竹内結子さんが語っていた“母からの言葉と家族観” 「泣いたって状況は変わらないのよ」――2020年の訃報記事

文春オンライン / 2020年12月31日 6時0分

写真

竹内結子さん ©getty

2020年に亡くなられた方の追悼記事のうち、文春オンラインで反響の大きかったものを再掲します(初公開日 2020年10月3日)。

*  *  *

 女優の竹内結子さんが、9月27日に亡くなった。40歳だった。所属事務所は30日、公式サイトで家族葬が執り行われたことを発表し、「あまりに突然の信じ難い出来事に、所属タレントや社員は未だ戸惑いの中にあり、この事態を到底受け入れられる状態ではなく悔やみきれない思いであります。しかしながら竹内結子は弊社にとって、永遠にかけがえのない大切な所属女優であることに変わりありません。これからもその存在に寄り添っていく所存でございます」と綴っている。

 かつて、取材や撮影などを通じて竹内さんの姿や言葉にふれた人たちへ話を聞いた。

◆ ◆ ◆

「私にとって仕事をするのは当たり前のこと」

「竹内結子さんを取材したのはずいぶん前で、記憶も断片的ではあるのですが、あの日曜の朝、テレビのニュース速報を見て真っ先に思い出したのが、白を基調としたハウススタジオで、優しい光に包まれて笑顔でお話しされていた竹内さんの姿です」

 こう話すのは、ライターの今富夕起さんだ。竹内さんは2012年から約2年間、「CREA」で「クレア・ミューズ」として誌面を飾っていた。

「竹内さんは、いつお会いしても印象の変わらない方でした。朝でも午後でもフラットな状態で、どのスタッフにも笑顔で『おはようございます』と挨拶されていました。インタビューのときも、マネジャーなどの近しいスタッフと話している延長線上といった雰囲気で、こちらとの間に壁を作らない方でした。

『一生分のお金のつくり方』という特集に登場いただいた時は、女優さんにはちょっと聞きづらいテーマともいえますが、どんな質問にも窮することがない竹内さんなら『うまく答えてくださるだろう……』と。地に足がついた、ごく普通の感覚をお持ちの方でもあるんだなと思ったことを覚えています」

〈高校生になったらお小遣いは自分で稼ぐ、という方針の家で育ったので、私にとって仕事をするのは当たり前のこと。それがベースにありつつ、年1回、1週間ほど行く海外旅行という贅沢が、また1年、仕事を頑張ろうという動機にもなっています。極論かもしれないけれど、贅沢も一生仕事を続ける上での必要経費なのかもしれないですよね〉(「CREA」2013年2月号)

 埼玉県出身の竹内さんは、1995年、中学卒業後に原宿でスカウトされて芸能界入りした。デビュー間もない頃にはアルバイトの経験もあるという。1999年にNHK連続テレビ小説『あすか』のヒロインに3度目のオーディションで抜擢されて以来、ひたむきに女優業に打ち込んできた。

 仕事の現場で納得できないことがあると、負の感情が顔に出てしまったり、映画の撮影の時、泣きながらスタッフに抗議したこともあるという。

母から言われた「泣いたって状況は変わらないのよ」

〈私、小さい頃に、母からよく言われたんです。『泣いたって状況は変わらないのよ』って。最近はそれが、『ああ、こういうことなんだ』ってわかるようになりましたね。どうせ最後までやらなきゃ終わらないのなら、その感情に集中するんじゃなくて、目を逸らすことも必要なんじゃないかな。そうすることが、結果的に自分を大事にすることに繋がるような気がします〉(「CREA」2011年10月号)

 竹内さんは幼い頃に母を亡くし、その後父は再婚したという。「小さな頃から食いしん坊で、おばあちゃん家の棚のどこにお菓子があるかちゃんとわかってた」と話すなど、おばあちゃん子の一面もあったようだ。自身の高校時代については、『サーフ・スプラッシュ』(桜井亜美、幻冬舎文庫)の解説で、率直な思いを吐露していた。

〈帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった。(中略)私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった〉

家族とは「信用したり、気持ちを預けたりできる人たちの集まり」

 インタビューで家族との直接的なエピソードを明かすことは少なかったが、撮影現場などでは、長男について「口のまわりに食べかすがついているのに『食べてないよ』って嘘をつくようになったの」と笑って話し、ごく自然に母としての顔を見せることもあったという。

 2019年2月、俳優の中林大樹さん(35)との結婚を報告する書面では、「将来を話し合う中で、『三人一緒になればこれから楽しくなるね』と息子が背中を押してくれたこともあり、このような運びとなりました」と綴った竹内さん。〈家族は、血のつながりだけでできているものではないので、信用したり、気持ちを預けたりできる人たちの集まりなのかな、と思います。互いに生きる軸になっているところが“家”で自然と家族ができていくのかな〉(「ミセス」2019年7月号)とも語っていた。

「かなり真剣に自分を追い込むタイプなんです」

 フリーエディターの有田麻奈美さんは、「CREA」のファッションページをはじめ、プライベートや旅先でのエピソードを紹介する「オフタイム・ダイアリー」で竹内さんの素顔を取材してきた。

「すでにアジアでも絶大な人気があった竹内さんは、ちょうど主演映画『ストロベリーナイト』の撮影と公開、また新しいドラマの撮影と大変お忙しい頃でした。それでも、毎回早めにスケジュールをくださって撮影に臨むことができたのも、この雑誌を、そしてこの頁を大切に想ってくださっているからなのだなと嬉しかった記憶があります。とても陽射しが強かった日、『白い肌が焼けたら大変!』とこちらがハラハラするような場面でも、竹内さんはそんなこと気にもせず楽しんでくださっている様子で、カメラマンが描きたいであろうカメラの向こうの世界にすっと入っていくのです」

「ある時は、冬に発売される号(2012年11月号)だったので、スタジオの床全体に塩(それが雪に最も近く見える)を敷き詰め、降雪機で雪を降らせたことがありました。竹内さんは、ちょっと興奮気味に『すごい! 雪を降らせるんだ』と。『機械が小さいので、トータルで15分間しか降らすことができないんです。すみません!』とこちらは平謝りでしたが、それでも竹内さんのおかげで、5カットの本番はスムーズに撮影終了。瞳をキラキラさせて、雪を手のひらで受け取ろうとする竹内さんを写真におさめることができました」

 撮影後のインタビューもオープンな雰囲気で、その時々の本音を真摯に語る竹内さんがいた。プライベートで初めてロサンゼルスを訪れた後に、誰にも名前を呼ばれない、誰も自分のことを知らない場所で、「これからも“自分でしっかりと立つ”ために、もっと頑張らなくては!」と話した。日本での舞台初挑戦を視野に入れていることとともに、その意気込みについては「いい意味でのいい加減さは失いたくないと思っている反面、実はかなり真剣に自分を追い込むタイプなんです」とも明かしていた。

「40歳という年齢に後ろ向きな気持ちはまったくなくて」

 今年9月のインタビューでは、1月に第2子を出産し、育児と向き合う中で4月に40歳の節目を迎えたことへの前向きな気持ちを語っていた。

〈40歳という年齢に後ろ向きな気持ちはまったくなくて、むしろ肩からポロポロといろいろなものが落ちて、軽くなるような感覚がありますね。(中略)今はまたひとつ段階が進んで、これまでの自分にお疲れさまという気分ですね〉(「LEE」2020年10月号)

 その人柄にふれた多くの人々が、心から冥福を祈り、いまだ深い悲しみの中にいる。

◆ ◆ ◆

 特集記事「木村花さん、三浦春馬さん、竹内結子さん……芸能人『自殺連鎖』の病理」は、10月10日発売の「文藝春秋」11月号と「 文藝春秋digital 」に掲載予定です。

【悩みを抱えた時の相談窓口】
「日本いのちの電話」
▽ナビダイヤル「0570-783-556」午前10時~午後10時
▽フリーダイヤル「0120-783-556」毎日:午後4時~午後9時、毎月10日:午前8時~翌日午前8時

(「文藝春秋digital」/文藝春秋 digital)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング