地下鉄サリン事件「被告人もまた、不幸かつ不運」 裁判長が死刑囚・林泰男をほめたワケ

文春オンライン / 2020年12月26日 17時0分

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地下鉄サリン事件「この子は大丈夫だろうと……」 教員の父が語る、死刑囚・豊田亨の“子供時代” から続く

  1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、やがて教団の犯した事件に関与したとされる信者が次々と逮捕された。地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。この事件で同時に起訴され、主張や弁護人の足並みの揃った実行犯である廣瀬健一と豊田亨、それに送迎車の運転手役だった杉本繁郎の3人がいっしょに並んで、同じ法廷の裁判に臨んでいた。

 その判決公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『 私が見た21の死刑判決 』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。 前編 を読む)

◆◆◆

殺人犯への讃辞

 杉本の場合は、病気が理由だった。大学を出て、証券会社に就職したものの、体調が悪くなったことをきっかけに83年に退職していた。顔や唇が突然腫れ上がり、不整脈、甲状腺機能亢進症と診断され、ずっと自宅で寝て過ごす療養生活を送っていた。その頃に読んだオカルト雑誌がきっかけで、麻原に手紙を書き、上京する。まだ渋谷のマンションの一室にヨーガ道場を営む程度のものだったが、そこで麻原からヨーガの指導を受けたことから、体調が改善していく。病気が治ったという実益が彼を大きく突き動かした。そのまま麻原のもとに出家すると、教団の草創期のスタッフとして組織に参画していく。

 そして、最初に違法行為に接したのが、教団元信徒のリンチ殺害事件だった。教団施設内に侵入した元信徒が、教団幹部らに取り押さえられ、首を絞められ殺されていく模様を、専属運転手として同行した現場で、目の不自由な麻原に逐一報告している。(落田耕太郎さん殺害事件)

 それから、麻原からスパイ容疑をかけられた信者を1人、やはりリンチで殺害している。教団施設の生活用水に毒を混ぜたとして拘束した信徒に自白を迫って拷問。パイプ椅子に縛り付け、焼けた鉄棒を押し付け、爪の間に針を突き刺し、ペンチで爪を剥がし、それでも認めようとしなかったことから、最後には首にロープを巻き付け、その一端を力任せに引っ張って殺害している。(冨田俊男さん殺害事件)

 そんな事件があったことすら、豊田も廣瀬も知らなかった。彼らが教団内で犯していた罪といえば、理科系技術者として自動小銃の密造開発を手掛けていたことくらいだった。

実行役と送迎役の壁

 それから、麻原の指名を受けて、地下鉄サリン事件の実行役と送迎役に割り振られ、共犯者として未曾有のテロ事件を決行。同事件でいっしょに逮捕、起訴されてから、杉本は自らが首を絞めて信徒を殺害したリンチ事件を自供することで「自首」している。そのことで、共犯者3人が再逮捕、再起訴された。

 生い立ちも、教団内での立場も異なっていた3人が、殺人犯として裁かれた。交わす言葉などなかった。

 豊田は、日比谷線車内に撒いたサリンで、人1人を殺した。

 廣瀬も、やはり丸ノ内線で1人を殺している。

 そして、杉本は地下鉄サリン事件においては、実行役を補佐する運転手役だが、リンチ殺人で2人、そのうちの1人は自分の手でロープを引っ張って殺している。

 しかし、杉本が死刑でなかったのは、「自首」が認められたことに他ならなかった。

 判決に先立つ、検察側の論告求刑の中で、既に検察も「自首」の成立を認めて、あえて死刑を求刑していなかった。その時の杉本は、手にした水色のタオルで目から溢れ出る涙をしきりに拭っていた。

 罪を認め、誠実な態度で裁判に臨み、事案の追及に貢献したことが認められた、反省と恭順の姿勢が実を結んだことに、感涙を止めようがなかったのだろう。

 しかし、その同じ法廷で死刑が求刑された豊田と廣瀬は、じっと硬くなったまま身動きすらしなかった。

 刑によって生死を隔てるもの。目に見えない裁判の壁。そして、持って生まれたもの。生い立ちと巡り合わせ。

 判決の中には、こんな文言が盛り込まれていた。

殺人犯へのこの上ない讃辞

「被告人三名はいずれも自ら犯した犯罪の重大性や悪質性、遺族の悲惨さ、被害者の苦しみなどを知り、真摯な反省・悔悟の念を深め、自己の捜査のみならず、オウム関連事件全体について、捜査および裁判に全面的に協力してその念を表わし、当然のことながら、全員オウム真理教を脱会している。また、被告人ら、とりわけ、被告人豊田および被告人廣瀬の裁判に臨む態度は、当然とはいえ、誠に真摯なものであった。被告人豊田においては、自責の念や被害者に対する配慮から、言い逃れをしたり、感情を露にしないとの姿勢を保ち続け、自己の死をもって、その責任を全うする覚悟を表明している。被告人廣瀬においては、深い悔悟と松本の教義からの訣別の念により、公判の最終段階で、精神状態に変調を来たした。これらの両被告人の態度からすると、真摯な反省の念と被害者への謝罪の気持ちには、偽りがないというべきである」

「オウム教団に入信した動機をみても、解脱を求めるなど、いずれも真摯な理由に基づくものであった。このように、被告人ら、とりわけ、被告人豊田および被告人廣瀬は、オウム教団に入信する以前は、人格高潔で、学業優秀な人物であったことは事実であり、有利に斟酌することができる」

 殺人犯を評価するには、この上ない讃辞だった。

「しかしながら、被告人らがいかに人格等において優れていたとしても、それは、地下鉄サリン事件等の被害者にもいえることであって、被告人らが自らの意思でオウム教団に入信し、自らの意思で犯行に及んでいるのに比し、被害者らは、自らの意思や責任から被害に遭遇したものでなく、無念のうちにその生命を断たれたものがいることに照らすと、被告人らの人格や優秀さを斟酌するとしても、過大視することはできないといわなければならない」

 豊田と廣瀬に死刑を言い渡した判決理由は、最後にこんな言葉で締めくくられていた。

石垣島で逮捕された林泰男

「通常人であれば、たやすく松本やオウム教団の欺瞞性、反社会性を看破することができたことも事実である。ところが両被告人は、その有する生真面目さや純粋さも災いして、このような契機を見過ごし、自己の判断と意思の下に、オウム教団にとどまり続け、遂には地下鉄サリン事件を迎えたものであって、いわば、自ら招いた帰結というべきである」

 それから3人は、無期懲役の杉本も揃って、東京高裁に控訴している。

 しかし、死刑と無期の壁は壊れることはなかった。

 誠実な殺人者といえば、日比谷線にサリンを撒いて8人を殺害した林泰男もそうだった。

 事件からおよそ2年間の逃走を経て、石垣島で逮捕された彼は、指名手配中にずっと「殺人マシーン」などと呼称されていた。

 しかし、その間に地下鉄サリン事件の共犯者たちの証言から受ける印象は、ちょっと違っていた。

 1人当たり2袋だと1つ余ってしまうサリンを、彼が引き受けて1つ多い3袋を車輛内に漏出気化させている。みんな嫌がったのを、彼が手を挙げたと、他の共犯者たちが証言している。しかも、その3袋目は二重になった内袋から液体のサリンが漏れ出しているものをわざわざ選んでいた。それも、実行直前になって気付き、みんなが嫌がったものだった。

 それで、無差別大量殺戮の効果が増したとしたら、残酷な話だった。

 裁判での林泰男の態度は、その判決文にこう示されている。

「殺人マシーン」に対する評価

「被告人は、麻原をはじめ共犯者らの法廷に、証人としてたびたび出廷し、記憶のある限り事実関係を供述して事案の解明に協力するなど、教団が引き起こした一連の事件の審理に寄与、貢献している。加えて、被告人は、当初から極刑が予想されていたのに、自らの審理の長期化を望まず公判審理の促進に積極的に協力し、地下鉄サリン事件の他の共犯者より公判開始が約二年近く遅れたにもかかわらず、ほぼ同時期に審理を終えるに至ったことは、被害者や遺族に対するせめてもの懺悔と謝罪の念の現れと理解できる。さらに、被告人の当公判廷に臨む態度は、礼儀正しく、質問に対する応答も真摯である。(中略)右のような被告人の態度を通じて明らかとなった被告人なりの真摯な反省・悔悟の情は十分汲むべきものである」

「被告人は、元来凶暴・凶悪な性格でなく(中略)定時制高校に入学したあとは真面目に学業および仕事にはげんでいたのであり、大学では成績優秀者として表彰も受けている。加えて、被告人は魚屋を営む知人が病気で倒れて休業したあと、病み上がりの身体で商売する姿を見かね、自己のそれまでの仕事を犠牲にして住み込みで同人を手伝ったこともあり、被告人には善良な性格を見て取ることができる。その他、被告人の母親、林郁夫らの証言および被告人の前記法廷における態度等に照らせば、麻原および教団とのかかわりを捨象して、被告人を一個の人間としてみる限り、被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない」

 その上で、こんな一文で林泰男の評価が締めくくられている。

「およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」

 被告人を悪く語らない判決というのも珍しい。むしろ、褒めている。

 それでも、林泰男は死刑だった。

 最後に主文を聞かされた林泰男は、正面の法壇の上の裁判長を見上げ、姿勢を正して何度も深く頭を下げていた。これを見た裁判長も、目を見合わせては、繰り返し深く頭を下げて答えていた。

 そこに、不思議な信頼関係があるように見えたのは、ぼくだけだったろうか。

(青沼 陽一郎/文春新書)

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