「暴行の末、石炭や薪の上で火をつけられた」 中国共産党による第二の“文化大革命”を止めるため日本人に知ってほしいこと

文春オンライン / 2020年10月9日 6時0分

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楊海英静岡大教授 ©️Toru Yamakawa

「中学生が校舎から抗議の飛び降り自殺も……」 内モンゴル自治区で中国政府が強行する“同化政策”のリアル から続く

 中国北部の内モンゴル自治区で、9月から小中学校の授業で使う言語をモンゴル語から標準中国語に変更するなど、中国政府によるモンゴル語教育を制限する政策が進められている。それに対してモンゴル族住民が反発。授業のボイコットや抗議活動が相次ぎ、自殺者まで出る事態となっている。

 自身も中国・内モンゴル自治区出身で、静岡大学アジア研究センター長を務める楊海英教授はその中国政府による強硬な同化政策を「文化的ジェノサイド」と呼ぶ。そしてその文化的な殺戮に対し、かつて1960年代に毛沢東によって主導された「文化大革命」の記憶を思い出すと言う。(全2回の2回目。 1回目 を読む)

◆◆◆

幼い日に見た凄惨な光景

――今回のモンゴル語教育禁止政策を、第2の文化大革命だと指摘する向きもありますが、楊先生はどのようにごらんになっていますか?

 私は内モンゴル西部のオルドスという町の出身なのですが、9月に入り、インターネットにアップされた故郷の動画を見て、悲しくなりました。警察官が母親から泣き叫ぶ幼い子どもを引き離し、むりやり学校に連れていってしまった。いま、内モンゴル各地で、国家権力による子どもの連れ去りが行われているのです。

 あの動画が、幼い頃に見た光景と重なりました。文化大革命がはじまったのは、私が2歳だった1966年。約10年にわたった政治闘争で、当時内モンゴルに暮らしていた約150万人のモンゴル人のうち、2万7900人が殺害され、過酷な拷問の末に障害を負った人は12万人に達しました。5万人から10万人のモンゴル人が虐殺されたという説もあります。

 あれは、私が5歳のある日です。私が母と一緒に馬に乗ってシャリクという町を訪ねると、人民公社本部で共産党幹部が宴会を開いていました。食糧不足で私たちは満足に食事もできない時期だったのに、ヒツジ肉の食べ残しが散乱していました。

 宴会場の片隅では、母が若いモンゴル人女性と抱き合って泣き崩れていました。女性の後ろに立つ老人が白い木箱を抱えながら涙を流していた。私はその姿を見つめて、ただ立っていることしかできませんでした。そして、そのシーンは、肉スープの香りとともに、私の記憶に刻み込まれました。

 あの光景は、一体なんだったのか……。

 後年、母に聞いてみると、老人は文革で虐殺された息子の遺骨が納められた木箱を抱えていたそうなのです。泣いていた若い女性は、遺骨となった男性の妻でした。

 殺されたモンゴル人男性は、若くして副旗長(「旗」とはモンゴル民族伝統の行政区域)を任せられるほど人望が厚く、有能な人だったそうです。しかし文革の集会で批判され、殴る蹴るの暴行を受け、気絶してしまった。そのまま石炭や薪の上に置かれて火をつけられた。意識が戻って立ち上がろうとした男性は、今度は角材で何度も殴りつけられて、ついには焼死してしまったのです。男性の頭蓋骨には、角材に打ち込まれた長い釘が何本も刺さり、ほとんどの肋骨が折れていたと言います。

――凄惨な暴力ですね……。

 私たちの世代にとって、9月からはじまったモンゴル語教育禁止政策は、どうしても過去の記憶と結びついてしまいます。

75年ぶりに全世界のモンゴル人が団結している

 とはいえ、未来を悲観しているばかりではありません。文革は、たくさんのモンゴル人が支持しましたが、いま、モンゴル人で、モンゴル語教育禁止に賛成する人なんていないでしょう。それに、ある意味で、私は習近平さんに感謝しているんです。

――感謝ですか?

 そう。だって、75年ぶりに全世界に散らばるモンゴル人が団結できたわけですから。

   1945年8月9日、満州国(一部が内モンゴル東部)にソビエト連邦軍とモンゴル人民共和国軍が侵攻し、内モンゴルが解放された。終戦後、内モンゴルの人たちは、モンゴル人民共和国(現モンゴル国)と一緒に独立できると考えていたのです。結果的にいえば、内モンゴルは中国の自治区となり、モンゴル人は、中国、ソ連、そしてモンゴル国とバラバラになってしまった。それが、70年ぶりに「モンゴル語を守ろう」と一気に、一致団結できたんです。

――ですが、予断を許さない状況ですよね。

 中国内で民族問題を抱える新疆ウイグル自治区、チベット自治区で、中国政府は好き勝手振る舞って、漢化政策、同一化政策を推し進めてきた。香港の民主化も押さえ込みました。モンゴルも同じようにできると考えたのでしょう。

中国政府は、3つの読み間違え

 私は、中国政府は、3つの読み間違えをしていると見ています。

 1つ目は、モンゴル国の存在です。ウイグル人も、チベット人も独立国がありませんが、モンゴル人は違います。

 中国は、モンゴル国を格下に見て、内モンゴルを漢化し、支配していく上で、たいした障害にならないと考えたのでしょう。確かにモンゴルの名目GDPは130億ドルで、中国の100分の1以下。人口は約320万人なので、中国の430分の1以下に過ぎません。しかしモンゴル国が声をあげたら、国際社会も無視できない。

 モンゴル国には、地政学的な危機感もある。モンゴル国にとって、内モンゴルは、中国との緩衝地帯(2国間の衝突を和らげる中立地域)の役割を果たしている。直接、中国と対峙したくはないモンゴル国は、内モンゴル自治区を本気で守ろうとするはずです。

 2つ目の読み間違えがモンゴル人の気質です。

 内モンゴルの抗議活動で「殺すなら、殺せ!」と叫ぶモンゴル人男性がいました。実は、中国の少数民族のなかでも、モンゴル人は武を貴ぶ気質が強いんです。チンギスハーンの子孫であり、かつて祖先がユーラシアを席巻したという誇りがある。文革に代表されるように、内モンゴル自治区は幾度も弾圧にさらされてきた。これ以上、ムダな犠牲者を出したくないという空気を生みましたが、誇りを傷つけられたら、立ち上がる気持ちを忘れたわけではない。中国政府はここまで大規模に、そして世界的な抗議活動に発展するとは思っていなかったと思いますよ。

 3つ目が国際社会の変化です。

 中国政府の強権的な手法は文革の時代と変わりません。けれど、五十数年前とは違って、人権意識も高まり、情報が瞬時に世界中に拡散し、国際世論を喚起できる。世界中で、情報を知るすべがある。

 それなのに、いまだに中国政府は、日本の反動的な大学教授が反中国勢力を先導していると盛んに言っています。誰のことか知らないけどね(苦笑)。

一生消えない文革時代の記憶

――楊先生が身の危険もかえりみず、中国共産党の政策を厳しく批判し続けてきたのは、文革の記憶があるからなんですね。

 実は私も、何者かに脅された経験はあります。「いつでも消せるんだぞ」「交通事故には気をつけろよ」……。でも、本気で殺すつもりなら、私はすでにこの世にいないはず。逃げても仕方がないですよ。

――武を貴ぶモンゴル人らしいですね。

 子どもの頃の体験が大きいんですよ。

 そこは、今回の「モンゴル語教育禁止」にも通じると思います。私は文革時代、大人たちが苦しむ姿を見てきました。その記憶は一生消えません。

 きっといまの子どもたちも同じでしょう。私がそうだったように、むりやり中国語を教えられているモンゴル人の子どもたちは、ことの成り行きを冷静に見ていると思います。

 そして、いつか親や大人たちに聞くんですよ。あの体験はなんだったのか、と。そこからモンゴルの文化や歴史を知り、モンゴル人の誇りを持っていくんです。

――残念ながら「モンゴル語教育禁止」の問題点について、まだまだ日本では知られていないように見えます。

 そんなことはありませんよ。

 私は9月からTwitterをはじめて内モンゴルの情報を発信しています。たくさんの日本人が関心を持って、フォローしてくれています。日本人の記憶にも内モンゴルは残っている。日本人も、歴史を忘れたわけではありません。戦前から戦中にかけて満蒙開拓を経験した人も、その子や孫もいる。

 満蒙の「蒙」は、いまの内モンゴル自治区で、満州国の約3分の2が、内モンゴルだったのです。かつて内モンゴルと日本は特殊な関係にありました。それはいまも変わりません。とくに内モンゴル東部の人たちは、いまも日本に憧れを抱いている。

 私は日本に、内モンゴルに対して経済的、文化的、政治的にもっと関与してほしいと思っているんですよ。内モンゴルは、かつて、日本人が、深くかかわった土地なのですから。

(山川 徹)

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