平和の使者から毒舌悪女へ「豹変した金与正」に韓国国民の怒りは臨界点を超えた《現地レポート》

文春オンライン / 2020年6月20日 6時0分

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2018年2月、文在寅大統領と笑顔で握手する金与正氏 ©AFLO

〈できることならやってみればよい。もしお前たちが挑発でもしたら、私たちも手加減するつもりはないからな! 一部の脱北者がビラをばらまくことには私も反対だが、それを言い訳に文句をつけるなら、覚悟はしなければならないだろう〉

 北朝鮮が6月16日、開城工業団地内の南北共同連絡事務所を爆破した。“南北交流の象徴”ともされた建物の爆破で、韓国国内では、北朝鮮に対する強硬ムードが急速に広がっている。冒頭で紹介したのは、文在寅政権寄りの進歩的なユーザーが集まるネット掲示板への書き込みだ。この書き込みには「いいね!」が82件付いていた。

親北・文在寅政権も「これ以上耐えられない」

 親北路線の文在寅政権も、爆破翌日の17日、政権発足以来もっとも強硬なメッセージを北に発した。

「非常に無礼な語調で批判したのは非常識な行為だ」
「このような道理をわきまえられない言動に、我々としてはこれ以上耐えることはない」

 3日前に爆破を予告したのが、北朝鮮の金正恩委員長の妹、金与正(キム・ヨジョン)第1副部長だったことも、韓国国民にとっても大きなショックを与えた。

 与正氏は、2018年2月の平昌五輪の際に韓国大統領府を訪問し、文在寅大統領に金正恩委員長の親書を伝達して、板門店での南北首脳会談のきっかけを作った。

 その後も文大統領と4度会うなど、南北の平和ムードを演出する場には決まったように微笑みを浮かべた与正氏が登場し、「韓国と一番親しい北朝鮮政治家」のイメージを作ってきた。韓国メディアが「平和のメッセンジャー」というニックネームまで付けたほどだ。

 そんな彼女が突然、微笑みの表情から豹変して、今年3月以降、「韓国当局と決別する時が来たようだ」と韓国を罵るようになった。文大統領を名指しにして、脅迫ともとれる発言を繰り返し、激しい言葉を連発する「毒舌の女王」に急変していた。

 そして6月13日、与正氏が発したメッセージが、「近い将来、役に立たない北南共同連絡事務所が跡形もなく崩れる悲惨な光景を見ることになる」という、連絡事務所の爆破予告だった。

 その爆破が実行に移されて、さすがの文在寅大統領も、与正氏に対する我慢も限界に達したようだ。

国民の「北朝鮮への融和ムード」は激変した

 今回の爆破で、国民にも動揺が広がっている。爆破翌日の17日午後、大統領府で開催された外交安保の重鎮らとの午餐会では、文在寅大統領自らが、与正氏の過激な発言について取り上げ、次のように指摘した。

「国民たちが大きな衝撃を受けないかと憂慮される」

 文大統領の言葉通り、2週間以上続いている与正氏の“毒舌”によって、韓国国民の間でも、北朝鮮と南北関係に対する否定的な世論が日々高まっている。

 それまで韓国では、国民の間でも北朝鮮に対する融和的なムードが大勢を占めていた。

 6月4日、与正氏が脱北団体の北朝鮮へのビラ散布を口実に、韓国を非難しはじめた時でさえ、韓国では北朝鮮へのビラ散布に反対する声の方が大きかったのだ。

 韓国KBSの研究所が6月5日~9日まで全国の成人男女を対象に行った世論調査によると、北朝鮮へのビラ散布について「続けるべきだ」という意見が39.4%だったのに対し、「中断すべきだ」という意見は60.6%に達した。

 また、国連制裁に抵触しない事案なら南北間の交流協力を「推進すべき」という意見は69.6%で、「反対する」の29.4%を大きく上回り、南北間の交流が続けられるべきだという世論が優勢だった。

 しかし、与正氏の毒舌の激しさが増すにつれて、韓国内の世論も変化し始めた。

 ビッグデータ分析媒体の「ビクターニュース」は、韓国の2大ポータルサイトである「ネイバー(NAVER)」と「ダウム(DAUM)」に書き込まれた3月3日~6月14日までのコメントを用いて、北朝鮮に対する韓国人の世論推移を分析する記事(6月15日付)を掲載した。

 同記事によると、保守的な性向の強いネイバーはもとより、政権寄りで進歩的な性向の強いダウムの書き込みでも、連絡事務所爆破を予告した6月13日から、北朝鮮に対する強硬ムードが広がっているという。記事で紹介されたコメントは、冒頭で紹介した他にも、次のようなものがあった。

〈私は南北の和解と平和を祈っているが、北朝鮮のゴミみたいな行動には憤りがこみ上げる。(いいね! 130件)〉

〈よし! いつでもかかってこい。もう地球から永遠に消えるようにしてやるから。そうやって北朝鮮をやっつけて統一を成し遂げよう!! それから、その次に親日反民族の土着倭寇の番だ(いいね! 36件)〉

 同記事は、次のように分析している。

「13日に金与正が『次の段階の行動を取る。次回の対敵行動の行使権は軍隊総参謀部に移管する』と軍事行動に触れた時、ダウムのネットユーザーの世論も臨界点に達したように憤りが露わとなった。書き込み掲示板では、文在寅政府の支持者と思われるネットユーザーたちの北朝鮮に対する強硬なコメントが相次いだ」

金与正を評価していた友人に聞くと……

 このような怒りや失望は、私の周りからも耳にすることができた。その1人が、ソウル市内の大学で韓国文学を教えている大学講師の友人(39)だ。

 彼女は1カ月前、先の記事( 「北朝鮮の“毒舌プリンセス”金与正はなぜ『韓国キム・ジヨン世代』に愛されるのか」 )でも紹介した通り、北朝鮮と金与正氏について次のように高く評価していた。

「高慢な王女のような印象があるが、カメラに映る様々な姿を見ると、金正恩より開放的に見える。金与正が指導者になれば、北朝鮮を改革開放に導くことができるかもしれない」

 しかし、今回の一件で、与正氏が常識の通じない相手だと失望したという。

「金正恩氏や与正氏が、どれだけ未熟で、戦略を持っていないかよく分かった。韓国政府がここまで誠意を見せて努力しているにもかかわらず、南北連絡事務所を爆破させ、過去の金正日政権のように、テーブルをひっくり返してしまった。結局、韓国国民に『北朝鮮は常識と忍耐が通じない国』という印象を与えてしまった」

 与正氏が連発した“言葉の爆弾”に、友人は裏切られてしまったのだ。

「与正氏は、行動力と推進力が優れている」

 与正氏の急変について、韓国の専門家はどのように見ているのか。韓国のシンクタンク「世宗研究院」北朝鮮研究センター長の鄭成長(チョン・ソンジャン)氏は、次のように分析する。

「金正恩委員長は、韓国人が好意を持っていた与正氏をあえて使って、韓国との関係を敵対的な関係に転換させながら、文在寅政権を脅している。

 そもそも正恩氏は対外関係において、経済的な成果を最も重要視している。南北首脳会談では『金剛山観光の再開』と『開城工業団地の再稼働』の成果が得られると考えて、外交の舞台に立った。しかし、会談から2年が過ぎても何の収穫も得られないと分かって、文在寅政権に対して『これ以上期待することはない』と判断したのだ。次の動きは、正恩氏が昨年10月に言及した『金剛山観光施設の撤去』だろう」

 その上で、与正氏について次のように説明する。

「長い間、対南問題の前面に立っていた金英哲(キム・ヨンチョル)労働党副委員長は現在、軍部を動かす立場におらず、北朝鮮のナンバー2とされてきた崔竜海(チェ・リョンヘ)最高人民会議常任委員長も、対南問題と関わりがなく軍部にも縁がない。結局、正恩氏の代理人として、軍と党、そして北朝鮮住民を動かして、韓国を相手にできる人物は、金日成直系の子孫にあたる『白頭(ペクトゥ)血統』の与正氏しかいないと判断したのだ。

 最近発表された与正氏の談話の内容を見ると、幼稚で未熟な部分があるが、行動力と推進力は優れているようにみえる。これまでの北朝鮮の素早い行動は、与正氏が経験不足ながら、党はもちろん、軍に対しても指示を下すことができるほど、確固たる地位を占めたことを示している」

文在寅政権支持率は急落した

 連絡所事務所の爆破にショックを受けた文在寅政権だが、対北朝鮮の宥和政策が転換するまでには至っていない。

 爆破翌日の大統領府での午餐会で、文大統領は重鎮たちに「忍耐しながら対話で解決しなければならない」と話したとも伝えられている。

 与党内からも、「中断している金剛山観光や開城工業団地を再開すべきだ」「ソウルと平壌に南北連絡事務所を設置しよう」など、南北融和政策を持続すべきだという声が高まっている。

 しかし、ここまで紹介してきたとおり、韓国の世論がこれを容認するかどうかは甚だ疑問だ。韓国と米国から経済的な成果を得られなかった北朝鮮は、予告どおり挑発の度合いを高めていくと予想され、それによって韓国内の世論はさらに悪化する可能性がある。

 先の総選挙で圧勝した文在寅政権は、6月の国会で2018年の板門店宣言の「批准同意案」を推進する予定だったが、国民世論を考慮して一応保留した。与党「共に民主党」が主導した国会内の「朝鮮半島終戦宣言要求決議案」も急ブレーキがかかった。

 コロナ防疫の成功で、上昇していた文在寅大統領の支持率も急落している。6月18日にリアルメーターが発表した文大統領の支持率は、先週に比べて4.6%も下落して53.6%となり、3月以来最低となった。

 文在寅政権がこの危機を克服して「南北関係の改善」というレガシー(遺産)を成し遂げられるかは、今回の爆破でショックを受けた国民の北朝鮮に対する感情が大きく影響してきそうだ。

(金 敬哲/Webオリジナル(特集班))

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