「フィクションの方がずっと真実に近い場合もある」伝説のダンサーを元ダンサー監督はどう撮したのか

文春オンライン / 2020年9月26日 6時0分

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ダミアン・マニヴェル(映画監督)

 モダンダンスの始祖、イサドラ・ダンカン(1877~1927)。20世紀初頭、ダンスに革命を起こした伝説的な女性の人生には知られざる悲劇があった。幼い二人の子を襲った突然の事故死。イサドラは、絶望にくれながら子どもたちに捧げるダンス「母」を作り上げた。

 映画『イサドラの子どもたち』(9月26日公開)は、イサドラの悲劇の物語、そして彼女が創作したソロダンス「母」に触発され作られた。監督は、以前、五十嵐耕平との共同監督による『泳ぎすぎた夜』を日本で製作した、フランスの俊英ダミアン・マニヴェル。元ダンサーとしての経歴を生かし、全く新しい視点でイサドラの人生とダンスに向き合い、3つの物語を描き出した。

 映画は、一見バラバラに見える3つの物語から成る。舞踊譜から「母」の踊りを読み解こうとする若い女性アガト。「母」の公演を準備する振付師マリカとダンサーのマノン。公演を観劇した老いた女性エルザ。それぞれの物語はゆるやかにつながりあい、やがて大きな感動を呼び起こす。

役とも重なっていく演者の人生

――まずはイサドラ・ダンカンとの出会いについて教えてください。どのようにしてこの伝説的なダンサーを知り、このような形での映画化を思いついたのでしょうか。

ダミアン・マニヴェル 僕は監督になる前はダンサーだったので、イサドラ・ダンカンのことはよく知っていました。彼女はダンスに革命を起こした非常に重要な人物だし、その自伝も読んでいました。この映画の当初の企画は、ただダンスをテーマにした映画を作るというものでした。でも準備中にイサドラのソロダンス「母」の存在を知り、それをもとに新しい物語を書こうと思いついたんです。彼女は二人の子どもを亡くす悲劇を体験しましたが、その経験から一つの作品が創造された。彼女の人生とダンスとの強い融合に深く感動したんです。そして映画のテーマは、人間の苦悩をどのようにダンスに移し替えるかという視点に変化していきました。イサドラの物語をもとに、ダンスというものが人生とどう結びついているかを語りたかったんです。

――当初から4人の女性たちに3つのパートを演じてもらうことが決まっていたのでしょうか。

ダミアン・マニヴェル 最初は第1部に出演した女優のアガタ・ボニゼールと一緒にダンスの映画を撮ろうと考えていました。若い女性ダンサーの日記というテーマを構想していたんです。イサドラのソロダンスと出会ったことで、映画の構成とストーリーが少しずつ変化していきました。

 僕としては、イサドラの遺したダンスを、身体も年齢も異なる複数の女性に演じてもらいたかった。映画を作るうえでは、出演者たちの実人生からひらめきを受けた部分が大きいですね。第2部に出演したマリカ・リッジは実際に振付師であり二人の子どもがいる。第3部に関しても、肉体の老いというテーマを語るうえで、エルザ・ウォリアストン本人からインスピレーションを受けた部分はとても大きい。もちろん映画と全く同じ人生を歩んでいるわけではないけれど、ここに映されているのは彼女たち自身の感情です。ある意味で、これは役を演じてくれた女性たちのポートレイトでもあるんです。

ダンスを映画として“翻訳”する

――それぞれの女性が「母」というダンスを踊ろうと試みますが、映画のなかでその完成形ははっきりとした形では映されません。完成形を映さない、ということは当初から決めていたのでしょうか。

ダミアン・マニヴェル そうです。僕はここでダンスを撮影したのではなく、ダンスのなかでなされる彼女たちの身ぶり手ぶりを撮影していたからです。もちろん素材としてはダンスを扱っているわけですが、そこから生まれてくる感情は、映画言語によって生み出されるもの。同じ仕草や身ぶりがカットを替えて何度もくりかえされ、それによって観客の頭のなかにソロダンス「母」ができあがっていく。すべてを見せることなく、観客はダンスが伝えるエモーションを受け取るわけです。第3部でマノンが作り上げたダンスを見せるのではなく、それを見る観客の顔を映し出したのもそのためです。

――つまりこの映画はいわゆるダンス映画ではない、ということでしょうか。

ダミアン・マニヴェル いえいえ、もちろんこれはダンスについての映画です。ただ映画言語によってそれを映した、ということです。つまりここにはクロースアップがあり、編集がある。いわばダンスを映画として翻訳するわけですね。こうした映画言語を用いてダンスを映すこと、それこそがダンスに対する最大のリスペクトになると僕は考えています。

――ちなみにマノンとマリカによるダンス「母」は、実際には完成されたのでしょうか?

ダミアン・マニヴェル はい。マノンは劇団に所属しているのですが、撮影が終わったあと、彼女は劇団員たちの前で「母」を踊ってみせたそうです。第2部は3週間の撮影期間がありましたが、実はマノンは、撮影初日にはソロダンス「母」について何も知らなかった。彼女がゼロからそれを身につけていく様子を、我々はドキュメンタリーふうに撮っていったわけです。

ダンスの本質は「失うこと」

――映画のもう一つの大きなテーマに「母と子」がありますね。これはイサドラ・ダンカンのダンスから生まれてきたテーマなんでしょうか。それとももともとこのテーマに興味があったのでしょうか。

ダミアン・マニヴェル それはやはりイサドラのソロダンス「母」から生まれたものです。彼女が二人の子を亡くしたこと、そこからこのダンスが生まれたという事実には非常に胸を打たれましたから。具体的にはイサドラが子どもたちを失った体験を描いていますが、映画を見ながら、観客の多くが、誰か大切な人を失った経験を思い浮かべるのではないでしょうか。僕は、ダンスは喪失と深く結びついていると思う。ダンスの本質は死と通じ合うことだとも言えます。伝統的なダンスには「死」を強く想起させるものが多くあるし、日本にも「死」と結びついた儀式的な踊りはたくさんありますよね。

――3つの物語が直接的ではなくゆるやかにつながりあう構造がとてもおもしろいと思いました。4人の女性たちは、撮影現場でもバラバラのままだったのでしょうか。

ダミアン・マニヴェル それぞれのパートは別々に撮影をしました。だから4人が顔を合わせたのは撮影がすべて終わった後です。彼女たちは、自分が演じたパートが他とどのようにつながるのか一切知らされていなかったので、これほど自分たちがつながりあっていたことに気づき驚いていましたね。

――でも脚本の段階である程度の構成はわかっていたのでは?

ダミアン・マニヴェル いいえ、できるだけ彼女たちには脚本を読ませないようにしていたので。映画を撮るときは、脚本をただ俳優に丸投げするのではなく、僕自身が現場で「ここはこういう形でやりたい」「ここにはこういう感情があると思う」と伝えていきたいと思っています。すると俳優たちは、「こうしなければいけない」というプレッシャーをあまり感じずに済む。撮影では毎日が発見のような日々になるわけです。

――彼女たちは、毎日自分が何をするのかを確認しながら演じていったわけですね。

ダミアン・マニヴェル 彼女たちだけでなく、僕自身も毎日発見していきました。彼女たちは、長い時間眠っていたダンス「母」を発掘し、それぞれに継承し、伝播していくことで、見ている人に強い感動をもたらしたわけですが、それと同じことを、監督としての僕も行ったと言えると思います。

――そうした独創的な撮影手法は、これまでの作品でもやってきたことですか。

ダミアン・マニヴェル 全部の作品で同じですね。僕の場合、もちろん役としての登場人物にも興味はありますが、それ以上に興味があるのは演じる人自身なんです。

――最初におっしゃっていた「これは彼女たちのポートレイトなんだ」とはまさにそういう意味なわけですね。

ダミアン・マニヴェル そのとおりです。僕の発想源の多くは、一緒に仕事をする俳優たちの人生が大きくかかわっています。

ときにはフィクションの方がずっと真実に近い場合もある

――演じる俳優自身の人生や感情を重要視されているということですが、一方で監督はフィクションとしての映画を作っているわけですよね。出演車たちのポートレイトだと言いつつも、ドキュメンタリーとしてではなく、フィクションという枠を課したのはなぜでしょうか。

ダミアン・マニヴェル それを説明するのはちょっと難しいですね(笑)。一つ言えるのは、僕はドキュメンタリーを撮ることにはまるで興味がないんです。ドキュメンタリー的なプロセスには興味があるけれど、僕はそこに必ずフィクションを必要としています。映像のなかに精度の高さや詩情を見出すためには、必ず何らかのフィクションが必要になる。それがあることによって、個人的なアイディアや本を読んで感じたこと、人々から受ける印象などをすべて融合することができる。何らかの虚構や物語があるほうが、より自由に、新しいものを付け加えることができるんです。ときにはフィクションの方がずっと真実に近い場合もある。僕はそう信じています。

――最後に出演者についておうかがいします。みなさん素晴らしい存在感を放っていましたが、特に最後のパートに出演されたエルザ・ウォリアストンさんの力は圧倒的でした。彼女とはどのように出会ったのでしょうか。

ダミアン・マニヴェル 実はエルザはダンサーとしても振付師としても、世界的にとても有名な人です。日本の舞踊家、矢野英征(1943~1988)とはフランスでカンパニーを立ち上げ活動を共にしていました。エルザと出会ったのは12年前。短編『犬を連れた女』(2011年)を彼女と一緒に撮り、もう一度彼女と仕事がしたいと強く思い、今回の作品にも出演をお願いしました。次回作では彼女が主演する映画を作る予定です。

Damien Manivel/1981年、フランス生まれ。コンテンポラリーダンサーとして活躍後、映画監督に。五十嵐耕平との共同監督作品『泳ぎすぎた夜』(2017)等を発表。『イサドラの子どもたち』でロカルノ映画祭最優秀監督賞を受賞。

INFORMATION

『イサドラの子どもたち』
9月26日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
isadora-2020.com

(月永 理絵/週刊文春)

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