コンビニ店員として顔を売り、村長に…地方の“クレイジー”な選挙はなぜ今の日本にリンクするのか

文春オンライン / 2020年10月2日 17時0分

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常井健一さん

村長の父親の銅像の前で祭りを…大分の“住みよい北朝鮮”は「ある意味正しい」と村民が語る理由 から続く

 コロナ禍での小中学校の休校や保健所、給付金などで、地元市町村の政治をより身近に感じたひとも多いだろう。そうした自治体の首長、なかでも町長・村長の選挙を取材してまわったノンフィクションライター・常井健一の『 地方選 無風王国の「変人」を追う 』(KADOKAWA)が刊行された。

 本書にも登場する元コンビニ店員の村長や、河井克行・案里の事件からうかがえる地方政治の深層について常井氏に話を聞いた。 (全2回の2回目/ 前編 から続く)

◆◆◆

コンビニでの接客が実質的な選挙運動に

――『地方選』に出てくるのは地方の無名の政治家たちばかり。それでいて、キャラが濃くて面白いですね。

常井 私はこれまで政治家ばかりを描いてきたのですが、選挙に出るような人は党派を問わず、キャラが濃くて、出馬の決断に至るまで、興味深い人生を歩んできた方ばかりです。中央が上で、地方が下ということも、決してありません。 

 けれども、全国紙の新聞社では東京に優秀な記者が集まり、地方は若手の修行の場だったり左遷先だったりして、人口の少ないところは軽視されがちです。中央の政治でも自民党ばかりに目がいっている。テレビも菅義偉首相の「パンケーキ」をしきりに報じるくらいなら、同じ枠で野党や地方の政治家を伝える余裕はあるはずなんですけどね。 

 最近は、「はりぼて」や「なぜ君は総理大臣になれないのか」など、無名の政治家を扱ったドキュメンタリー映画がヒットしていますよね。それらは地方の市議や野党の国会議員を撮ったものですが、マスコミ人の価値観では「ニュースバリューが低い」とされ、地元のメディアを除けば、見向きもされてこなかった取材対象です。

 しかし、この二つの作品を観ると、政治家が持つ「闇」のようなものに加え、人間臭さや憎めなさが捉えられていて面白い。「マスコミの常識」に囚われない自由な見方やテーマ設定、時に取材対象と近すぎる関係になっても「素顔を報じる」という目的を見失わない両監督の姿勢が、私が『 無敗の男 中村喜四郎 全告白 』(文藝春秋)を書き上げる中で強く意識していたことと通じるものがあり、すごく共感しました。 

 いかに東京目線、勝ち組目線のマスコミが政治家の表層しか報じず、「高尚な物語」の主人公、あるいは「異常な事態」の悪役に仕立てるいっぽうで、それがいかに政治を国民から遠いものにしてきたか。私自身のそういった反省も、今回の作品を編み上げるモチベーションになりました。 

――なかでも特別、面白かった人物は?

常井 いちばん印象に残ったのは、コンビニ店員から村長になったひとです。もともとは新聞記者で、それを辞めて北海道の中札内村の村長選に出るのですが、落選してしまう。農家のひとたちからすると、ピッカピカの経歴の持ち主で、しかも村一番の有力者に担がれた若造を自分たちの村のリーダーにしていいのかとの迷いがあるわけです。 

 地方では、良くも悪くも突っ込みどころのあるひとでないととっつきにくいところがあって、仕立ての良いスーツを着て都会の言葉を話していたり、小泉進次郎環境相のようなイケメンのプリンスで、マンガの世界のようなセレブ婚をした世襲政治家、あるいは、一流大学や名門高校の同窓会人脈で固めてしまうような役人出身の政治家だったりすると、地方選の世界では「オレたちのリーダー」にはされにくいんですよね。 

 そのひとは村長選に負けて無職になったので、46歳にしてコンビニで働きはじめるのですが、それがそのまま実質選挙運動になってしまったっていうのがいい話ですよね。レジでの接客を通じて、どんな人物なのかを村民に見てもらったと本人は言っていますが、レジを打つ手がぎこちなかったり弁当を温めるのに失敗したりする姿を村のひとたちに見られているわけです。

 そうやって鎧を脱いでいった浪人生活がコンビニでの4年間だったと思います。かっこつけずに素を出す、弱みを出せるひとほど支持されるのが地方選の世界ですから。 

河井克行・案里事件で見た、地方と中央の関係

――コンビニの店員と客の関係になることで、地域の人と目線を合わせにいっているかのようでした。それでいうと、中央の政治家は地方と目線をあわせるのを止めたかのように思えます。 

常井 国会議員のあいだでは地方を自分のために利用する、あるいは都合のいいときだけ「地方の声」という言葉がつかわれます。今回の自民党総裁選でも各候補者が地方の声、地方の声としきりにいっていたけれども、具体策はなにも出てこなかったですよね。 

 むかしはもっと「地方の声」が強かった。特に中選挙区制の時代は地元の有力者をきちんと押さえていないと、自民党の現職であっても選挙に勝てなかったからです。いまの小選挙区制は無党派層を取ればいいので、中央の政治家は町や村の話を聞かなくてもいい時代になってしまいました。 

――町や村の議員と地元の国会議員の関係も変わったのでしょうか? 

常井 最近、私は毎日のように東京地裁に通っていて、今日もそこからこのインタビュー会場に来ました。

 河井克行元法相と案里参院議員による大規模買収事件の刑事裁判を傍聴しているのですが、河井夫妻からお金を受け取った広島県内の首長や地方議員が証人席に座った際に口にする言葉を耳にしながら、なんだか、隔世の感を覚えています。自民党の国会議員と地方政治家の間にあった緊張関係は変わり果ててしまった、と。 

 たとえば、克行氏から20万円をもらった町会議長は、「地元選出の国会議員は町の生き死にを握っている存在で、議長としては克行氏の機嫌を損なわずにおつきあいをする使命があった。金を返して克行氏の機嫌を損ねたら、町の事業が遅れる事態にもなりかねず、町のためにならないと思い、なかなか判断がつかなかった」と言う。 

 地方議員とはいえ、「一国一城の主」という自負がありますから、かつてならそこまで国会議員のご機嫌取りをして、卑屈な気持ちになることはなかったと思います。 

 それから、県議会や市町村議会の議員、あるいは首長から国会議員になるルートがありました。克行氏のような面倒な議員に頼らなくても、地方の気心が知れている別の国会議員が存在して、地元からの陳情を虚心坦懐に受け入れ、地方の声は国政に反映されやすかった。

 ところがいまは、地方でも東京生まれ、東京育ちの世襲議員が増えて、地方議会の政治家が国会議員にあがるための選挙区が空いていないんです。 

――こうした風潮の中ですが、市議会議員出身の菅義偉が首相になりました。 

常井 菅さんにかぎらず、今度の自民党の党執行部には地方議員の経験者たちが顔をそろえました。最近よくいわれる「土の香り」みたいなものを自民党が取り戻さないと、地方の支持組織が弱り始めていて、自民党政治そのものがまわらなくなってきている証です。 

「おともだち」で政治を回してきた第二次安倍政権以降の約8年間、安倍官邸が上から介入した地方の選挙では土着の自民党支持層との乖離が生じ、「保守分裂」と呼ばれる異常事態が相次ぎました。先ほど紹介した河井事件裁判の証言にも象徴されるように、都会からやってきた国会議員が金や力に物を言わせ、地方の実力者たちのプライドを根こそぎ奪っていきました。 

 自民党は圧倒的に世襲議員が多くなり、雑巾がけの経験がなくて、「直衆」(直接衆議院議員になった政治家)が大半になってしまった。あるいは「過去官僚」(官僚出身の議員)と呼ばれるひとたちも国の政治には詳しいけれども、地方の役所や議会を見下している人たちが多い。 

組織的に「票分け」を……政治家を巧みに使う小さな村

――そうした状況にあって、国会議員を巧みに使う村が『地方選』には出てきます。 

常井 和歌山県の北山村ですね。ここは衆院選では二階俊博・自民党幹事長の選挙区で、村の9割が二階さん支持です。ところが比例では公明党に100票、入れている。村人に聞けば、創価学会員はそんなに村におらず、村議会に公明党の議席もありません。 

 これはどういうことかというと、どれだけ使える政治家とのパイプを作れるか、計算をしながら村で「票分け」をしているんです。中選挙区の時代から村はそうやって複数の政党や派閥を両天秤にかけることで、ある政治家に陳情してうまくいかなかったときは、別の政治家に相談できるようにできる限り多くのパイプを確保してきたんです。 

 このあいだの総裁選で岸田文雄さんを今後も生かすために他陣営から票がまわされたと言われていますが、いわゆる「ほどこし票」を村単位でおこなう知恵が北山村にはある。自民党の老獪な議員がもつような技術を、たった434人ほどの小さな村がもっている。それを長い年月をかけて政治家を動かし、村のインフラを整備するために培ってきたんです。 

――二階俊博以上に二階俊博的な村です。 

常井 ははは、そうですね。北山村は紀伊半島の山奥に位置し、和歌山県でありながら奈良県と三重県に囲まれた「飛び地」です。

 かつては和歌山県に通じる道の一部は車が通れず、その不便さゆえに「紀州のチベット」と呼ばれていましたが、1970年以降、巧妙な政界工作が奏功して、けもの道が国道に指定され、今では7つのトンネルが山々を貫き、都市部の大病院にも60分以内で到達できる便利な村になっています。 

「貧しい村は賢いんだ」という二階さんの兄貴分だった元県議の言葉を本に載せていますが、このように小さな村ほど、生存能力と政治能力をもっていることがわかります。 

 それでも町村単位の民意を背負って国にものを言える首長が存在しなければ、地方の声というものは中央には届かないというのが今回のコロナ禍でのひとつの教訓です。そういうリーダーを発掘できるかどうかが、村々の存亡を大きく左右するということを今回の執筆作業を通じ、改めて痛感しました。 

「平成の大合併」が過疎化を進めたというデータ

――たしかに国のいいなりになっていては、混乱や危機に見舞われてしまいます。 

常井 かつて「平成の大合併」と称して、地方自治体の合併が推し進められ、市町村の数はほぼ半減しました。合併前の人口が4000人未満の旧町村の地域は、合併しなかった近隣の町村に比べ、高齢化も人口減も進んだというデータがあります。

 合併によって身近なところから役所などがなくなり、公務員は減り、商店は潰れ、暮らしにくい地域になっていったからです。国の目論見とは反対に、合併は過疎化を進めたのでした。 

 小泉純一郎政権以降、改革を叫ぶ政治家が中央ではもてはやされているけれども、その改革を無防備に、無批判に受け入れてしまうと町や村が疲弊していってしまうという現実があるわけです。 

――『地方選』に出てくる町や村は「平成の大合併」に抗い、昔ながらの小さな地方自治体ですね。 

常井「改革幻想」という言葉を本ではあえて使いましたが、「平成の大合併」は国が上から押し付ける、いわば抗生物質で地方の悪いところを治すという発想です。しかし抗生物質なんか使わなくても、町や村には自己蘇生や自然治癒するチカラがあるんだということに光を当てたかったんです。 

「地方自治は民主主義の学校」という有名な言葉も本文中に出てきますが、「すごい人」や「すごい政策」に頼らなくても、自分の地域の政治に参加するだけで、それなりの社会を変えていく知恵が醸成され、共通の課題を解決していける力を養うことができる。「民主主義の学校」の中でも、地方選は特に重要な「授業」です。 

――無風王国で選挙が行われたり、世代交代が行われたりするのはまさに「自己蘇生」ですね。 

常井 本には「35歳以下で就任した現職の若手町村長」をまとめた表を入れています。そこには20代で就任した人もいれば、女性もいます。田舎の政治では、若さや女性であることが参入障壁になるのですが、それをぶち破って当選している例はあるんです。

 しかしこの表もよくみると全員が町長。村長はゼロです。じつは、現職の女性町長は全国に8人存在しますが、女性村長となるとひとりもいないのが現実です。 

 今回の取材で気づいたことですが、どこの現職の町村長も、街頭遊説のときには奥さんが必ず隣に立っているんです。国会議員の選挙だとそこまででもない。しかし、地方選の世界では「妻は夫の隣に立つものだ」というのが、2020年になった現在でも全国標準の価値観なんだなとおもいました。 

新型コロナは地方政治と生活の密接さを再認識させた

――『地方選』は世の中がコロナ禍によって市町村の役場と生活が密接だと再認識したことを意識した本になっています。

常井 コロナ禍をきっかけに、身近な自治体の大切さを感じたひとは多いと思います。

 マスコミは東京の小池さんや大阪の吉村さんなど都道府県の知事を取り上げるけども、実際のところ、コロナに限らず、住民が自分の抱えている問題をどうしようっていうときは、法的な権限の有無とは関係なく、とりあえず、市町村の役所に向かいますよね。そういうときに住民の問い合わせが殺到して混乱してさばけなくなったり、頼りにならなかったりしたら、たいへんなことになります。 

――国が平気でトンチンカンなことを推し進めることも露呈しました。

常井 コロナ対策でいえば、国がいっていることと生活の場で必要なことが違うことがある。学校の休校やマスク、給付金に関して政策を変えるには 身近な市町村のリーダーが国にしっかりと異議を唱えるチカラがないと、国主導でやられてしまうわけです。 

だから多くのひとは、なんでも国主導で進むことの怖さを、今回のコロナ禍によって知ったのではないでしょうか。

 まさにいま菅さんが改革思考で地方にメスを入れようとしているのですが、それが地方の現実にマッチしていないときに、この本に出てくるような国の方針に抗え、独自の延命策を探った町や村があるというのがひとつの教訓になると思います。 

撮影=杉山秀樹/文藝春秋

 

(urbansea)

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