後ろ向きの言葉は言わない…木塚敦志コーチはベイスターズ投手陣の何を支えているのか

文春オンライン / 2020年10月8日 11時0分

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武藤投手と話す木塚コーチ ©tvk

「あ、ブルペンデーなのか」。9月30日の午後5時、翌日の予告先発発表の欄で武藤祐太投手の名前を目にした時、いつもとは違う実況準備が頭を巡りました。通常なら両チームの先発投手の状況をもとに試合の流れやスターティングメンバ―を予測し、誰が鍵を握りそうなのか、解説者にどんな話を伺おうかと思い描きます。ところが今シーズンのベイスターズにとって4度目のブルペンデーとなる10月1日は、先発投手の役割を武藤投手が果たした後は継投。試合展開が想像しにくく、準備は幅広くなりました。

 試合は武藤投手が不運な2失点こそしましたが切れの良いボールを投じ、バトンを託された7人のリリーフは全員無失点。連戦の疲れなのか打線がスワローズ歳内投手の丁寧な投球を攻略できず2対0と完封負けしましたが、ブルペンを賄う面々の奮闘が光りました。放送では敗れた無念こそあれ、リリーフ陣を心から称えました。

実況の糧になっているキャンプ取材での木塚コーチの言葉

 試合中ベンチに目を移すと、静かながらも熱い炎を絶やさず、常にエネルギーを発し、一歩間違うと崩れそうな、難しい試合を支え続けていた木塚敦志投手コーチの姿が。今シーズンはブルペン担当からベンチ入り担当へと役割が変わりました。

 私は毎年春の宜野湾キャンプ取材で、多くの時間をブルペンで過ごします。シーズン中、横浜スタジアムではブルペンの投球を見られないので貴重な機会となるのはもちろん、何より見どころ満載。球種を宣言して投球し、捕手がその都度活気あふれる声を発してくれるため、各投手の持ち球やベストの変化はどんな軌道なのかを見て学べます。

 伊藤光捕手は「どのピッチャーが、何球続けて同じコースに投げられるか、ブルペンは信頼度を確認できる場にもなる」と教えてくれました。年々実力の幹が太くなっている三嶋一輝投手からは「また、今日もブルペンで“ガン見”していましたね」と言われます。

 投球練習が全て終わった後、木塚コーチとブルペンの様子やシーズンへの期待など限られた時間で交わす言葉は年間を通して実況の糧になっています。

 ここ数年、木塚コーチが一貫して繰り返すのは「先発のレベルアップは当然だけど、本当の勝負ができるリリーフの数を増やしたい」という思い。毎年少しずつ拡充されるリリーフ投手ですが、いざ大事な局面になると起用される人材は限られます。三嶋投手を筆頭に、国吉佑樹投手、平田真吾投手たちが確実にステップを上がり、ルーキー伊勢大夢投手が台頭した今の流れには、きっと手応えを感じているはず、とブルペンデーの実況を終えて想像しました。木塚コーチ本人に聞けば「まだまだです」と謙遜すると思いますが。

高校時代の恩師が語る木塚コーチの過去

 木塚コーチと最初に出会ったのは1999年の11月19日、ドラフト会議の日でした。当時tvkの応援番組「ベイスターズくらぶ」が立ち上がり、ベイスターズを逆指名していた明治大学のエース木塚投手を訪ねインタビュー。どんな質問にも的確に言葉を選び、負けず嫌いも覗く「熱い心と機転を兼ね備えた好青年」という第一印象でした。

 高校時代の恩師、浦和学院の森士監督は「高校時代の木塚投手は感情を表に出すタイプだった。それは投手にはある程度必要な要素と感じていた。大学に入り視野が広がり人間として一層磨かれた。何よりしっかりした御両親に育てられた印象が強い」と振り返ります。

 2000年、3年目の指揮を執る権藤監督は躊躇なく闘志に火が付く場面で起用、開幕のタイガース戦でルーキーながら延長11回を3者凡退に抑えプロ初勝利。そのシーズンはいきなり7勝18セーブを挙げました。

 翌年は69試合に登板し、7月の月間MVPを受賞。

 プロ入り3年目の2002年はキャンプで左ふくらはぎを痛め、開幕に間に合わせましたが、6月には腰痛も発症。36試合の登板にとどまるシーズンでしたが「気持ちが切れてしまった方が負け」と不安を胸に収めて腕を振り続けました。当時の私の中継資料には他のリリーフ投手達が合言葉の様に発していた「木塚に負担をかけるな」という決意が見つかります。

 シーズン76試合登板の球団記録に達した2007年には疲れを案じた質問に「ここ数年でベストコンディション。配慮して使ってもらっています。必要とされた時に頑張れないと」と答えてくれました。

 現役11年間、全490試合でリリーフ。最後の登板2010年10月6日の横浜スタジアムでは当時阪神でプレーしていた新井貴浩さんにタイムリー二塁打を喫しましたが、真剣勝負に対し晴れやかな表情でマウンドを去りました。ちなみに、この前日筒香嘉智選手(現レイズ)が一軍デビューしています。

「一層の才覚を現したのは、むしろ指導者になってからかもしれない」

「一層の才覚を現したのは、むしろ指導者になってからかもしれない。今の姿は教え子の中でも誇れる存在」と話すのは前出の浦和学院の森監督。引退後すぐ投手コーチに就任。悩める若い投手達に自然な口調で寄り添い、2014年にはファーム投手コーチとしてリリーフで苦しんでいた山口俊投手(現ブルージェイズ)が先発として再生する道を支えました。2015年にはスカウトとして駒澤大学時代の今永昇太投手に注視しています。

 現在JFE東日本でプレーするOBの須田幸太投手が、以前tvkの中継のゲストにいらっしゃった時に話してくれたエピソードは、木塚コーチがブルペン担当時これでもかとベンチから来るリリーフ準備の要請電話に対して「もう俺は、この電話には出ん」とキャンディを入れた籠に電話を埋めてしまった、お茶目な一幕。疲れが溜まり張り詰めたブルペン陣は和みました。今は木塚コーチが当時の思いを携えて、ベンチからブルペンに電話をかけています。

 木塚コーチから後ろ向きの言葉を聞いたことはありません。苦しくても背を向けずに戦い続ける選手には、どんな時も力水を与え続けます。

 2019年2月20日、宜野湾キャンプのブルペンでカットボールを試す山﨑康晃投手を見ました。練習後に木塚コーチが「いいボールだったでしょう。いずれ投球の幅を広げる武器になりますよ」と嬉しそうに話してくれた姿を思い出します。予想以上に長い期間となった不調の渦中にいる山﨑投手は歯を食いしばり、一軍で戦い続けています。木塚コーチは「追い込んで、あと一つのストライクに苦しんでいる。今の経験から見えてくるものがあるはず」と話します。かつての自身の様に万全でない時期があったとしても、引き出しを増やし、やがては数字と自信を重ねて不調を過去のものとしてしまう日を見ているのかもしれません。

 山﨑投手の姿は、変わらず前を向く言葉で伝えていこうと銘じています。

 私が実況中継を担当する際「継投は、その時チームが総合判断した最善策。批判は絶対にしない」という信条があります。元々は先輩方から受けたアドバイスでしたが、木塚コーチの様な存在に出会うと、自らの決め事はいつの間にか体内で増えた中性脂肪をものともせず、さらさらと体内を巡っていきます。

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(吉井 祥博)

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