「舵を切るとそこに小沢一郎がいた」立憲入りした“無敗の男”中村喜四郎と恩讐の28年間

文春オンライン / 2020年10月29日 6時0分

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中村喜四郎氏 ©共同通信社

 9月15日に旧立憲民主、旧国民民主両党の議員150人が合流し、新たに結党された立憲民主党。このとき永田町で話題になったのが、中村喜四郎(71)と小沢一郎氏(78)、2人のベテラン議員の28年ぶりの“邂逅”だった。

 10月10日発売の月刊「文藝春秋」11月号では、中村氏が小沢氏への思いを詳細に語っている。

 自民党竹下派に所属していた2人の間に亀裂が生じたきっかけは、1992年、金丸信氏に佐川急便問題が浮上したことだった。

28年前の“小沢おろし”を巡る因縁

「当時小沢さんは経世会の会長代行でしたが、会長の金丸さんを守ろうとせず、ことを荒立てることばかりしていた。そこで私が派内の中堅議員を集めて、小沢さんの考えを聞こうと呼びかけたのです。20人くらいの前で、私が小沢さんに『どうなっているんだ』と激しい口調で責めたものだから、皆、凍り付いた」

 90年の衆院選では小沢氏は幹事長、中村氏は総務局長として選挙を取り仕切るなど、中村氏は小沢氏の最側近と目されていた。しかし中村氏は追及の手を緩めなかった。

「8日後に開かれた竹下派の総会でも、私が『小沢さんも金丸会長と共に辞任すべきだ』とつるし上げると、野中広務さんなども『小沢おろし』に加勢し、数の力でこちらが優勢となった。結局、小沢さんは『改革派』という錦の御旗を掲げ、翌年の6月に自民党から出て行きました。その後、小沢さんは非自民の細川内閣を発足させ、民主党で政権交代を成し遂げます。一方、私は事件や裁判のため、政治の表舞台から一度消えることとなりました」

 それから28年。再び2人は因縁を超えて、共に自民党と立ち向かうこととなった。

なぜ食事の誘いは断っているのか?

「安倍内閣による強権政治、権力の暴走が進み、私が野党サイドに舵を切ると、そこに小沢さんがいた。小沢さんとの因縁はもう過去のことです。子供じみた喧嘩をするために野党に来たわけではない。小沢さんとは、4野党がまとまって選挙で勝とうという意識は共有できる。その大義のために協力は惜しみません」

 ただかつての小沢氏の手法に釘をさすことも忘れなかった。

「小沢さんの側近議員や関係者を通じて食事の誘いがありましたが、それはお断りしています。2人で会うと、手打ちをしたなどとおかしな話になってしまうし、野党が一つにまとまっていくうちに自然と距離は縮まりますから。

 ただ今後、小沢さんが『俺の言うことを聞け』と強権的な政治手法をとるならば、私は認めることはできない。そこは自民党政権に対する考えと同様です。私が自民党で学び、いまだに肝に銘じているのは、『汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう』の教えです。これが田中派、竹下派の政治手法で、かつての小沢さんや安倍さんのような『俺にとにかくついてこい』というやり方は一時的に上手くいくかもしれませんが、長続きしないし、大きな禍根を生む。こうした考えは私の生き方の問題ですし譲れません」

 現在発売中の「文藝春秋」11月号および「文藝春秋digital」に掲載の「 小沢一郎と共に菅政権を倒す 」で、中村氏は野党結集のために開催した「飲み会」の内幕、総裁選で敗れた石破茂氏に期待する理由、菅政権の分析などを明かしている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2020年11月号)

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