかりそめの理想社会に過ぎないのです。

 私はシスヘテロ(*)の男性でカルト宗教の教えに沿わない人間ではなかったのですが、何かがおかしいんじゃないかと漠然と感じていました。そこで私は漠然とした疑問を決定的にするものに出会いました。

「百合」です。

*性自認と生まれ持った性が一致する「シスジェンダー」、性的指向が異性に向く「ヘテロセクシャル」であること

こんなに素晴らしいものを否定する教義はおかしい

 皆さんは「百合」をご存知でしょうか。百合の定義は未だに公には定まっていませんが、概ね「女同士の強い感情、関係性、または、それらが描写された作品」を指す言葉です。私は何となく見つけた百合作品たちに感動しました。そこで、こんなに素晴らしいものを悪魔の文化だとか堕落しているだとか言うカルト宗教自体がおかしいんじゃないかと確信めいたものを得たのです。

 結局、私はずるずると大学卒業まで信者寮にいました。しかし、社会人になると同時にカルト宗教から距離を置くようになり、作中のペレのようにカルト宗教に戻ることは二度とありませんでした。

 それ以来、私は神のいない世界で生きています。そこでは全ての人が幸せになる見込みもなく、真の理想世界もきっと実現しないことでしょう。でも、神に存在を許されていない人間が一人もいないだけで私には十分です。

 あと、私は今、百合を読んだり、百合を書いていたりします。百合は強い。最強だ。

 だから、ラストシーンを迎えたダニーにこう言いたいと思います。

 ダニー。

 百合はいいぞ。

(いりこしうむ)

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