「死んだふり10分後、立ったら顔を殴られ重傷」山中で熊と遭遇したときの最善の対処法とは?

文春オンライン / 2021年1月9日 6時0分

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満腹でも熊は人を襲う…腰部、臀部、下肢が食害された「戸沢村3人殺人事件」の衝撃 から続く

 2020年のクマによる被害は4月~10月の間に限っても132人。環境省のデータによると、過去最悪となった2019年の157人に迫るペースとなっている。山中に立ち入るにあたって、誰もがクマとの遭遇に無自覚ではいられないのが現状だといえるだろう。

 ときに人を襲い、殺害してしまうこともあるクマ。もしも遭遇した場合はどのような対処をとれば、最悪の事態を逃れられるのだろうか。日本ツキノワグマ研究所理事長を務める米田一彦氏による著書『 熊が人を襲うとき 』より、誰もができる最善の対処法を引用し、紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◇◇◇

死んだ振りは有効だ

『明治43年9月17日、栃木県塩谷郡で鉱物調査中の男性(55)が寝ているクマと遭遇、手、額に重傷。「死人の真似」をした。』読売新聞(1910・9・20)

 この日、クマ事故で初めて「死んだ振り」の対応をした人が紙面に現われた。子牛ほどのクマと遭遇して、言い伝え通りに死人の真似をしたそうだ。そうする以外にないほど重傷で、防御体勢をとったと思われる。

『大正15年5月6日、福島県湯本村二岐温泉で、男性4人(68、67、60、58)が親子3頭のクマと遭遇、一斉に「地面に伏せ」無傷。』読売新聞(1926・5・16)

 敵と遭遇したら発見されないように「地に伏せる」ことはあるが、死んだ振りをして、クマをやり過ごした面白さを記者が捉えたのだろう。温泉の湯煙に酔ったようなおじさんたちが揃って地面に伏せた。微苦笑を誘われる記事だ。

「死んだ振り」「死んだ真似」「寝たまね」「死人を装い」と文字になっているものは80人いる。「伏せた」と発言している人も女性を中心に85人いる。これは、女性が無意識に顔を守るために取った行動と思われる。

 女性ではクマに遭遇して動転し、気絶状態で地面に寝そべる例が多数ある。  

(1)基本型

『31年10月5日、福井県加戸村で、水汲みの男性( 58 )が遭遇、「死んだ真似」をしたら、同人の肩を二、三度叩き、無傷。』朝日新聞(1931・10・9)

 クマの大出没年だった昭和6年(31年)に3件の「死人を装う」「死んだ真似」事故が見られる。このころにはクマに遭遇したときの対応のひとつになっていたようだ。同人の肩を三度まで叩いたのは、通り過ぎるときに当たったのではないか。

『59年10月17日、福井県大野市で、農作業中の女性(51)が遭遇「死んだ真似」。クマは同人の後頭部を叩いて通り過ぎて軽傷。』福井新聞(1959・10・18)

「後頭部を叩いた」は、通り過ぎるとき、爪でも当たったのではないか。「死んだ真似」という用語は戦後期に日本海側に限定的に使用されている。

クマのささやき

 53年10月5日付けの福井新聞に、この秋のクマ大出没を受けた特集記事に「クマ報道での名文中の名文」が載っている。

『クマと出くわしたら騒いだりせず、付近の窪地へ素早く伏せ、とくに顔を地面に、へばりつき静かに息を殺しているとクマは一応、背中を、なでる程度で危害を加えず、しばらくすると行き過ぎると言われている。これを「クマのささやき」という。』

 私も一貫して、この文章の論旨と同じ言い方で対処法を勧めている。最初の小さなクマの手出しが「ささやき」で、その後被害者がどういう対応を取るかで重大事故へと拡大するか、その軽減法を私は近年の事故例から探っている。「クマのささやき」は、どこかに原典があるのだろうか。誰が言ったのだろう。

(2)監視型

『53年10月23日、長野県永田村で男性(34)がキノコ採り中、後ろから突然に襲われて重傷、咄嗟に身を伏せて死んだ振りをした。クマは20分間ほど、周りを歩き続けて去った。』信濃毎日新聞(1953・10・24)

 このように受傷して死んだ振りをし、10分後、20分後、30分後に見回したら、クマの姿が消えていた例が18人ある。

『76年4月28日、滋賀県木之本町でワラビ採り中の女性(66)が親子3頭と遭遇、死んだふり10分後、立ったら顔を殴られ重傷。』読売新聞(1976・4・29)

 前2例の死んだ振りは、その後の様子が異なる。後者のように襲われて小さな被害を受けて死んだ振りをし、その体勢を5分、10 分、1時間と続けた後、立ちあがって逃げようとすると、ガツンと殴られて重傷に変じた事故が22人もある。

《クマは死んだ振りをした人を遠くから長時間、監視している》――米田

 監視後にクマが去った人が18人あった。立つと、ガツンとやられたのが22人。待つべきか、立つべきか、難しい問題だ。後者は「遺体を守って24時間、蟠踞」の類型なのだ。こんなときは「クマの攻撃性が低い段階なので追い払う」爆竹が役立つだろう。

(3)核心例

 次例は、この項の最も核心的な事例だ。

『86年6月5日、山形県大蔵村で営林作業中の男性(58)がクマと遭遇し、背を向けて逃げると襲われると思い、斜め方向に走った。前に転び死んだ振り。クマの息吹が聞こえたが、去った。』山形県庁調書

 当時、私は山形県庁の担当者から話を聞いており、クマが男性の周りを歩いて様子を窺ったという。6月の交尾期の雄グマの行動で、「雌グマかどうか情報を集めるため」近寄ったと思われる。 

 山形営林署管内では、クマと遭遇したら「背を向けて逃げるな」と教育されているようで、例がいくつかある。

 死んだ振りをしたことで九死に一生を得たこの遭遇戦、クマと正対しつつ斜めに移動し、積極的に反撃せずに地面に倒れて静かになった男性に、クマが攻撃性を低下させたように見える。

 長年山仕事で足腰を鍛えた営林署員でも、山野で走れば、転ぶ。

死んだ振りをしている男性を恐れたクマ

(4)躊躇い型

 次の例は時間を追って想像してもらいたい。若いクマの攻撃生態を活写している最重要な例だ。死んだ振りをしている男性を恐れ、攻撃を躊躇っているようだ。

『84年6月2日、岩手県遠野市で山菜採りの男性(64)がクマに足を咬まれて転倒。クマは木に登り、痛がっている男性を見下ろした。男性が逃げるとクマは飛んできて男性を引っ掻いて、また木に登った。男性は困惑し、クマと根競べに入り40分、男性は堪らず逃げ出すと、クマは木から降りてきて男性を襲い、斜面を50m、転落、クマは逃げた。首など全身、11 箇所を咬まれて全治1ヵ月の重傷。』河北新報(1984・6・3)

《クマの強襲には柔らかく対応するべきだ》――米田

 女性被害者497人中、確実に鈍器を振ったのは16人だけで、多くはごく自然に地面に伏せるので「首をガードして顔を守る」方が現実的だ。

 山に不慣れな行楽客、都会人が、逃げた途端に不整地に足を取られて転び、恐怖で頭を両手で抱えるのは自然な心の動きと身体動作だ。

 ナタ、カマなどで反撃し、その後で「死んだ振り」に転じてもクマの攻撃性は継続することが多く、その結果重体、重傷など受傷程度を上げるのは不適だ。

攻撃されても死んだ振りをすることで…

 ・クマの一撃後に被害者が「死んだ振り」に転じた場合、クマは攻撃性を低下させている。

 ・クマは「強反撃には強襲」で反応してくる。

 ・クマは「静対応には力を弱める」習性がある。

 2008年9月17日、登山家の山野井泰史氏は東京都の奥多摩で子連れのクマに襲われ顔、腕に重傷を負った。流石に道を究めた人だけあってコメントが秀逸だ。

「生きているクマに触れられるなんて……貴重な体験をした」。同氏は『岳人』12月号で事故の詳細を語っている。最初にクマの吠え声がして、右腕を咬まれて引かれ倒され、次いで顔面を咬まれたそうだ。なにより私が興味を覚えるのは事故直後のこの発言だ。

『クマは鼻付近に食いついて放さなかった。これ以上抵抗するともぎ取られると思い抵抗をやめたら力が抜けたので脱出した』

 ここに被害軽減の極意があるように思える。同氏が最後まで頑強に抵抗していたらどうなっていただろう。もう一撃を受けていたら、より重体化したに違いない。

 同じ日、北海道中標津町で男性がヒグマに顔面粉砕されて死亡しているが、こちらは小さく報道されただけだった。

『クマに襲われたカナダ人女性、「死んだふり」で命拾い』ロイター(2010・7・29)

 米モンタナ州ギャラティンのキャンプ場で28日未明、男女3人が野生のクマに襲われたが、そのうちの1人は「死んだふり」をして命拾いした。デブ・フリールさん(58)はテント内で就寝中、痛みで目が覚め、『クマの歯が腕に食い込み、骨が折れて悲鳴を上げたらクマは、さらに歯を食い込ませてきた。それで死んだふりをして、筋肉をだらりとさせたらクマも力を抜いて、自分を離して去った』

闘うよりも現代の高度医療に頼るべき

 繰り返しになるが我々クマ研究家は、クマが攻撃してきたら「首を両手でカバーし、体を丸めて地面に固着することによって、重要器官を守れ」と提唱している。 頭頚部を守るために死んだ振りをするのは、現代のクマ研究者が勧めている「うつぶせ首ガード法」と同義なのだ。

 人間の体の前面は加害に弱く、攻撃は背で受けて凌しのぐべきだ。我々も怖く感じる大グマほど攻撃は短時間で終わり、悠々と森に隠れる。闘うよりも現代の高度医療に頼るべきだ。

《クマの攻撃性が低い状態で襲われたときは、首をガードして「死んだ振り」をした方が重傷化を防ぐ。山に慣れていない一般人には適した方法だ》――米田

「死んだ振りは致命的だ、ナタで闘え」とする発言は、昭和期の医療水準の低い山間僻地で行われた手法なのだ。

(米田 一彦)

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