「泣き叫ぶ母と父を下ろして……」イジメ、父からの暴力、闇金、そして……カリスマ熱波師の人生は壮絶だった

文春オンライン / 2020年6月20日 17時0分

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熱波師・井上勝正さん(右)。「パネッパー!」が決めゼリフ

「セブン、エイト、ナイン、テン!」

 意識が朦朧とする中、レフリーの声がテンカウントを告げる。

 映画『レスラー』でCZWの興行シーンにも使用されたアメリカ、フィラデルフィアのECWアリーナのマットの上で、プロレスラー井上勝正は自らの身体の限界を感じていた……。

 井上勝正、50歳。神奈川県横浜市鶴見区の温浴施設「ファンタジーサウナ&スパ おふろの国」の従業員であり、他とは一線を画す独自のロウリュ集団“熱波道”を率いるカリスマ熱波師。

 元プロレスラーという異色の経歴を持つ彼の人生もまた、波乱万蒸だった。

サウナを教えてくれたのは「ヤクザの親分」だった

「生まれは大阪の生野区。うちは貧乏で、毎晩お風呂屋さんに行っていました。当時は、町内に10軒以上銭湯がある時代で、僕が10代の頃に一斉に銭湯がリニューアル始めて、サウナがついたんです。最初に入った時は、ヤクザがわーっといてて。『お前らサウナで静かにせえよ』『しゃべるな』とか色々教えてもらって(笑)」

 サウナとの出会い自体は特別ではなかった。むしろ「こんな暑いところにいて、何が気持ちいいんだろうか?」と思っていたという。そんな井上に、サウナを教えてくれたのは偶然出会ったヤクザの親分だった。

「ある時、ヤクザの親分さんが『最初に出たやつ10万な』とか言い出したんです。今考えるともちろん冗談なんですけど、当時はとにかく頑張って長く入りましたよ。それで、ようやくサウナから出られて上がろうとしたら、親分さんに『おぉ待て待て』って止められたんですよ。ちょっとビビりますよね(笑)。『お前サウナから出たら水風呂や。入れ』って、水風呂から上がって、ボサーッとしているわけですよ。とりあえず、見よう見まねで同じようにしてみたら、『あ、気持ちいいな』って。

 それが僕の水風呂初体験でした。それから風呂に行くと親分さんに会うことは多くて、ある日、腕に彫ってある女の人の名前をじーっと見てたら、『これ、死んだ女房なんだよ』って教えてくれたり……。他にも変った人がいて、漫画『うる星やつら』のラムちゃんを彫ってるおじさんとか(笑)」

 サウナと出会った少年期。しかし、ここから熱波師になるまでには、長く壮絶な人生が井上を待ち受けていた。

学校での壮絶ないじめと、父親からの暴力

「小学校4年ぐらいの頃から、すごいいじめにあって。子供同士の集団って自分たちとちょっと違うようなやつをはじこうとするわけですよ。毎日毎日、嫌で仕方がなかった。中学行っても、またいじめ。先生も庇ってくれなくて、挙句の果てには『落ちこぼれは一番いらない』ってはっきり言われました。不良はなんだかんだかまってもらえるんですよ。でも僕みたいに勉強できない“落ちこぼれのいじめられっ子”が一番面倒くさかったんでしょうね」

 そして、いじめ同様に井上少年を悩ませていたのは、家業の不振と、酔って帰ってくる父親の暴力だった。

「家業は印刷業だったんですが、バブルの頃からどんどん中国に仕事を取られ始めて単価が安くなって。どんどん苦しくなっていきました。それにつれて、親父も毎晩飲むようになって。飲んで帰ってくると説教されるんです。学校行けって殴られて、引きずり回されていました。僕はそれでも、頑として学校行かなかった。

 そんな毎日で、ある日、何かのきっかけで俺が家で騒いだんですよ。そしたら親父が俺の首をぐっと絞めるように持って。無表情ですよ? それでずっと僕の方見てるから、僕も何も言わずそのままずーっと向き合ったまま。すごく長い時間に思えましたけど、しばらくしてパッと手を離すと何も言わずに行ってしまったことがありました。今でもすごく覚えていて、ああいう時って声も出ないんですよね。

 そんな親父ですけど、ちゃんと大学を出て教員免許持ってるんですよ。ただ、おじいちゃんが始めた家業を継がなきゃいけなかったんだと思う。やりきれない思いもどこかにあったのかもしれない」

『北斗の拳』がきっかけで“体を鍛えること”に目覚める

 学校でも家でも毎日ボコボコにされる生活。井上少年は現実逃避をするかのごとく、漫画に夢中になったという。当時大阪に出来た日本初の特撮、アニメ関連グッズ専門店のゼネラルプロダクツ。そこに行くのが唯一の楽しみだった井上は、『北斗の拳』を見て、自らの体を鍛えることに目覚めはじめる。

「『北斗の拳』を見ては『アータタタタタ』とか言ってよく真似していました(笑)。それがきっかけで『体鍛えよう』と思い立ったんです。たまたま家の近くに大池橋ボディービルセンターというのもあって、毎日通うようになりました。ただ相変わらず父親は飲んでばかりで何もしないので、家業を手伝いながらでした。

 飲酒運転で免許がなくなった親父に代わって、僕が大阪の生野区にある会社から久宝寺のお得意先まで、8kmぐらいを30キロの荷物を積んで、自転車で配達していましたね。しかも1日に1回じゃなくて何回もなんで(笑)。そのおかげか足の筋肉とかは自然に鍛えられましたよ。高校にはほとんど行っていませんでした」

 家業を手伝いながら、それ以外はすべてトレーニングに費やし、21歳でパワーリフティングの新人戦で準優勝。ボディービルでも、22歳の時に大阪のバンタム級3位という成績を残す。

 思わぬことから自分の才能に目覚めた井上は、いよいよ格闘技に興味を持ち始める。

伝説のレスラーに出会って……

「大阪の天神橋筋六丁目の近くに龍生塾というジムができて。ここで総合格闘技を教えてくれるということで行ったら、まさかのシュートボクシングと空手がメインだったんです。『総合格闘技って聞いたんですけど……』って聞いたら『たまにやるよ』って言われたのでとりあえずそこに入って。岩下伸樹(元SB世界ヘビー級王者)さんが先輩で練習を始めたら、毎回マットに血がべったり。それはもうばかばか殴られるわ蹴られるわで、相当鍛えられましたね」

 いままで殴られた分を取り返すべく、井上は一心不乱に格闘技に夢中になっていった。ただ、あくまでも龍生塾のメインはキックボクシング。ここから大日本プロレスへ参戦するきっかけとはなんだったのだろうか。

「ジムに行く途中に中島らもさんの『クマと闘ったヒト』というエッセイにも登場する、ミスター・ヒトっていう伝説のレスラーがやっていたお好み焼き屋さんがあったんです。安達さんという方なんですが、『金ないんなら食わしてやるから来いよ』って言ってくれて、それ以来通うようになったんです。

 それからしばらくして龍生塾が、プロレスの興行で試合をやりたいって言いだしたので安達さんをジムに紹介したんです。安達さんからたどり着いたのが大日本プロレスでした」

 シュートボクシングの経験はあれど、プロレスの興行にいきなり放り込まれた井上は困惑した。

「急に、『今度大阪大会やるから』って言われて、対戦カードに僕名前が入ってたんですよ。大阪大会といったって空き地だし、相手はプロレスラーですよ? それで『さすがにプロレスはできない』って断ったんですけど、『いやプロレスじゃないですよ。キックボクシングの試合をプロレスの興行の中でやるんです』と(笑)。それでもうしょうがないなと。それがきっかけで、気が付いたら後はそのままプロレスの世界に入ってたんです(笑)」

「優しさでも人は殺せるなって思いましたね」

 プロレス参戦へのきっかけも普通じゃない。一方、父のおこした交通事故をきっかけに、実家の借金は手に負えない状態に。家業の息の根は完全に止まった。

「親父の酒量が増えて行ってどんどん借金は膨らむばかり。当然、闇金にも手を出してる状態で、ヤクザが朝から晩まで何度も取り立てに来る。そんな状況でも親父は飲みに行ってました。こういう時って、普通は奥さんが旦那さんに『いい加減にしたら?』とか怒ったりするんでしょうけど、うちのおかんはとにかく優しかった。何も言わないで、『しんどいねんから休んだらいいやんね』と。そんな母を見て、優しさでも人は殺せるなって思いましたね。

 プロレスの興行を積み重ねていくうちに大日本プロレスが僕に『うち来ませんか』って言ってくれて。それを機に横浜へ引っ越しました。それが30歳の頃ですかね。でも当時大日本も倒産しかけてて(笑)」

 レスラーとして活躍する傍ら弁護士に相談し、どうにもならなくなった家業を整理することに。整理のための費用は、井上がすべてプロレスで稼いだお金で完済しきった。およそ数百万。これで、ようやく苦しい状況から解放されるはずだった。

「弁護士費用をプロレスのギャラで全部返した日は、ひとり町田のパブで乾杯しましたよ。ようやく終わったと、しばらくほっとしてたら、今度は実家の大家が代わって『ここはうちの土地なので、今月から家賃の方は3倍で』って」

 捨てる神あれば拾う神あり。当時井上が世話になっていたボクシングのトレーナーが住居込みで両親の面倒を見てくれるという。手続きを進め、あとは引っ越すだけとなったある日、重大なことが発覚する。

「2008年2月26日、今でもはっきり覚えています」

「母親が『話がある』って言ってきて。実は闇金にすごい借金していたことを隠していたんです。正直、父親の会社の借金以外は全く知らなかったんで、言葉が出なかった。受け入れ先にも言わないわけにいかないじゃないですか。そしたら家のあてもなくなって、明日からどうしたらいいか完全にわからない状態。さすがに頭が回らなくなって『ちょっと考えられない、寝る』って言って、ふて寝したんです。

 しばらくシーンとしていて。そしたら、仕事場のほうからすごい動物みたいな声が聞こえてきたんです。『ギャー』とかって。あんな優しい母親があんな動物みたいな声出すのかと思ったその瞬間に、僕はもう何が起こっているのか、大体分かってしまっているんです。それで起き上がりたくない。もうずっと永遠に時間がこのままもう止まってもいいと思いました。頼むからこのままもうずっと寝させてくれって。仕事場で何が待ってるかもわかるわけです。でも『やっぱダメか。起き上がるしかないのか……』と仕事場に行ったら、父親が首を吊っていました。2008年2月26日、今でもはっきり覚えています」

 泣き叫ぶ母親ととともに父を下ろした。心臓はすでに動いていなかった。

「横で母親が『お父さんまだ生きてるから、まだ生きてるから』って言うけど、もうどう見ても死んでるんです。それでも心臓をどんどんどんどん叩いて、人工呼吸して。警察と救急隊が来てからも母親はずっと、『お父さんは助かる』と言ってましたね。

 僕は自分のやってることをやめようと思ったことなかったんですけど、あの日だけはもう全部やめようと思いました。家族を少しでも幸せにしたくて一生懸命にプロレスをやってきたけど、これはもうやめようと。自分は失敗したと思って。僕のやってることってどうですかって。みえないって。『すみません、プロレスもうやめます』って」

 井上勝正38歳の出来事だった。

INFORMATION

ファンタジーサウナ&スパ おふろの国

住所 神奈川県横浜市鶴見区下末吉2-25-23

土曜日を中心に井上熱波イベントを開催中。詳細は公式サイトをご確認ください。

http://ofuronokuni.co.jp/

大日本プロレスの元レスラーが熱波師に…… 「いらない」と言われてもサウナで“熱波”を送り続ける理由とは へ続く

(五箇 公貴)

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