13歳少女が飛び降り自殺 残されたのは「みんな呪ってやる」のメッセージだった

文春オンライン / 2020年6月22日 6時0分

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「生きジゴク」になっちゃうよ……教員も参加した“葬式ごっこ”が奪った中学2年生の命 から続く

 スマートフォンやタブレットといったモバイル端末が普及し、いまや1人1台が当たり前の時代になっている。電話やメールはもちろん、SNSを通じていつどこにいても任意の相手と連絡を取ることが可能になった。

 通信技術の進歩は私たちの生活に利便性をもたらす一方、使い方を誤れば容易に暗い影を落とす原因となってしまう。端末のデータは本人以外の目に触れにくいため、子どもが何か問題を抱えていても保護者が気がつきにくい。その閉鎖性によって、「ネットいじめ」が加速しているという。

 長年ウェブと生きづらさをテーマに取材を進めているライター・渋井哲也氏の 『学校が子どもを殺すとき』 (論創社)より、一部を抜粋する。

◇◇◇

LINEいじめと調査委員会をめぐる混迷――奈良県橿原市いじめ自殺

 2013年3月28日の8時前後、菜絵(享年13、仮名)が自宅から徒歩数分のマンション7階から飛び降りた。

 この日、菜絵は所属するテニス部の試合だったが、寝坊してきた。母親の亜弥(仮名)が家事をしていると、菜絵がリビングのドアを開けた。

「ママ……」

「どうしたの?」

「今日、試合やった」

 元気がなさそうだったが、亜弥の頭に浮かんだのは「お弁当を用意しないといけない」ということだった。

「すぐ作るから、そのあいだに用意しといて」

「ユニフォームがない」

「あるよ。あとで(部屋に)見に行くから」

 いつもならお弁当のほかに菓子パンを持たせるが、急だったために用意できず、おにぎりを作った。菜絵さんが洗面所にいるのが見えた。ユニフォームを着ていた。

「ほら、あったやん」 

 元気を出そうとして、亜弥さんは少しオーバーに言い、菜絵さんを送り出した。

「気をつけていってきいや」

 亜弥が菜絵を送り出し、洗濯物を干していると、固定電話が鳴った。学校からだった。なぜこんなに時間に電話があるのだろうか。「娘さんはもう家を出られましたか」と聞かれた。この電話で菜絵が飛び降りたことを知るが、「内容がショックすぎて、先の会話を憶えてない」と亜弥は振りかえる。

「蝶々かトンボを追いかけて……」事故に見せかけたい加害者の親

 亜弥は父親の修司と合流し、奈良県立医科大付属病院に車で駆けつけた。マンションから落ちたと聞いていた亜弥は、怪我を心配した。

 病院に着くと、学校の先生が数名いた。話を聞くと、菜絵は7階からの転落したのだという。亜弥は目の前が真っ黒になった。10時ごろ、執刀医が現れ、「もうこれ以上、娘さんを傷つけることはできません」と言った。「意味がわかりません。傷つけてもいいです。助けてください」と叫ぶ亜弥の背中を、彼女の母親が叩いた。亜弥は、菜絵が亡くなったことが理解できた。

 菜絵が亡くなった翌日(3月29日)の夜、学校でクラスの保護者会が開かれた。そのとき、欠席した保護者のひとりがやって来て、亜弥にこんなことを言った。

「きっと蝶々かトンボを追いかけて落ちたと思うねん。そう思ってあげて。みずからこんなことをする子やない」

 不審に思った。学校全体の保護者会のあとに開かれたテニス部の保護者会でも、その保護者は「いま、亜弥さんのところへ行ってきました。菜絵ちゃんは、蝶々かトンボを追いかけていたと言ってました」と不思議な発言をした。まわりの人たちに、菜絵の死を事故に思わせようとしている。のちにわかることだが、この保護者の娘がいじめの加害者だった。

罪を告白する加害者、隠蔽する学校

 菜絵が自殺した直後から、いじめを苦にしたという疑いはあった。飛び降りたマンションの通路に彼女の携帯電話があり、そこには未送信メールが残されていたからだ。そのメールには、

「みんな呪ってやる」

 と書かれていた。

 そのメールの存在を亜弥が警察から知らされたのは、当日、救急で運ばれた病院だった。LINEでのいじめを知るのは告別式のときで、同級生のひとりが「私のせいでこうなった」と誰もが読めるタイムラインで投稿した。さらに、4月25日になると、いじめや暴力があったことを教えてくれた生徒があらわれた。

 4月26日に亜弥は学校へ出向き、「自殺前日のことは、調べたのか?」とたずねた。教頭は、「調べる材料がない。証拠がない。調査には限界がある」と言って調査を躊躇した。別の日に自宅へ「調査委にすべて任せる」と言いにきた、生徒指導の担当教師は、「いじめられる側にも原因があったんじゃないですか?」と述べる。学校は、いじめの被害を受けた子どもやその保護者の味方ではないのか……。

 4月28日になると、校長と教頭、生徒指導を担当する教師が自宅をたずねてきた。一緒に来た同級生ふたりは、保護者をともなっていた。同級生は、菜絵がクラスで仲間はずれにされていたことを証言し、「こんなんいじめや。死にたい」と菜絵が言っていたことを教えてくれた。

様子がおかしい生徒を放置する教師

 担任が自宅をたずねたのは、校長らよりも前のことだった。学校での菜絵の様子を話してくれた。加害者3人を名指しし、クラス内で仲間外しがあったことを証言した。話を聞いた亜弥は、先生に抗議した。様子がおかしい娘を、なぜ放っておいたのか、と。すると以降、担任は来なくなった。

 部活の顧問も、菜絵へのいじめや暴力の内容を亜弥に伝えていた。部活では、いつもひとりだったこと。口数が少なくなっていったこと。「本当は、亡くなる日の夕方、お母さんに電話をして、相談しようと思っていた」と顧問は話した。顧問は、週に数回、自宅に来てくれた。遺族の話を聞き、自身の思いも話し、学校に対する憤りを共有してくれた。残念なことに、顧問は次の年に別の学校へ異動になってしまった。

 5月14日には、再度、アンケートの実施を要望した。当初、保護者の許可を得てから聞き取り調査をおこなおうと校長は考えていた。しかし、橿原市教育委員会(市教委)との話し合いの結果、遺族に相談しないままアンケート調査をすることになった。アンケートが実施されたのは5月17日。菜絵の死から7週間が経っていた。アンケートは、ふたつの問題をはらんでいた。ひとつめは記名か無記名か。結局、無記名になった。

アンケート開示に2カ月、公表まで3カ月

 もうひとつは、アンケートの開示に関してで、ようは遺族に原本を見せるかどうかが問題となった。実施前、市教委は「原本を見せる」としていたが、実施後になってから「集約したものを見せる」と変更された。

 アンケートの結果が開示されるまでも時間がかかった。開示されたのは7月22日となった。集約をしたものを亜弥がマスコミに公表できるようになったのは、回収してから3ヶ月後の8月16日であった。

 2年生と3年生を対象にした442人に実施されたアンケートには、様々な目撃情報が書かれていた。たとえば、以下のような内容だ。

(仲がよい)3人から無視されたり、避けられたりしていた。

グループから2回も仲間外れにされていた。

(部活の)先輩から膝でお腹をけられていた。

 アンケートのなかには、亡くなる数日前、テニスコートの砂で菜絵がお墓を作っていたという情報があり、そのとき菜絵が語った「私が死んだらここに入れて」という言葉も書かれていた。ラケットで叩かれたり押されたりと、部活で先輩に暴力を振るわれていたというという証言もあった。

 アンケートに書かれていることが、すべて本当かどうかはわからない。調査委員会(調査委)の検証が必要である。にもかかわらず、6月7日の保護者会で校長は、「いじめという話があがっていない」と説明している。同日の記者会見でも、教育長が「いじめと自殺の因果関係は相当低い」と説明した。アンケートの内容を知っていながら、このような発言をすることは、悪質だと思わざるをえない。

揺れる調査委

 こうしたなかで、菜絵の自殺といじめに関する調査委が市教委事務局の下で設置される。菜絵が亡くなってから、すでに3カ月が経過していた。ただし、設置までの経緯は混迷していた。 

 6月24日、遺族側は市長と学校、市教委に対して「申入書」を提出した。内容は、「市長部局の下で調査委を設置すること」、「調査委の半数は遺族推薦によって選任すること」「調査委に関する条例や規則をつくること」などだった。

 そして、6月28日にいじめ防止対策推進法が成立したことにより、いじめ自殺に世間の注目が集まるようになる。学校や教育委員会のいじめ対応が以前より問われるようになった。

 にもかかわらず、7月3日、遺族側の申し入れはすべて拒否された。7月9日、遺族側は「抗議・申入書」を送付した。その翌日、調査委の初会合が実施されることになる。ふたを開けてみると、調査員のなかに市側の顧問弁護士が含まれていることが明らかになった。翌日、遺族側は抗議書を送る。

事件発生から1年後、いじめの事実が認められる

 その後も調査委は遺族と対立した。市教委が調査委に「遺族が予断をもったことを言っている」などと抗議していたからだ。一方、遺族からの抗議に対しては、ゼロ回答が続いた。このころ、学校や市教委は、「家庭内に虐待があったのではないか」と菜絵のいじめ自殺を家庭内の問題にすり替えようとしていたふしがある(朝日新聞、15年4月25日付と遺族の証言による)。

 遺族側は、調査に協力しないことにした。情報を持っていても、学校や市教委は調査委に伝えない。調査委と遺族側は信頼関係を築けず、調査は空転が続いた。公正中立を疑われた調査委は、9月17日に解散した。その直後、「橿原市立中学校生徒に係る重大事態に関する調査委員会」という第三者の調査委員会(第三者調査委)を設置することで、遺族と市教委が合意する。

 生徒たちへの聞き取り調査は、第三者調査委が発足する11月になってからの実施となった。延べ105人の生徒や教員から聞き取り調査をした報告書は、翌14年4月23日に公表された。この報告書によって、いじめがあったという事実は認められた。

批判された市教委と学校の対応

 報告書は、友人関係の変化やトラブル、学校生活のストレス、家族関係の不満などの精神的疲労が蓄積され、菜絵の衝動的な自殺につながったとした。つまり、自殺の原因については、複合的な要因によるものだと結論づけた。

 LINEでのいじめは認定された。亡くなるまでの1カ月のあいだ、友だちのタイムラインにはこう書かれていた。

 ほんま、うざい。消えてよね

 KYでうざい。さよなら

 いじめの加害者が投稿した内容を見て、自分のことだと思った菜絵は、手紙を回し、その友だちに「あのタイムラインは誰のこと?」とたずねている。すると友だちは、「菜絵のこと」と手紙を返した。そして、菜絵は3月6日のタイムラインに「ぁー学校めんど。笑」「あいつらとおんなし空間におるだけで吐き気がするゎ…」と書いている。

 また、第三者調査委に提出された菜絵の日記は、12年10月6日から始まり、書かれているのは延べで10日くらい。12月12日の日記には「□□(筆者注…加害者名)たちになんかしたんかな?(筆者注…自分自身が)いらない子なのかな? 死ねるものなら死にたい」と書かれていた。ただし、同じ日の日記の最後には、「話を聞いてもらってよかった。人に優しく」ともあった。小学校からの友人で部活動も同じだった女子生徒に、悩みを聞いてもらっていたようだ。

教育現場と家庭の情報共有がいじめを未然に防ぐ

 亜弥は「調査に協力してくれた同級生や保護者には感謝したい」と述べる。とはいえ、親に言える子どもと言えない子どもがおり、子ども自身も自尊心やプライドがあるのも事実だ。だからこそ、子どもの異変について、学校が知っていることは保護者に教えてほしいと亜弥は考えている。そうすれば、なんかの対応ができたし、菜絵はいまも生きていたかもしれない。親と子どもと学校が情報を共有する。たったそれだけのことで、防げることがある。

 また、学校や市教委は当初、「自殺の要因が学校ではなく、家庭にある」と即断した。疑われていた虐待の事実は否定され、その検証は十分にされた。今回は、「母親が殴っていた」などという根拠のない噂が出回っていたが、それが否定されたかたちだ。こうした家族の問題を疑うような噂は、ほかのいじめ自殺事件でも流れたりする。この点について第三者調査委は、真相解明と再発防止策の早期実施を遅らせたことから、「責任は極めて重大」として学校と市教委の対応を批判した。

 報告書では、いじめについての共通理解の重要性や、いじめ早期発見のためのアンケート実施、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの活用など、いくつかの提言がなされている。そして、その提言を実行するための監督機関の設置も検討の対象とした。

現在も継続する「いじめ訴訟」

 報告書を読んだ亜弥は、バランスが悪いと思った。クラスメイトによるいじめが検証がされ、認定されている。他方、テニスコートでお墓を作っていたという情報や先輩からの暴力など、部活動での出来事がほとんど検証されていなかったからだ。

 市側も第三者調査委の調査結果に不満を抱いた。5月27日に開かれた市議会の文教常任委員会で、森下豊市長(当時)は「特別な監督機関は断固として反対。偏った物の見方の提言がされたことに不満を持っている」と答弁。第三者調査委に市や市教委が「公正中立」ではないと指摘されたことへの反発だった。

 9月1日、市や加害者を相手に約9700万円を求めて、遺族は損害賠償請求訴訟を奈良地裁(木太伸広裁判長)に起こした。裁判で争点となっているのは「いじめ」が「自殺の兆候」にあたるか、である。争点を検証するため、市側に情報の開示を求める「文書提出命令(文提)の申し立て」を遺族がおこない、奈良地裁は一定の範囲での開示を決定した。

 裁判をおこなっても、学校や市教委は生徒の情報を出したがらない。だからこそ、いじめ自殺の裁判を中断してでも、「文提」で闘わなければならなくなり、それだけで時間がかかることになる。そのため、現在も継続している。

【追記】

 2020年5月26日、奈良地裁(島岡大雄裁判長)で証人尋問が行われた。原告側証人として、菜絵が所属していたソフトテニス部の顧問が出廷した。その中で、顧問は、菜絵が2012年12月ごろから、同級生の6〜7人のグループから仲間外れにされたことを担任から聞いたと話した。その上で、担任が「調子に乗っているので、痛い目にあったらいい」と発言していたと、証言した。菜絵が自殺をした日、担任が「クラスのことが原因かな?」と言っていたことも指摘した。

 また、同級生の友人も証言。菜絵から電話で仲間外れにされたことを告げられ、「死にたい」と話していたことを明らかにした。

(渋井 哲也)

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