《三浦春馬さん他界》名付け親・親族が涙の沈痛告白「春馬ちゃんは生き別れた父親と再会したばかりだった」

文春オンライン / 2020年7月21日 13時45分

写真

幼少期の三浦春馬さんと三浦さんの実父(親族提供)

「春馬ちゃん、なんで……。思い当たることなんて一つもないんだけど、うちの家系はお酒を飲むとすぐに酔っぱらってしまうから、春馬ちゃんも酔って考え込んでしまったのでしょうか。あの子は人に気を遣って、困っている人がいたら手を差し伸べたりする子でした。奥さんや子どもでもいればまた違ったのかな。こんな早くに逝ってしまうなんて」

 そう涙ながらに語るのは、7月18日に亡くなった俳優の三浦春馬さん(享年30)の父方の親族だ。三浦さんは港区の自宅マンションのクローゼットで首を吊り、その後に搬送された病院で死亡が確認された。部屋からは「死にたい」と書かれた日記が見つかっており、警視庁は自殺とみて捜査しているが、未だ原因は明らかになっていない。

「悲しみという感情を超えて茫然自失」

 人気俳優の急死に波紋が広がる中、所属事務所のアミューズは7月20日、密葬を終えたことを公式ホームページで発表した。

《中学生の頃から16年という長きにわたって共に夢を語り、歩んできた大切な仲間のあまりにも突然の訃報に接し、弊社所属アーティスト、スタッフ共に、悲しみという感情を超えて茫然自失としており、悔やんでも悔やみきれないという思いです。(略)葬儀につきましては、ご親族の方とも相談の上、すでに密葬というかたちで執り行わせていただきました。何卒、ご理解いただけますようお願い致します》

 1990年に茨城県土浦市で生まれ、4歳の頃から地元の児童劇団「アクターズスタジオつくば校」に通い、子役として活動していた三浦さん。「小さいときは、やんちゃな子だった」と懐かしむのは前出の父方の親族女性だ。

「僕、オーディション受けたんだよ」

「近所の小学校でブランコに乗ったり、従妹たちとかけっこをしたりして遊んでいました。家でも走り回ったりして、元気で明るい子でした。私もあの子が来る日は楽しみで、アイスクリームを用意して待っていました。

 子役の仕事も楽しんでやっていたようで、『僕、オーディション受けたんだよ。たくさん人がいたけど、僕に役が決まったんだ』って喜んで話してくれたこともありました。片岡鶴太郎さんが出演するドラマにも出演していて、片岡さんからは『春ちゃん、春ちゃん』って可愛がってもらっていました」(同前)

 この親族女性は三浦さんが生まれた時のことを「昨日のことのように覚えている」という。

「私が名づけ親でした……」

「4月5日に生まれて、あの子の父親から『元気な男の子が生まれた』と連絡があり、私が『名前は決まってるの?』と聞いたら『まだ』というんです。それで、午年で春に生まれたから、草原を馬が力強く駆けていくような子になって欲しいという思いで『春馬はどう?』って。父親は『いい名前だね』と言って、あの子の名前が春馬に決まったんです。私が名付け親でした……」

 茨城の地元でスナックを経営していた両親は、三浦さんが小学生の頃に離婚。親族女性は、離婚直前の三浦さんの笑顔が忘れられないという。

「離婚する少し前に父親と遊びに来た時があって、『パパ、パパ』って甘えてひっついて歩いていました。『春馬ちゃん』って呼んでカメラを向けると、すぐに笑顔でポーズしてくれてね。すごくかわいかった。あの子の家は犬をたくさん飼っていて、春馬ちゃんも犬が大好きでした。両親が別れてからは春馬ちゃんと頻繁に会うことはなくなってしまいましたが……。

 ある日、春馬ちゃんがギターを弾いている姿をテレビで見て、父親そっくりで泣けてしょうがなかった。三浦姓は父親側の姓なんです。テレビのなかで名乗ってくれていたのは本当にうれしくて、とても感謝しています」

 その後、母親は再婚。三浦さんは中学卒業まで母親と継父の3人で茨城で過ごしたという。継父の知人は「繊細で寡黙な子だった」と打ち明ける。

「テレビではあんなにハキハキと喋っていますけど……」

「堀越高校に入ってから、春馬は1人で東京に行ったんですけど、母親もよく東京まで送り迎えして世話していました。私が春馬と最後に顔を合わせたのは、ちょうど2007年の映画『恋空』に出演した前後の正月だったと思います。その時は『お久しぶりです』って感じで、そんなに深い話はしなかった。『次はどんな映画やるの?』なんて聞いたりもしましたが、自分からは全然喋らない子だから。

 テレビではあんなにハキハキと喋っていますけど、実際は全然違うんです。何か喋るときもお母さんをチラチラ見て、お伺いを立てるようにしていた。繊細で、寡黙な子だったんです。春馬が幼い時に、『どうして役者が好きなの?』って聞いたら、『いろいろな役になれるから好きなんだ』って言っていました」(同前)

 順風満帆に俳優としてのステップを上がっていったが、三浦さんは19歳の時に引退を考えた時期もあるという。

金銭的な面で母親を支えている部分もあった

「連ドラ『サムライ・ハイスクール』(日本テレビ系)の主演を務めた2009年当時、三浦君はプレッシャーでセリフを覚えられなくなり、引退を考えるまで精神的に追い込まれていた。生まれ育った茨城に戻り、農業の仕事に就くことを決意したが、周囲に説得されて思いとどまったそうです」(事務所関係者)

 前出の継父の知人が続ける。

「春馬が『辞めたい』と悩んでいた時に、芸能界を辞めてもよかったんじゃないかなって思います。知名度があったから、辞めてもこの先どんな仕事をしても成功したでしょうし。ただ、大人になってからは金銭的な面で母親を支えている部分もあったから、色々考えることもあったのかもしれませんね。春馬はすごく優しい子で本当に母親想いの子です。母親も『春ちゃん、春ちゃん』っていつも言っていて、息子が大好きだったから、言葉にならないくらい相当なショックを受けていると思います」

 様々な賞を受賞し、名実ともに日本を代表する役者となった三浦さんは、実は2年ほど前に生き別れた実父と病室で再会を果たしていた。それは、20数年ぶりの親子の対面だった。

再会を機に親子で食事に行く機会も増えた

「父親は、春馬ちゃんの作品をほとんど録画して保存していました。しかし2年くらい前に、心臓を悪くして手術をすることになったんです。春馬ちゃんとはずっと会っていなかったんですけど、『最後になるかもしれないから春馬に会いたい』と言ったんです。私から春馬ちゃんの母親にお願いすると、仕事で忙しいにも関わらず、春馬ちゃんが病院に見舞いに来てくれました。それから手術もなんとか上手くいって、それを機に父親と春馬ちゃんは食事に行くことが増えたそうです。春馬ちゃんにとっても父親にとっても、いい時間だったんじゃないかな」(前出・父方の親族女性)

会席で親族たちに囲まれ「うれしい」と笑顔で

 病を患う実父の病室に駆けつけ、勇気づけた三浦さん。しかし、自ら命を絶ち、一人で旅立ってしまった。愛息の訃報に、実父は憔悴しきっているという。

「『俺はどうしたらいいんだろう。春馬に何がしてやれるんだろう』と、憔悴しきっていました。まさかこんな形で別れることになるとは思ってもいなかったでしょうからね。私たちも『今は祈ってあげるしかないよ』としか声をかけられない。

 以前、春馬ちゃんは親族の葬儀に来てくれたこともあって、食事の場でお店の人たち全員分のサインを書いていました。『大変じゃない?』と聞いたら、『こんなにたくさんの親戚に会えてうれしい。また応援してほしい』って、屈託なく笑って、1枚1枚丁寧にサインしていたんです。

 もし、私がもっと近くにいたら、ご飯でも作りに行ってあげたかった。あの子はつらかったのかな。でも、まだ事故だったと信じたい。それにね、この辺りにまだいるような気がするの。まだ亡くなったなんて思えなくて……」(同前)

 三浦さんの冥福を祈りたい。

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング