「人間性には白目をむいたが、作品性には瞠目」長年のファンをうならせた驚異の伝記
文春オンライン / 2020年11月3日 11時0分

『ブルース・チャトウィン』(ニコラス・シェイクスピア 著/池央耿 訳)KADOKAWA
海外での名声と比して、日本での知名度がさして高くない作家は大勢いる。ブルース・チャトウィンもその一人だ。著作のすべてが訳出され、『ウィダの総督』がヴェルナー・ヘルツォーク監督によって、遺作『ウッツ男爵』がジョルジュ・シュルイツァー監督によって映画化されたにもかかわらず、チャトウィンの名は日本では人口に膾炙することはなかったのだ。
紀行文学の傑作と名高い『パタゴニア』の、しっかりした描写力と詩的な想像力の融合が美しい語り口に魅了されて以来、邦訳作品を追いかけ、自選短篇集『どうして僕はこんなところに』の表紙に用いられた、スティングに面差しが似ている本人写真で、そのルックスのファンにもなってしまったわたしは、だからニコラス・シェイクスピアによる大部の伝記が訳されたことに大変驚いている。正直言えば「一体誰が読むのっ?」である。
もちろん、ミーハーファンであるわたしは読む。八百六十七ページ読みきった。そして白目をむいた。
カルロス・フエンテス、ジェイムズ・アイヴォリー、スーザン・ソンタグ、サルマン・ラシュディ、ポール・セルー、ロバート・メイプルソープ、ジャッキー・オナシスなどなど。綺羅星のごとき有名人から、家族、親族、友人知人まで、チャトウィンと交流のあったとんでもない数の人々に取材し、「孤高の旅人」とも「旅する貴公子」とも呼ばれた傑物の生涯のすべてのシーンにスポットを当て、丸裸にしてしまったこの本には、ファンなら知りたくなかったようなエピソードが、これでもかというほど明かされているのだ。
一九四〇年五月十三日に生を享け、十八歳で世界最古の国際競売会社サザビーズに入社。たちまち頭角を現すも、待遇が気に入らず退社。エジンバラ大学で考古学を学び、「サンデータイムズ」の契約社員に。たちまち花形記者になるも、やがてジャーナリズムに対する意欲は減退。七五年にはフリーとなり、七七年に発表した『パタゴニア』で一流作家の仲間入り。
と、駆け足で半生を紹介しただけでも、チャトウィンがいかに才能と精気に溢れ、その気質に引きずり回されるかのように波瀾万丈のサクセスストーリーを紡いできたかおわかりいただけるかと思うが、光あるところには影あり。本書を読むと、チャトウィンがいかに毀誉褒貶烈しい人物だったかということが、よぉくわかるのである。
両性愛者で死因がエイズというのは影ではない。そうではなく、家には居つかず、旅先では男女かまわず大勢の人物と寝て、妻に対して不誠実だったこと。学生時代はぱっとしない凡庸な子供だったこと。友人知人に対して傍若無人な態度をとったこと。歯磨きをしている人がいるバスルームで下痢便を垂れたこと。他人の著作から盗用することに罪悪感がなかったこと。取材対象から評判が悪かったこと。「チャトウィンくらい愉快で魅力的な男はいない」と褒め称える人が大勢いる一方で、同じくらい悪い印象を持たれるのが、チャトウィンという多面体の才人の正体なのだ。
というわけで、じゃあ、嫌いになったかといえば、否。四十八歳で逝ったチャトウィンが残した作品が、どんな過程を経て生まれたのか、その裏でどんな人たちが協力し、作品はどのように受け入れられたのか、あるいは批判されたのか。人間チャトウィンを容赦なく丸裸にする著者のペンは、同じくらいの情熱をもってチャトウィン作品の魅力に迫っているからだ。
人間性には白目をむいたが、作品性には瞠目した。それが長年のファンであるわたしの忖度なき感想だ。この伝記の訳出を機に、日本でもブルース・チャトウィンの名が本好きの間で上るようになることを祈る、祈る祈る祈る。
Nicholas Shakespeare/1957年生まれ。フィクションだけでなくノンフィクションも手がける英国の作家。『The Vision of Elena Silves』『The High Flyer』『テロリストのダンス』など著書多数。
とよざきゆみ/1961年生まれ。ライター、ブックレビュアー。『文学賞メッタ斬り!』『百年の誤読』(以上、共著)など著書多数。
(豊﨑 由美/週刊文春 2020年11月5日号)
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