「韓国民間慰安婦の悲惨さは、日本軍慰安婦より厳しく悲しかった」 ――『反日種族主義』編著者が検証した、韓国併合条約条約の“不法性”

文春オンライン / 2020年9月28日 6時0分

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李栄薫氏

 韓国人の学者たちが、最大のタブーである「反日批判」に真っ向から異を唱えた『 反日種族主義 』。その日本語版刊行に尽力した産経新聞編集委員である久保田るり子氏が、『 反日種族主義と日本人 』(文春新書)で、『反日種族主義』の編著者である李栄薫氏と対談を行った。韓国の歴史学者は、韓国併合条約をどのように見ているのだろうか。

日本統治以前の朝鮮王朝

──韓国の保守派は歴史観の確立を放棄したのでしょうか。

「日本との関係を包括して歴史観を確立するには、まず、日本統治が始まる以前の朝鮮王朝とは何だったのかを理解しなければなりません。朝鮮王朝は中華帝国の諸侯として、非常に閉ざされた世界にありました。その時代が500年間も続きました。長い間、中国を頂点とする国際秩序が我々の社会の原理でした。中国の皇帝の下に朝鮮の王がおり、その下に両班がおり、その下に一般の人々がいる。中国の皇帝は、言わば『天』です。朝鮮の人々は、この天を500年間、誰一人否定しなかった。非常に強い政治哲学でした。朝鮮の人々は、海外で何が起きているのか、何も知らない世界観の中にいたのです。そうした中で、18世紀から朝鮮社会は分裂して腐敗していきます。19世紀末に日本が現れたとき、すでに朝鮮社会は分解されていました」

──韓国では、日本統治時代の親日派は「売国奴」とされていますが。

「朝鮮王朝末期、韓国は売国するより前に解体されていました。だから、売国した人間は1人もいません。1945年の解放後に『新しい韓国人』は全人口の1割から2割いたと思います。『新しい韓国人』というのは、都市の官僚、警察官、軍人、銀行員、会社員、弁護士、医者など、近代化された社会で働く人々です。そうした人たちを基礎にして、大韓民国は建国されたのです。一方の北朝鮮は、近代化された人々を追放した(あるいは自ら南に逃亡した)ので、いまだに実質的に19世紀の奴隷制のままです。そうした朝鮮王朝以降の歴史を韓国の保守派は自分の歴史として受け入れて、その歴史から何を学ばなければいけないのか、近代文明とは何なのかを考えなくてはならないのです」

日本と韓国の争点「韓国併合条約は不法な植民地支配だったのか」

──現在の保守派もまだ歴史観を確立できていないのですか。

「19世紀の朝鮮王朝を批判した上で、誰がこの国に近代文明を入れたのかを認め、新しい自由人によって作られたのが大韓民国であるという考え方で、自信を持って発言するのが本来の保守派であるべきです。実際にそうした発言を始めたのは、2000年代初めに私たちの同志が作った『教科書フォーラム』(注・左傾化した歴史観で書かれた韓国の歴史教科書を問題視し、これに代わる代案教科書を執筆した。詳細は後述する)が最初だったと思います。李承晩大統領が何をしたのかを再評価し、朴正熙大統領が何を一番辛く考えて政治を行っていたかを理解することが必要なのです」

──韓国併合条約は日本による不法な植民地支配だったと考えますか。それとも、帝国主義時代の万国公法で米英露などが認めていたことなどから、条約は合法だったと考えますか。

「なかなか難しい質問です。この問題は、1950年代以来、日本と韓国の争点になってきたものです。李承晩政権は1905年(第2次日韓協約)、1910年(韓国併合条約)の条約は不法だったと主張しましたが、日本政府は認めませんでした。その後、両国の立場の差は、1965年の日韓基本条約で『もはや無効』という曖昧な表現で見事に封じ込められました。私はこれ以上の議論は要らないと思います。帝国主義時代において、ある国がほかの国を併合することは、基本的には武力に基づいた国際政治の問題であり、国際法の問題ではないと思うからです。

 けれども、約15年前から、韓国の李泰鎮(イテジン)氏(ソウル大学教授、国史編纂委員会委員長を務めた)は、1905年の条約は日本の強要による不法なものであったと主張し始めました。私はそれには賛成できません。詳しい実証研究によれば、高宗皇帝は日本に積極的な抵抗の意思を持っていなかったし、臣僚たちに条約の妥協や締結を命じました。後に、皇帝は条約の締結は自分の意思ではなかったと発言し、条約を否定しましたが、彼はもともと二律背反的な人格の持ち主でした。そうした点も合わせて考えると、私はあの時代の条約を国際法の次元で議論するのは難しいと思います。強要があったのかなかったのか、それはいずれも正しいと私は考えます」

韓国軍慰安婦や駐韓米軍の慰安婦

──『反日種族主義』では、「種族主義の牙城、慰安婦」という部を立てて、慰安婦問題を歴史的、社会学的、文化的なアプローチで考察し、様々な事実を明らかにされました。日本軍の慰安婦は日本で1870年代に施行された公娼制度の一環で、これが植民地時代の朝鮮に移植され、さらに戦時の軍慰安施設に公娼制が取り入れられたわけです。一方、朝鮮王朝には古くから官婢(官に属した下層階級)に妓生がいた。妓生制度があったわけです。そういった歴史的な背景を抜きに、慰安婦を性奴隷や強制連行という言葉で語ってしまうことはおかしいという指摘でした。

「私はかつて韓国古文書学会をつくりました。ある日、この学会のチームが韓国京畿道坡州市にある個人博物館の調査に行こうと言い出し、そこには慰安婦に関する資料があるというので、『私も行くよ』と同行することにしました。そこで見つけたのが、ビルマやシンガポールで慰安所を経営していた朴治根(パクチグン)という男の1916年から1957年までの日記でした。非常にびっくりしました。日記を読むと、慰安婦たちは自分の意思で慰安婦を辞めて廃業し、故郷に戻ったりしています。自由に行ったり来たりしているし、慰安所の経営者が女性の募集で苦労している様子も具体的に書いてありました。慰安婦は性奴隷などではありませんでした。慰安婦たちは自分自身が営業の主体だったことを示していました。債務さえ返済すれば故郷に戻ることができたのですから」

──韓国では、1945年以降も慰安婦は存在しました。朝鮮戦争での韓国軍慰安婦であり、その後の韓国都市の私娼街での慰安婦、あるいは駐韓米軍の慰安婦たちです。そういった韓国の慰安婦たちについて、『反日種族主義』では過去の調査データをもとに詳細な実態を報告しています。

「ソウル大学はじめ各所に民間慰安婦に関する調査データや論文があります。私はこれらを集めて分析したのですが、非常に驚きました。彼女たちの悲惨なあり方は、日本軍慰安婦より厳しく悲しかった。ある女性に『あなたは日本軍慰安婦と米軍慰安婦のどちらがいいか』と聞くと『日本軍』と答えたという。所得水準もありますが、日本軍慰安婦は暴力から守られていた。妊娠からも保護されていました。米軍慰安婦は流産を強要され、出産したら、赤ちゃんは米国に連れ去られました。毎年1000人以上の赤ちゃんが米国に連れて行かれたのです。私は本当に怒りました。自分たちにこんなにも悲惨な悲しい歴史があったのかと」

──それなのに、「反日」のために日本軍慰安婦の問題だけが突出したわけですね。

「日本軍の慰安婦問題が日韓の外交問題になってから28年(1 991~2019年)、慰安婦問題は両国関係を悪化させてきました。自分たちの内部の問題には目をつぶり、外部に敵対的な種族主義で日本を批判する。非常に危ない傾向です。こうした種族主義が韓国を内部から崩壊させてしまうのです」

(久保田 るり子/文春新書)

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