「テセウスの船」実話モチーフはあの“凶悪事件”? なぜ原作の舞台は北海道なのにドラマは宮城か

文春オンライン / 2020年3月22日 11時0分

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3月22日に最終回を迎えるTBS系『テセウスの船』(TBSホームページより)

 TBS系のドラマ『テセウスの船』(日曜夜9時)が今夜、最終回を迎える。本作の軸となるのは、1989年、平成改元からまもなくして宮城・音臼村の小学校で起こった無差別大量殺人だ。事件の容疑者として地元の駐在所の警官・佐野文吾(鈴木亮平)が逮捕され、裁判で死刑が確定する。文吾の次男・田村心(しん/竹内涼真)は事件直後に生まれたが、殺人犯とされた父のために母・姉・兄とともに世間から非難を浴び続け、素性を隠しての生活を余儀なくされる。だが、文吾は一貫して無実を訴え、再審請求を続けていた。心の妻・由紀(上野樹里)は、愛する夫の父を信じたいとの思いから、こつこつと事件についてノートにまとめ、心に託す。由紀はそれから娘を生んだ直後に急死。残された心は、妻の思いに応え、父と自分たち家族の人生をめちゃくちゃにした事件に向き合うべく音臼村を訪れる。そこで突如として2020年の現代から31年前にタイムスリップし、事件が起こる直前のその村で若き日の父と家族に遭遇するのだった――。

『テセウスの船』が思い出させる“平成の凶悪事件”

 音臼村も、そこで起こった事件も、もちろん架空の場所・できごとである(ちなみに音臼村は、原作コミックでは北海道という設定になっている)。それでも、劇中の事件は、平成に起こったさまざまな凶悪事件を思い起こさせる。たとえば、小学校で起こった大量無差別殺人というと、2001年の大阪教育大附属池田小学校での児童殺傷事件がどうしても思い浮かぶ。また、物語が進むにつれ犯人が少年だとあきらかになる展開や、彼の残した不気味な落書きなどからは、1997年に神戸で起こった14歳の少年による連続児童殺傷事件を想起してしまう。そして、小学校のお楽しみ会で子供たちの飲んだジュース(心のタイムスリップにより歴史が変わってからは地元の郷土料理の「はっと汁」)に毒物が混入されており、大勢が死亡するという設定は、1998年に和歌山市内の夏祭りで起こった毒物カレー事件とやはり重ね合わせずにはいられない。

 いずれの事件も、犯人の動機に不可解な部分が残るという点で共通する。これらにかぎらず、平成の31年間にはそうした事件が頻発した。『テセウスの船』でも、実行犯は一応現れたとはいえ、その裏にはさらに黒幕の存在がいるらしく、いまだ動機は判然としない。すべては最終回であきらかになるはずだが、果たしてどんな結末が待ち受けているのだろうか。ネットではすでに事件の黒幕は誰なのか考察でもちきりだ。ちなみに事件の真犯人は原作とは異なると、すでに原作者の東元俊哉の手紙を通じて公式に発表されている。

加害者家族がドラマの題材になる理由

『テセウスの船』でいまひとつ特筆すべきは、凶悪事件の加害者側の家族を主役に据えたことだ。奇しくも、同じクールに日本テレビ系で放送された『知らなくていいコト』も、吉高由里子演じるヒロインが、自分の父親がじつはかつて世間を騒がせた殺人犯だと知ったことから物語が展開された。

 ここへ来て、事件の加害者家族がドラマの題材に採用されているのは、なぜだろうか? 

 思えばここ数年、オウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の三女や和歌山毒物カレー事件の林眞須美死刑囚の長男といった、死刑囚の子供による手記があいついで刊行されている。それら手記では、子供にしか知りえない事件当事者の素顔や、家族に対するマスコミや世間の態度があきらかにされ、事件について新たな視点を与えた。いま、ドラマで加害者家族が扱われる背景には、こうした現実の家族の声も受けとめながら、どんな凶悪事件であれ、多面的にとらえようという時代の流れもあるのだろう。

 後者の手記『もう逃げない。――いままで黙っていた「家族」のこと』(ビジネス社)では、林眞須美の長男が母親の逮捕後、「殺人犯」の子供として世間から差別され、ときには暴力を振るわれたりもした過酷な体験がつづられている。『テセウスの船』でも、文吾の逮捕後、家族が悲惨な運命をたどる様子が丁寧に描かれてはいるが、手記の記述とくらべると、ドラマの描写はソフトに思えてしまう。ただ、親が子供にかける愛情など、事件が起きても変わらない家族の関係には、手記も『テセウスの船』も通底するものを感じる。

『テセウスの船』は、ミステリーやサスペンスの要素を盛り込みつつ、その主眼は家族の再生にこそある(その証拠に、主題歌「あなたがいることで」をBGMに各話の山場となるのはいつも、文吾や心の家族の絆が確認される場面だ)。再生の前提となる試練として、父親が凶悪事件の犯人になってしまうというのはこれ以上ない設定だろう。特殊な設定ではあるが、文吾の一家も事件前は普通の幸せな家族だった。ドラマではその点が強調され、だからこそ事件後の家族の転落ぶりが印象に残る。考えてみれば、どんな家族でも、きっかけが何であれ突如として危機に陥る可能性はあるわけで、このドラマはそうした普遍性を描き出そうとしているともいえる。

和歌山毒物カレー事件、ロス疑惑……マスコミの反省

 ドラマで加害者家族が題材にとりあげられる理由には、もうひとつ、メディア側の反省という意味合いもあるのではないか。『テセウスの船』の先週(3月15日)放送の第9話では、文吾が殺人犯だという疑惑が持ち上がるや、逮捕前にもかかわらず彼の自宅にマスコミが押しかける。その描写は、和歌山毒物カレー事件、あるいは1980年代のロス疑惑や豊田商事事件などで問題となったメディアスクラムを思い起こさせた。

 容疑者の家族にマスコミが殺到する描写は、『テセウスの船』以前にもたびたびドラマで見た記憶がある。しかし、TBSはかつてオウム真理教をめぐりビデオ問題を起こした過去を持つだけに、同局の看板というべき日曜劇場のドラマで、メディアの狂騒が描かれるのは意義深いと思う。

なぜ原作は北海道なのにドラマは宮城なのか

 現実のできごととの関連でいえば、『テセウスの船』には東日本大震災を想起させる場面もあった。ドラマがスタートして以来、原作では北海道だった舞台がドラマでは宮城県に、無差別殺人事件の発生する時期も6月から3月に変更されているのが、筆者にはずっと疑問だった。

 しかし3月1日放送の第7話を見て氷解した。この回では、ついに事件が起こるはずの前日を迎えるのだが、その日付が「3月11日」だったのだ。それは放送時期に合わせたというのもあるのだろう。しかし、この回での心の長ゼリフには、やはり震災を想起せざるをえなかった。それは、家族が事件に巻き込まれないよう、文吾が妻と子供たちに今夜中に村を出るよう強引に準備を促したために喧嘩となってしまった場面でのこと。心は大声で「やめてください!」と制止し、みんなを落ち着かせたところでこんなことを語ったのだ。

「俺の家族は、あることが原因でバラバラになりました」
「だから俺、この家がすっごくうらやましいです。みんなでプロレスしたり、バカ言い合ったり、わいわいごはん食べたり。でも、これって、当たり前のことじゃないんです。ある日突然壊れてしまうこともあるんです」
「だから家族一緒に笑っていられるって、すごく幸せなことなんです」

 家族が話したり食事をしたりといった日常はけっして当たり前ではなく、ある日突然壊れてしまうことがあるとは、やはり震災を念頭に書かれたセリフとしか思えない。となると、3月11日という日付も、単なる偶然ではなく、やはり意識的に設定したものと考えるべきではないだろうか。舞台が宮城県になったのも、震災の被災地を意識しての変更のように思う。

「平成」という時代を振り返る貴重なドラマ

 このほか、『テセウスの船』では、「24時間戦えますか」のCMソングや、ワープロ、使い捨てカメラ(レンズ付きフィルム)など、平成が始まったころに流行ったものもたびたび登場した。先にあげた現実の事件や震災を想起させる描写といい、ドラマ全体を通して平成という時代を回顧する趣向が凝らされている。文吾が殺人犯とされて以来、彼と家族から幸せな生活が奪われた31年間はそのまま、日本人にとっての平成――「失われた30年」とも呼ばれるあの時代の“重み”を示唆しているのではないだろうか。

 新型コロナウイルスの流行で沈滞する現在の状況は、ちょうど1年前、改元を前に日本中がお祭りムードに包まれていたのがまるで嘘のように思わせる。お祭り騒ぎのほとぼりが冷めたいまだからこそ、あらためて平成の時代をドラマという形で振り返る『テセウスの船』は貴重だ。

(近藤 正高)

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