「一言で言えば“イヤな奴”だった」法廷に立つオウム真理教・井上嘉浩が英雄気取りで評判が悪かったワケ

文春オンライン / 2021年1月2日 17時0分

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 1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、やがて教団の犯した事件に関与したとされる信者が次々と逮捕された。地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。 サリンを撒いた実行犯たちに死刑判決が下される中、いわば「現場指揮者」だった井上嘉浩にだけは、無期懲役が言い渡された。

 その判決公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『 私が見た21の死刑判決 』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の1回目。 後編 を読む)

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無期懲役の“イヤな奴”

 たとえ、どんなに礼儀正しく、反省・悔悟の情が十分であったとしても、地下鉄にサリンを撒いた犯人たちは、死刑だった。「自首」という特別の事情が働かなければ、林郁夫だって死刑だっただろう。3路線5方面のうち、丸ノ内線池袋方面往きを担当した横山真人も、やはり死刑だった。(横山の特別な事情については、あとで触れたい。)

 そんな中で、彼らに指示を与えていたとされる、いわば「現場指揮者」だった井上嘉浩にだけは、無期懲役が言い渡された。それこそ、井上は地下鉄にサリンが撒かれることが最初に話し合われた「リムジン謀議」と呼ばれる事件2日前の麻原のリムジン車内にいた人物だった。そこで井上は、麻原とも直接会話をしている。

 それから犯行までに、廣瀬や横山に地下鉄各駅の詳細図を提供し、林泰男らと連絡を取り合いながら、出撃アジトとなった渋谷のマンションを準備し、実行役と運転手のペアを伝えるなど、具体的な麻原の指示を伝えていた。犯行後は、渋谷アジトで実行グループの帰還を待っていた。

 いわば事件に積極的に関わっていった人物だった。

 なのに、彼は無期懲役だった。

 なぜか──。

 法廷で見た井上を一言で言えば、“イヤな奴”だった。

 それこそ、裁判のはじまった最初のうちは、16歳の高校生の頃から師事していた麻原彰晃を本名で呼んで「松本智津夫氏と対決する!」と息巻き、訣別と糾弾の姿勢を鮮明にしていた。その法廷での態度や姿勢も、当時の20代前半の痩身の容姿と相俟って、まるで映画の中で観た青年将校のようだったし、その証言の仕方も、『NHK青年の主張』のようにテキパキとした口調で熱弁を振るうものだった。

英雄気取り

 実際に、そんな井上の勧誘にほだされて、教団に入信していった信者も少なくなかったようだ。後に地下鉄にサリンを撒くことになる豊田の出家も、麻原に勧められたあとを受けて、井上が説得して実現したものだった。井上の背後に「オーラを見た」という信徒だっているくらいだ。

 一連の裁判でも、井上が地下鉄サリン事件について証言したのを受けて、麻原が「反対尋問をやめてくれ」と発言しだして、法廷を混乱させたことからも、その爆発力と、教団での地位を窺い知ることはできた。

 検察にとっても便利な存在で、傍聴席から見ていても、年相応に思えないほどに逞しく、痛快に思えたものだった。

 いわば、麻原退治と教団糾弾の急先鋒として、期待の星でもあった。

 ところが、そんな金メッキも、時間と場数を踏むにつれて剥げ落ちていく。

 どうやら、彼は、正義を振りかざす自分に酔っているだけではないのか──。

 どこか英雄気取りのかっこうをつけているのではないか──。

 そんな印象に変わっていった。

 地下鉄実行犯の態度と照らし合わせれば、それが浮き彫りになる。

 井上は、実行犯の法廷でも事件について証言する。しかし、それは当事者としての証言ではなく、事件を糾弾する第三者のような姿勢だった。首謀者の麻原を追い詰める法廷でなら、それでも良かったのかもしれない。ところが、実行犯たちは、口を揃えて井上が主導的に指示を伝え、時として強い口調で窘められたとも証言している。それを井上は否定し、自分は「現場指揮者」ではないと主張する。積極的になんて行動してない。言われたことを伝えただけ。教祖の指示に従っただけ。実際に犯行を犯したのは実行役。それを手伝っただけ。ぼくはやっていない。悪くない──。全てが天井から目線の、当事者意識に欠けている。そんなふうに聴こえてくると、「松本智津夫氏と対決する」という言葉といっしょであったはずの「反省」の文字が、とても空虚なものに見えてくるのだった。

明らかになる供述の矛盾

 そうしたことは、彼の捜査中の供述調書の変遷にも見てとれた。彼は、取り調べの最初のうちは、嘘を付いていた。それが、次第に本当のことを語って録取されるようになったが、それでも自分の関与を差し控えたり、誤魔化したり、誰かのせいにしていたのだ。それを証拠開示で知っているだけに、麻原をはじめとする共犯者の弁護人たちには、評判が悪かったのだ。

 そして、逃走していた林泰男が捕まって、裁きの場に出てくるようになると、事件の指示系統や内容に矛盾が生じるようになった。簡単にいえば、それまで林泰男が現場を束ねて具体的にこんなことを言った、こう考えてあんな指示を出した、と井上が主張していたものが、遅ればせながら登場した林泰男の証言によれば、それは井上本人が言ったものであることになるのだった。

 その一例をあげれば、送迎役の人選。車を用意して、実行犯を駅まで送り、ピックアップする。そのシステムを考え、人選をしていたのが林泰男だったと井上は主張する。ところが、林によれば具体的に3人の運転手候補の名前をあげて進言したのは井上だったということになる。都内のアジトへの集結、移動も井上の直接指示だったという林に対し、井上は林から相談を持ちかけられたからアジトとなる場所を提供したとする。そんなことが、次から次へと噴出したのだ。

「林泰男が逃走中で裏付けがとれないことをいいことに、嘘をついて自分の罪を押し付け、林泰男に不利な供述をしたのではないのか」

 林泰男の弁護人からは、そんな指摘まで井上に飛んでいた。

 いずれにしても、真実がひとつであるのなら、ふたりのうちのどちらかが嘘をついていることになる。

28歳と40歳の差

 どうして、同じ事件の証言なのにそんなに食い違うことがあるのか。

 林泰男の法廷に出廷した井上は、裁判長から直接尋ねられて、こう答えている。

「林さんも、いま、辛い時、苦しい立場におられるから、こうあって欲しいと思うところがあるのでは。ぼくも逮捕されて1年は、精神的に不安定だった。解脱、悟りを求めて教団に入ったのに、なんでや、なんでこうなるんや、と思う気持ちがあった。それが実行犯だったら、もっと辛い。だからどうしても他人に押し付けたい。林泰男さんを恨みはしてませんが、そういう辛い気持ちはわかる。伝わる。ぼくもそうだったし、いまも辛いです」

 それと同じことを、今度は井上の法廷に出廷した林泰男が、裁判長から訊かれている。責任を押し付けているというのは、井上被告のほうなのか、どうか。

 その時、林泰男はちょっと考えてから、こう答えている。

「うーん……そうですね。ただ、井上君が意図的というのではないんです。人の記憶ですから、ある程度それは仕方ないと思います」

 それは、自分が可愛いから自分に有利に話しているということか、と裁判長が念を押す。

「そういう面は、それぞれにあると思います」

 この時の井上の年齢は28歳。林泰男は40歳。その差ばかりが、こうした発言を呼んだとは、ぼくには思えなかった。

「泣きたい時に泣ける奴はいいよねぇ…」地下鉄サリン・井上嘉浩への被害者娘の“悲痛な叫び” へ続く

(青沼 陽一郎/文春新書)

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