幼児教育「ヨコミネ式」創設者・横峯吉文氏のDVを元妻と子供が告白《法廷闘争“全面対決”へ》

文春オンライン / 2020年10月15日 6時0分

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横峯吉文氏(ヨコミネ式教育法ウェブサイトより)

 保育園児が跳び箱10段を跳び、倒立歩行。さらに九九算も覚え、漢字を読み書きし、3年間で平均2000冊の本を読破する――。

「すべての子供が天才である」をモットーに、鹿児島から全国に広がった独創的な教育方法がある。子供の向上心や競争心に火を付け、強制することなく自分で学ぶ力を伸ばすこの教育法は「ヨコミネ式」と呼ばれている。いまでは、全国で約400もの保育園・幼稚園が、このヨコミネ式カリキュラムを導入しているほどの人気なのだ。

 この教育法の考案者が元国会議員・横峯良郎氏の兄で、鹿児島で保育園理事長を務める横峯吉文氏(69)だ。

 ヨコミネ式は20年ほど前に考案され、近年では、2019年の四大陸選手権で優勝した女子フィギュアスケーターの紀平梨花選手が「ヨコミネ式」を導入した幼稚園(兵庫県)の卒園生だったことから再び注目を集めた。

著書は異例のベストセラーに

 鹿児島県保育連合会理事の経歴を持つ吉文氏は、“幼児教育のカリスマ”として、講演会で全国を駆け回っている。独自の幼児教育論を唱える著作は、『「ヨコミネ式」子どもの才能の伸ばし方』(小学館)、『「ヨコミネ式」天才づくりの教科書』(講談社)など数十冊刊行され、『天才は10歳までにつくられる』(ゴルフダイジェスト社)は教育本としては異例の10万部を超えるベストセラーとなっている。

 しかし、「文春オンライン」編集部には、吉文氏の“幼児教育のカリスマ”というイメージからは程遠い証言が寄せられていた。教育関係者が明かす。

「いまや横峯さんは新たな教育法を生み出した人物と崇められていますが、本人は奥さんやお子さんに暴力を振るい、警察沙汰になったこともある。女性関係も派手で保育園内で不倫関係が明るみになって、過去には園長を退任したこともありました」

 取材班が鹿児島県へ向かい、現地で取材を進めると、「ヨコミネ式」を運営する横峯家の中で、元妻、実子の告発を、吉文氏が否定する骨肉の争いが繰り広げられていた。

「俺がルールだ」「言うことを聞け」

 現在、吉文氏は「ヨコミネ式」の窓口業務を行うヨコミネ株式会社の代表取締役で、同時に鹿児島県内で3つの保育園を運営する社会福祉法人純真福祉会の理事長を務めている。

 取材班は、鹿児島で教育関係者や近隣住人、元従業員、親族らに取材を進めた。その中で、2019年に吉文氏と離婚した元妻のA子さんと接触する機会を得た。当初は口を閉ざしていたが、記者が「長年、暴力を受けてきたと取材で聞いている」と伝えると、彼女は涙ながらに語り始めた。

「これまでは子供たちのことや、『ヨコミネ式』を信じて支えてくださる方が心配で、DVが知れたら教育者として問題になると思い自分の中にとどめてきました。しかし、私や家族の前での彼は、父親でもなく教育者でもありませんでした。

 私や自分の子供たちを理不尽に殴りつけ、蹴り上げるあの人は『俺がルールだ』『俺に逆らうな』『俺の言うことを聞け』『俺の機嫌を損ねるな』が口癖です。結婚していた期間の大部分が暴力に怯える日々でした。愛人問題を家庭に持ち込んだこともあった。離婚後も不誠実な対応が続いていて、いま吉文氏を相手取って不貞行為の慰謝料などを巡って裁判を起こす準備も行っているところです」

園長になった頃からDVがエスカレート

 A子さんによると、結婚当初から壮絶な家庭内DVが始まり、吉文氏が保育園運営に参入し、1983年に園長に就任した頃からエスカレートしたという。

「保育園を始めて2、3年が経って彼が園長になった頃、暴力が酷くなりました。たとえば、私が朝から沈んだ顔をしていたのかもしれませんが、返事がよくなかったようで『お前みたいなバカな女は何もできんくせに!』と言われてビンタされる。最初の頃は平手でビンタでした。そして、『なんで俺が平手で打つかわかるか。俺がげんこつで叩けば頬骨が折れる。それを避けるために平手で打つんだ!』と怒鳴るのです。

 平手で叩かれても、頬は腫れ上がりました。彼は柔道の有段者で、自衛隊では銃剣道もやっていた。髪の毛を掴まれて投げ飛ばされ、お腹や脚を蹴られることもありました。ひどいときは週3、4日、気が済むまで暴力を振るい続けました」

 当時のA子さんの異変を、学生時代からの友人女性が次のように証言する。

「A子さんとお昼ご飯を食べた時のことでした。待ち合わせ場所に現れた彼女の左腕が真っ青なんです。『どうしたの?』と聞いたら、旦那さんに投げ飛ばされたと言う。旦那さんは明るくてすごく感じのいい人という印象があったので、私も暴力を振るうことなど最初は信じられなくて、『あなたが悪いんじゃないの』と言ってしまうほどでした。

 その後も、DVについての話をA子さんから聞いていました。でも、今でこそDV被害者を守る保護施設があったりしますが、当時はそういった環境は整っていない。A子さんは何度も家から逃げ出していましたが、結局は『子供がいるから帰る』と戻っていく。次第にA子さんは『自分が悪いから』『自分がバカだから』と思い込んでしまい、どんどん萎縮していきました」

「保育園はそんなに儲かるのか。自分も儲けたい」

 吉文氏とはどのような人物なのだろうか。志布志市出身の吉文氏は4人兄弟の次男。地元の高校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。鹿児島の国分駐屯地に配属され、20歳で高校の同級生だったA子さんと結婚した。1971年に長男、73年に長女、76年に二女を授かる。

 吉文氏の転機になったのは、A子さんの父が病で急死し、A子さんの両親が経営していたスーパーマーケットを、自衛隊を退職して継いだことだった。

「スーパーの経営を始めると、彼は20代後半で地元の青年会議所の理事長となった。街の飲み屋へ頻繁に足を運ぶようになり、そこで保育園を経営している資産家と出会った。その資産家がゴルフや飲み屋などで豪遊する姿を見て、『保育園はそんなに儲かって遊んで暮らせるのか。自分も儲けたい』と興奮気味に話していたのを覚えています。教育者として何の経験もなかったが、その『儲けたい』という動機で始めたのが保育園経営でした。

 そして保育園を始めるために、スーパーを売却することになった。私はスーパー経営を継ぐために自衛隊を除隊させてしまったという彼への負い目をずっと抱えていた。私の母は当時健在でしたが『家族の暮らしが良くなるのなら』と賛同して、スーパーを2400万円ほどで売却した。それでも足りない保育園の建設費用は、母が所有していた山や畑を売って支払った。いずれも両親の大切な資産でしたが、保育園の経営を『ゆくゆくは自分の子供たちが引き継ぐのだから』と納得しようと思っていました」(A子さん)

 1981年、吉文氏は鹿児島県内に最初の保育園を設立。84年には保育園とは別に幼稚園を設立し、94年、04年と保育園を新たに開設して増やし、少子化時代のなか、吉文氏の保育園経営は拡大していった。

吉文氏の体罰の持論

 一方、吉文氏の家庭内DVは妻のA子さんだけにとどまらず、自らの子供たちにまで及んでいったという。A子さんは「自分を守るのが精一杯で、徐々に子供のことまで頭が回らなくなっていってしまった」と、今も後悔の念に苛まれている。

 吉文氏は著作の中で、体罰について次のように持論を説明している。

〈自信を持って、堂々と子供を叱ってください。ときには体罰も必要です。もちろん、9割は口でいえばわかること。それでもわからなかったら、体罰も辞さない覚悟で子供に向かい合って欲しいということです。ただし、体罰をしていいのは幼年期だけ。人間として経験値の低いその時期は言葉で理解できないこともあるのです〉(『天才は10歳までにつくられる』より)

 取材班は、吉文氏の実子である長女に複数回接触し、取材意図を説明。「保育園が少しでもよくなるなら」と語り始めた吉文氏の子供への体罰は、教育とは呼べない理不尽なものだった。

犬小屋に12時間以上、犬と閉じ込められたことも

「父は保育園と家庭では、家族と接する態度がまったく違いました。保育園では子供たちに教育者として振る舞っていましたが、家族で遠出したり、運動会など学校の行事に参加することはありませんでした。家族旅行も両親と妹だけが熊本に1度行ったくらい。だから思い出になるような家族写真もありません。

 酔っ払うと暴力が酷くなり、私や母は首を絞められることもあった。あの人に殺されると思いました。別の日には、母が暴力に恐怖を感じて自宅の裏のみかん畑に逃げ隠れると、父がテスト勉強している私を呼んで、押入れや家中を探させたりもしました。

 日頃から私には、『俺が言うこと聞けんのか』『俺を誰だと思っているんだ』と威圧するような言い方で、学校から帰ってくるとお風呂など家の掃除をさせました。母は『子供への暴力だけはやめてほしい』と抵抗していましたが、私の返事が悪かったり、掃除ができていないと、正座をさせて平手打ちする毎日です。

 中学の頃には、飼っていたシェパード犬が人に慣れないからと、屋外にある狭い犬小屋に12時間以上も犬と閉じ込められたりしました。テストで高得点を取っても『勉強するな。お前に夢があるわけないだろう。俺を見て学べばいいんだ。他の連中なんて見なくていい』と、洗脳に近い状態です。家では、家族で笑って過ごす時間もたくさんありましたが、それは父が不在のときだけ。父が帰って来ると、私は2階の自室へと逃げました」

「半身麻痺の義母にも暴力」

「子供には本当に申し訳なかったと思っています」と語るA子さんが、さらに「許すことができない」と強調したのが、保育園設立に資産を譲り渡して支えたA子さんの母への吉文氏の暴力だった。当時同居していたA子さんの母は脳梗塞で倒れ、重度の半身麻痺を患っていたという。長女が語る。

「母が父に暴力を振るわれるのを見て、高齢の祖母は身体を張って何度もかばっていました。すると、父は祖母に向かって、『お前は何を言うか!』と倒れ込んでいる祖母の脇腹を何度も蹴り上げたのです。

 大切な財産をなげうって保育園建設を支えたのは祖母です。その祖母が脳梗塞で入院しているときも、父はゴルフには行っても、1度たりとも病院へ見舞いに来たことはありません。それどころか、機嫌がよくないと私たちの前であろうと、日常的に祖母にまで暴力を振るっていた。祖母は1997年3月23日に亡くなりました。父には、一言でいいから母と祖母に『あの時はすまんな』と謝って欲しかった。女性や子供に手を出す人が真の教育者と呼べるのでしょうか」

 しかし、吉文氏の教育者らしからぬ振る舞いは、暴力だけにとどまらなかったという――。

若手保育士との不倫疑惑、20年来の愛人が取締役就任…「ヨコミネ式」創設者・横峯吉文氏の“乱倫経営”を元妻が告発 へ続く

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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