「ウポポイをどう評価する?」日本で暮らす台湾原住民が見たアイヌ

文春オンライン / 2020年11月2日 6時0分

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民俗学者の鳥居龍蔵が1900年に撮影したブヌン族の姿。2020年9月現在、ブヌン族の人口は5万9925人ほど、台湾最高峰の玉山(日本統治時代は新高山)の山麓一帯に多く居住する。 

安倍政権最大の功績は“アイヌ博物館”だった? 200億円をブチ込んだ「ウポポイ」の虚実 から続く

 今年7月12日、北海道白老町内で開業した日本初の国立アイヌ文化施設、ウポポイ(民族共生象徴空間)。前回、施設の見学前の下調べをするなかで、私が興味を持ったのが、自分の本来のフィールドである中華圏の先住民や少数民族とアイヌとの比較だった。

 そこで取材したのが、札幌市内で暮らす台湾基督長老教会のディヴァン・スクルマン牧師である。彼女は原住民のブヌン族出身、台湾南投県で1974年に生まれ、2005年にプロテスタントの宣教師として来日した。なお、長老教会は同国で最大のキリスト教派で、今年7月30日に逝去した李登輝元総統が属したことでも知られている。

 アイヌは近年、「愛国者」的なマインドを持つ識者やネットユーザーから攻撃されたり、「アイヌ問題は捏造」といった根拠のない陰謀論をぶつけられたりしやすい。いっぽう、同じ「愛国者」的なテクストのなかでは、台湾の原住民は肯定的に語られることが多い。

 ならば、当の台湾原住民自身は、アイヌについて何を感じていて何を語るのだろうか。

帝国の周縁、台湾と北海道

──先日、ウポポイの学芸員の方から聞いた話ですが、近年はアイヌと他国の先住民との交流が盛んになってきたようです。地理的に近いこともあってか、特に台湾の原住民との交流が活発らしいですね。アイヌ研究をおこなう台湾人研究者も何人もいるようです。

ディヴァン(以下「D」):そうです。私自身も原住民の出身ですし、アイヌへの関心は高いですよ。台湾基督長老教会の宣教師として札幌で暮らしているのですが、こちらで日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターのスタッフにも加わっています。

──なるほど。北海道のアイヌの人口は約1.3万人ですが、道外在住者や名乗り出ない人を含めると数万人とも言われます。対して台湾のブヌン族の人口は6万人弱です。いっぽう、北海道の全域が日本国に明確に組み込まれたのはほぼ1870年代以降で、台湾が日本統治下に置かれたのは1895年以降、さらに戦後の国民党時代も同化政策が進みました。アイヌと台湾原住民には、条件として似た部分もあったと思います。

“中華民族化教育”の実態

D:そうですね。私が子どものときは国民党政権の時代でしたから、学校でブヌン語を話したのがわかると罰金を取られました。学校で「請說國語(標準中国語を喋りましょう)」という紙を書かされて、それを家じゅうに貼るよう求められたりもしましたね。

 また、これは漢族系の本省人も同じですが、私たちの世代が学校で教えられたのは、国民党が追い出された中国大陸の歴史でした。自分たちの土地である台湾の歴史を学んだのは、花蓮で神学校の玉山神学院(原住民のための牧師養成学校)に入ってからのことです。

──台湾は現在こそリベラルな民主主義国家ですが、1980年代までは国民党の独裁政権下にありましたからね。戦時中は皇民化教育がおこなわれ、戦後は中華民族化教育がなされたという。

D:はい。なのに、学校とは逆に家で中国語を喋ると、父から「自分がブヌン族であることを忘れてはならん」「ブヌン語を喋れ」と叱られるわけです(笑)。もっとも、うちはセデック族やタイヤル族など他の原住民の親戚もいるので、親戚が集まるときは、共通語として中国語を使うときもあるのですけれど。

なぜブヌン語は生き残ったのか?

──現在、アイヌ語の母語話者はほとんどいなくなっており、言語回復の試みが続いています。いっぽう、台湾でも少なからず原住民諸語が滅んでいますが、ブヌン語のほかいくつかの言語は、まだ日常的に使われているものもありますよね。山地や離島に住む原住民ほど同化政策に限界があったということでしょうか。

D:それもあるでしょうが、ブヌン語での説教がおこなわれてきた教会の影響も大きい。これは私が牧師だから言うのではなく、客観的に言ってそうだと思います。国民党がどんな言語政策をおこなったとしても、教会は聖域だった。学校では使えない言語を、教会ではみんなが使えた。なので言葉が残ったんです。

 ほかに、過去に教会が原住民の青年を密かにかくまって彼らの言語で聖書の翻訳をおこなってもらったことで、失われつつあった言語が書き言葉として残ったということもあります。台湾の原住民も、自分たちの言語を残す努力は並大抵ではなかったのですよ。

──ただ、いっぽうでキリスト教が広がることで、原住民の宗教信仰や伝統が変質した面もあるのではないですか。

D:もちろん、キリスト教が広がったことで台湾原住民に固有の伝統が奪われた……、という批判もあります。そのことは否定しないのですが、母語で説教がおこなわれたことで話し言葉が残り、書き言葉が残ったことの意義が大きいのも確かだと考えます。

原住民とキリスト教

──確かに、北海道のアイヌの言葉と比べて、台湾のブヌン語がより生き残っているのは厳然たる事実ですしね。ちなみに、ブヌン族を含めた台湾原住民の人口は60万人弱で、75%がキリスト教徒です。一般的な日本人のイメージでは、台湾の原住民とキリスト教は結びつきにくい部分もありそうですが。

D:戦前から布教はおこなわれていますね。日本統治時代に一定の圧迫を受けたようですが、信仰が続きました。台湾の原住民の村には、作られてから70~80年ほどの古い教会もけっこうあるんです。

──原住民への布教に熱心だった長老教会は、実は国民党独裁時代から台湾の民主化運動に強くコミットしていて、民進党との関係が良好です。同じく国民党政権への異議申し立てだった、原住民の権利回復運動への影響も大きかったみたいですね。

D:そうです。原住民の権利回復運動は国民党時代の1980年代前半から始まりました。過去に政府当局(=日本の台湾総督府や国民党政府)から「不当に」奪われた原住民の土地の返還や補償の要求ですとか、公共の場でも自分の民族名を名乗る要求ですとか。原住民が教会を通じて権利を主張して、民進党と協力して国民党政府と戦った歴史があるわけなんです。

原住民に認められた権利とは……

──台湾政府の原住民への姿勢が変わったのは、李登輝政権下でこれまでの「山地同胞」という呼称が「原住民族」に改められたあたり(1994年)からでしょうか?

D:あと、2000年の総統選で民進党の陳水扁が当選したことが大きいです。陳水扁は選挙前に、原住民の自然主権の承認や原住民自治の推進などを掲げた「原住民と台湾新政府の新たなパートナーシップ」という構想を提唱したんです。当時、台湾人はみんな陳水扁は当選しないだろうと思っていたのですが……、幸運にも当選したので(笑)。

──2000年総統選は民進党が歴史的な政権交代を成し遂げた選挙でしたが、国民党候補者が連戦と宋楚瑜に分裂したことで、実はタナボタ的に辛勝した形です。当時、民進党はこの総統選に勝てないことを前提として理想主義的な原住民政策を掲げていたはずが、国民党側のオウンゴールで勝ってしまいました。

D:結果的に、2005年に先住民の法的地位を保障する原住民族基本法が成立します。現在は自分の民族名を名乗れますし、小学校では週1回の母語教育(注:閩南系の場合は台湾語、客家系の場合は客家語)が義務付けられていて、立法院(国会)に原住民枠の6議席がある。1990年代末からは大学受験での原住民学生への加点処置もあります。もちろん、土地問題など現在でも解決したとは言えない部分もありますが。

──いっぽう、日本でも2019年4月に成立したアイヌ新法で、アイヌが先住民として明記されました。ただ、アイヌに特別な権利は認めない点が、台湾の原住民族基本法との違いです。法の下の平等の観点から難しいという解釈みたいですね。加えて日本の場合、社会的弱者が他の国民よりも優遇されることを嫌う考えが根強いので、こうした世論の動向も背景にあるでしょう。

結婚差別は日本の方が多い?

D:原住民への優遇処置を強く嫌う意見は、台湾のケースではそれほど強くはないです。正直、教育の優遇については、現実を見て納得感を持たれている面もあります。原住民は言語面でのハンディがあることに加えて、伝統的な村における教育の環境は、大学受験の学力を伸ばすことに対しては必ずしも適性が高いわけではないですし。

──台湾原住民に対する結婚差別などは、現在でも存在しますか?

D:まだ存在しますが、昔よりもかなり減っていると感じます。むしろ私の場合、日本キリスト教団のアイヌ民族情報センターに携わっていることで、アイヌ差別の話のほうが身近なくらいです。和人の男性とアイヌの女性のカップルが結婚しようとしたら男性の親に反対されたので地元を離れてしまった、とか。数年前の話です。

ウポポイとアイヌ新法をどう見る?

──そうした事例がどこまで一般化できるかは難しいところですが、現在でもあるわけですね。聞いた話だと、白老や静内・帯広・阿寒・釧路といった比較的アイヌ系の住民の存在感がある地域以外は、北海道の人でもアイヌについて身近な感覚は薄いともいいますが。

D:私の聞いた範囲だと、少なからずあります。 現在、日本ではアイヌであることを打ち明けることは差別を受けるというデメリットしかないですから、多くの人は喋らない。誇りを持っていいんだという社会にならない限り、この手の差別の実態はなかなか聞けないでしょう。 

──手厳しいですね。ところで先日、私はウポポイ施設内の博物館の展示を見たときにモヤモヤした感じがあったのですが、台湾原住民としては、ウポポイやアイヌ新法についてどう感じますか?

D:まず、アイヌ民族情報センターを通じて接したアイヌの人たちの話をするなら、全体としてはウポポイに否定的な感想を持つ人のほうが多いみたいです。国がアイヌを先住民族として認めて博物館を建ててくれたのは評価するけれど、箱モノだけを作って、(台湾を含めて)国際的に認められている先住権がないがしろにしているのは問題だと。あと、ウポポイだけを見てアイヌのことを知ったつもりにはならないでね、という。

 最後に私自身の意見を言えば、日本政府はアイヌを現在も生きている「人間」としてではなくて、すでに死んだ「文化」として扱っている印象があります。モノとしては大事にしているのかもしれませんが、人間としては大事にしていない。だって、もし人間として扱っているなら、台湾みたいにアイヌ新法で先住民族としての権利まで認めているはずでしょう?

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<ブヌン族>

 

 中華民国原住民族委員会ホームページの説明によれば、2020年9月現在、ブヌン族の人口はおよそ5万9925人とされる。主な居住地域はディヴァン牧師の故郷である南投県の仁愛郷・信義鄉のほか、花蓮県卓溪鄉・万栄鄉、台東県延平鄉・海端鄉、高雄市桃源区・那瑪夏区など。伝統的な集落は海抜500~1500メートルの高地に多く分布し、他の原住民と比べても高地に居住する。

 

 ブヌン族は父系の大家族を形成し、伝統的な家庭の場合は家族の人数が30~40人に及ぶことも珍しくない(ディヴァン牧師の実家も、最大時は家族が20人くらいいたようだ)。他には農業祭祀のなかで歌われる「アワの豊作を祈る歌」(pasibutbut)が、八部和音唱法を使った特殊な歌唱方法で知られており、民族音楽研究者の間で注目されている。

 

 歴史的には日本植民地時代の1915年(大正4年)、原住民政策に不満を持った花蓮港庁玉里郡(現在の花蓮県卓溪鄉)のブヌン族が蜂起して日本人警官を殺害。その後18年間にわたって抵抗した抗日蜂起「大分事件」を起こした。

(安田 峰俊)

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