ダウンタウン浜田雅功“200万枚伝説” 25年前『WOW WAR TONIGHT』バカ売れを松本はどう思った?

文春オンライン / 2020年3月15日 11時0分

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1994年7月にリリースされた篠原涼子「恋しさと せつなさと 心強さと」。200万枚を超える大ヒットとなった

「ほんまお願いします。ミリオンセラー、よろしくお願いします!」

 フジテレビ系の音楽番組『HEY!HEY!HEY!』で、司会のダウンタウンの一人、浜田雅功(当時31歳)がそう言って小室哲哉(同36歳)に頭を下げたのは、同番組が始まって2カ月後の1994年12月のことだった。小室はこの回、篠原涼子とゲスト出演した。ちょうど同年7月にリリースされた小室プロデュースによる篠原のシングル「恋しさと せつなさと 心強さと」が、200万枚を売る大ヒットとなっていた。ダウンタウンとしては、バラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』で共演する篠原のヒットに触発されたところもあるのだろう。また篠原以外にも、ダンスボーカルユニットTRFのシングルがあいついでミリオンとなるなど、このころには小室のプロデュースするアーティストは当たるというイメージができ始めていた。浜田が番組中のトークで「僕らにも(曲を)書いてくれませんか」と小室に頼み込み、頭を下げたのには、そうした背景があった。

ちょうど25年前に発売された「WOW WAR TONIGHT」

 小室は翌1995年1月にも再び『HEY!HEY!HEY!』に出演し、すでに制作に入っていた浜田の曲はもしかするとヒットチャートで1位になるかもしれないと自信を示し、そのため当初浜田と同じ日に予定されていたTRFの新曲のリリースをずらしたと明かしている。果たしてTRFの「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」発売の翌週、1995年3月15日、浜田と小室によるユニットH Jungle with tの1stシングル「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント~」がリリースされた。いまから25年前のきょうのことだ。同曲はヒットチャートで首位を7週もキープする大ヒットとなる。小室はこのあと1995年中には、華原朋美や安室奈美恵、また自らもメンバーとなった新ユニットglobeなどのプロデュースも手がけるようになり、以来数年にわたってメガヒットを連発した。「WOW WAR TONIGHT」はまさに“小室時代”の開幕を告げた1曲といえる。

 もっとも、浜田としては、小室に曲を頼んだのはもともとシャレのつもりだった。これに対し小室は「頼まれたら断れない」「だから頼まないでください」と応じていた。

レコーディングはわずか1時間半

 番組の収録が終わってから、小室のスタッフにも「小室さん、ノリであんなこと言いましたけど、今は忙しいから勘弁してください」と言われたという。それでもダウンタウン側のスタッフがあらためて小室に確認したところ、「ああ、やりましょうか」とわりと軽い調子で返事があった。これを聞いて浜田は「なんや、言うてみるもんやな~」とのんきに構えていたが、いざレコーディングの日を指定されると「えっ、ええ~!」と慌てたらしい(※1)。彼にしてみれば、まさにひょうたんから駒が出たというわけである。

 レコーディングはわずか1時間半くらいで終了した。場所は小室がワンフロアを借り切ったマンション。フロアに6つほどあるどの部屋でもレコーディングができるよう、機材が全室に入っていた。浜田はまず1室に通されると音を聴かされた。音と一緒に口ずさんでいると、「ああ、いけますね。それなら本番、行ってみましょう」と小室に言われ、隣りの部屋へ移動する。そこは普通のリビングで、ヘッドホンをつけてマイクに向かって歌っていると、家でカラオケをやっているみたいな感じだったという。部屋には小室と2人きり。ただ、部屋の天井近くにはカメラがついており、小室はそのカメラに向かって、別室にいるスタッフへマイクで指示を出していた。

「どやねん、CD、売れてんのか?」

 このあと編曲などの作業が進められ、ジャケットには小室の提案で「2 Million Mix」と入れた。当時人気が絶頂に達していたダウンタウンの浜田の初のCDとあって、リリース前から予約注文が殺到、当初30万だった初回のプレス数は直前に100万に引き上げられる。それも店頭に並ぶやすぐ完売。小室の予想どおり、あっという間に200万枚に達した。

 当の浜田にはなかなかヒットの実感が湧かなかった。そんなある日、当時4歳だった長男(現在ミュージシャンとして活躍するハマ・オカモト)が『ピノキオ』のビデオがほしいというので、近所の大きな電器屋に入るレコード店へ行った。ビデオをレジに持っていくと、店員がみんな浜田を見ている。そこで何も言わないのも変なので、「どやねん、CD、売れてんのか?」と訊ねると、「売れてますよ、1位ですよ、今。見てください!」と壁に貼ってあった順位を見せられた。《それでも「ほんまかぁ?」みたいな気分は、まだ、抜けへんかった》と、彼は女性週刊誌の連載エッセイの第1回で書いている(※1)。

 仕事の現場でも浜田はしばらく「すんません」を連発することになる。

 いわばバイトで歌ったにすぎないCDが何百万枚も売れてしまったのが、本業で音楽を一生懸命やっている人たちに申し訳なく思えたからだ。ヒットしたのも自分の力というより《これはなんちゅうても小室哲哉さんの力やから!》と強調した(※1)。

プロデュースの依頼から1週間以内に曲が出来ていた

 それでもこの曲は浜田なしにはありえなかった。小室は後年、「WOW WAR TONIGHT」はプロデュースを引き受けて1週間もかからずにできていたと明かしたうえで、次のように語っている。

《浜ちゃんの、あの味のある声をずっと[引用者注:テレビの収録]現場で聴いていたから。まだ「おっさん」っていう年齢じゃない、若者たちの頼れる兄貴だった浜ちゃん。経験は豊富だけど、決して説教じみているわけじゃなくて「俺もこうなりたい」「こういう人がいてくれたら」って思える存在。女性からみたら、ぶっきらぼうだけど優しい憧れの上司的な感じかな。あと当時はファッションリーダー的な立ち位置でもあったからね。そういうのを全てひっくるめて出来上がったのが「WOW WAR TONIGHT」でした》(※2)

「浜ちゃんが歌っている時、ジンときました」

 曲の依頼を受けたとき、小室はちょうどジャングルという当時最新のダンスビートに興味があり、浜田がお笑いで叫んでいる声がハマりそうだと感じていた。実際にレコーディングしてみると、小室の想像以上だったのだろう、《浜ちゃんが歌っている時、声を聴いてるだけでもけっこうジンときました》という(※3)。

 そもそもこの曲は、ジャングルのリズムを用いてはいるが、歌詞の内容は普遍的なフォークソングとしてつくったという。小室は後年、《ダウンタウンの名前に恥じないものを……って考えた時、どんな時代背景でも、誰の心境にも寄り添うような一曲にしようと。人の心に入り込んで初めて、曲は曲になる。浜ちゃんの忙しい日常を歌ったものだけど、それは生きている誰もが感じる部分だったりするから。「何かを起こしたい」っていう気持ちは、今の時代も同じようにある》と説明している(※2)。

 ちょうどこの曲の制作中、1995年1月17日には阪神・淡路大震災が起こり、さらにリリースの5日後、3月20日にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した。そんな状況のなか、マスメディアでは「この社会をどうするか」が声高に語られるようになる。小室によれば、「WOW WAR TONIGHT」にはそうした風潮に対抗する狙いもあったという。

《そんなことが声高に語られる時代に、僕はみんなが直面していた小さいけれど大変なことや、そこからの変革・脱出をイメージした曲をつくろうと思い立った。社会を構成しているのは一人ひとりの人間たちで、みんな誰もが自分たちの生活をなんとかやっていくことのほうが切実な問題だと感じたのだ。(中略)僕が書いたのは、「なんとか自分を守って生きている」「でもなにかを起こしたい」というような、みんなが普遍的に持っているリアルな気持ちだった。僕は“たかが音楽”でできることは、小さくても大変なことで頑張っている人たちを応援することだと考えていた》(※4)

「ん? 温泉?」というんもあった

 小室は制作にあたり、ダウンタウンのビデオをたくさん見ながら考えるうち、浜田のいまやっていることと、忙しい自分の生活とオーバーラップしてくるものがあり、共通項で書けることがすごく出てきたという(※3)。浜田もまた、この曲をもらって、《俺をどこまでわかっとるんか知らんけど、うまいこと気持ちにハマるようにしてくれたな》と思った(※1)。たしかに同曲の歌詞には《全然 暇にならずに時代が追いかけてくる/走ることから逃げたくなってる》など、二人の心境に重なったと思われる部分は多い。それ以上に浜田を感心させたのは、《温泉でも行こうなんて いつも話してる》というフレーズだった。ここはたとえば「一人で車を転がして、一人の時間がほしい」とカッコつけた書き方もできたはずなのに、それをあえて温泉を出してきたのがすごいというのだ。

《最初に詞だけ見たら「ん? 温泉?」というんもあったけど、あのメロディーに乗ると、決してオヤジしてないし、聴いてる人みんなの気持ちにもピッタリくるやろなとも思うし。俺が歌うからというんもあったかもわからんけど》(※1)

「浜田さんのCDがあんなに売れて、松本さんはどう思いますか?」

 この曲ではまた、浜田とは別録りながら、相方の松本人志の声も使われている。間奏で《B・U・S・A・I・K・U/H・A・M・A・D・A》と繰り返したかと思うと、曲の終わりには、《浜田と初めて会うたんはねー、小学校の時……何やったかな、あいつ……えらいパーマで……パーマ頭でラッパズボンで登場して、「何やこいつは」と思って。「こんなやつ、絶対友達になるかい」、そない思てたんやけど……まあ、どうしてか……》と浜田との馴れ初めが語られ、ダウンタウンファンにはグッとくるものがある。

 浜田はこれ以前から単独でドラマにも出演するようになっていたが、「WOW WAR TONIGHT」リリースの前後には、松本もまた単独でお笑いライブを開催し始めたほか、週刊誌での連載コラムを単行本化した『遺書』『松本』が大ベストセラーとなった。このころ、二人はそれぞれ「松本さんの本(浜田さんのCD)があんなに売れて、浜田(松本)さんはどう思いますか」とよく訊かれたという。浜田はそのたびに《ええことやないですか!?》と答えた。それというのも、《松本の出した本が、あそこまで売れたんは、ほかでもない、あいつの才能によるものやろし、そのことで、それなりの金もろてんのやから》と思っていたからだ。松本もまた、同じようなことを答えていたらしい(※5)。

 浜田は「WOW WAR TONIGHT」で、この年の大晦日のNHK紅白歌合戦にも出場した。その本番、ステージで浜田と小室のまわりをエキストラのクラバーやほかの出場歌手が踊るなか、途中で松本がサプライズで“乱入”する。松本は、同時期に坂本龍一のプロデュースにより浜田と謎のユニットというふれこみで結成したGEISHA GIRLSの格好(日本髪のかつらに白塗り)で浜田に近づくと、持参したバッグから自分と同じかつらを取り出し、浜田にかぶせた。会場が湧くなか、曲の終盤に入ると、浜田はかつらをかぶったまま小室と一緒に客席へ駆け出し熱唱する。歌い終わったあと、ステージに戻る途中で彼が叫んだのは、この年何度も口にした「どうも、すんませんでした!」という一言であった。

※1 浜田雅功『読め!』(光文社文庫、1997年)
※2 「小室哲哉が語る、『H Jungle with t の頃』」(『クイック・ジャパン』Vol.104、太田出版、2012年)
※3 伊藤愛子『ダウンタウンの理由。』(集英社、1997年)
※4 小室哲哉『カリスマの言葉シリーズ #011 時代をつかみとる思考』(セブン&アイ出版、2016年)
※5 濱田雅功『がんさく』(幻冬舎よしもと文庫、2009年)

(近藤 正高)

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