“わたしとあなた二人キリ”血文字を残して逃走 淫奔で情熱の怪美人による“男性”持ち逃げ事件とは

文春オンライン / 2021年1月3日 17時0分

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事件は「開幕」からセンセーショナルに報じられた(東京朝日)

 昭和戦前の事件を眺めていて、他に抜きん出て後世の人々に強烈な印象を残し、伝説化している事件が2つある。鬼熊事件(大正から昭和に代わる直前だが)と、この阿部定事件だ。

 鬼熊は、その後も兇悪事件が起きると「○○の鬼熊」と言われることが続いた。「津山の三十人殺し」の都井睦雄も、ある新聞は「岡山の鬼熊」の見出しを付けた。阿部定も同様。似たような事件が起きると、必ず「第2、第3の阿部定」が出現した。

 2つの事件の何が人に強烈な記憶として刻み込ませるのか。男と女のドロドロした関係? 犯行の残虐さ? センセーショナルな報道? それらを総合した猟奇性? どれも当たっているが、それだけではない。

 何か、時代と共鳴して事件の当事者やメディアも想像しなかったような衝撃を長く社会に及ぼしたということだろう。いまも異様な光を放って人々を引き付ける、その正体は何なのか(今回も差別語、不快用語が登場する)。

残された血文字「定吉二人キリ」

「舊(旧)主人の惨死體(体)に 血文字を切刻んで 美人女中姿を消す 尾久紅燈(灯)街に怪奇殺人」=東京朝日(東朝)、「待合のグロ殺人 夜會(会)巻の年増美人 情痴の主人殺し」=東京日日(東日、現毎日)、「妖艶・夜會髷(まげ)の年増美人 血文字 『定吉二人キリ』」(読売)、「七日間流連(いつづけ)の揚句」(報知)、「男性を奪ひ(い)去る」=国民新聞(現東京新聞)、「爛(ただ)れた中年の情痴」=都新聞(同)、「謎を残して行方不明」(時事新報)……。

 1936年5月19日付の朝刊各紙はそろって社会面トップで派手に報じた。見出しで最も目立った用語は「グロ」「殺人」「美人」。後世に残る猟奇殺人の始まりだった。比較的分かりやすい東朝の記事を見よう。

左腕に「定」の一字が血をにじませながら

〈荒川区尾久町1881、尾久三業地内の待合で怪奇な殺人事件が発見された。同三業地の待合「まさき」こと正木しち方へ1週間前、夜会髷に結った31、2歳ぐらいの玄人らしい美人を連れ、50歳ぐらい、髪を五分刈り、面長のいなせな格好をした遊び人ふうの男が泊まり込み、18日まで流連し、その朝、女は外出したが、男がなかなか起きる気配がないので、不審を抱いた同家の女中、伊藤もと(33)が午後2時50分ごろ、裏2階4畳半の寝室をのぞいたところ、意外にも男は布団の中で惨殺されていた。死体は窓側西向きに仰臥し、細ひもをもって首を絞め、下腹部を刃物で切り取って殺害。布団の敷布には鮮血をもって二寸(約6センチ)角大の楷書で「定吉二人きり」としたため、さらに男の左太ももに「定吉二人」と書かれ、なお左腕に「定」の一字が血をにじませながら刃物で刻んであるほかに、便箋には「馬」と書かれているなど、猟奇に彩られる凄愴(せいそう)な情景だった。

駆けつけた警視庁、裁判所の係官一行もさすがにこのありさまに戦慄を感じ、近来の怪殺人事件として直ちに尾久署に捜査本部を設け、夜会髷の怪美人をこの惨殺犯人として各署に手配。大捜査を開始した結果、同夜深更に至り、被害者は中野区新井538、料理屋「吉田屋」こと石田吉蔵(42)で、犯人は同家の元女中、埼玉県入間郡坂戸町、田中かよこと阿部定(31)と当局は断定し、その行方を追及中である。同女は男の所持金を持って出ている。〉

 確かに極めて衝撃的で好奇心をそそる事件だろう。三業地とは芸者置屋と料理屋と待合の営業許可が出ている地区のこと。待合は芸者を呼んで飲食ができ、宿泊もできる店。夜会髷とは夜会巻ともいい、髪をねじり上げてクシで留めた女性の髪形。明治以降に流行した。「二人きり」はカタカナの「二人キリ」が正しかった。

「身体の一部」「例の紙包み」「肉片」「“男性”」各紙は定が「持ち去った物」をどう報じたのか

 問題の1つは定が切り取って持ち去った物を各紙が何と表記したかだ。東朝は記事にある通り「下腹部」だが、東日は「局所」、読売、報知、国民、都はそろって「急所」(国民は見出しは「男性」)。時事は「身体の一部」だった。

 各紙とも苦慮したようだが、石川県を本拠とする「北国新聞」は初報の5月20日付(19日発行)夕刊で主見出しが「待合の殺人 睾丸持ち逃げ」とモロ。続報の20日付朝刊では横見出しで「男根持ち逃げ殺人」とうたっている(本文中では「急所」「切断物」と表記)。いまではとても考えられない。逮捕時などには「例の紙包み」「例の物」「“切り取り物”」「肉片」「“男性”」も登場した。

 公判の裁判長を務めた細谷啓次郎の著書「どてら裁判」では、彼もその用語について検討し「局部という言葉を努めて使うことにしたが、これでもなんとなくしっくりしないと思ったが、しかし、事件に当てはまった適当な言葉が浮かばなかったので、仕方なくその言葉を使うようにした」と書いている。

「美人で様子のいいことから主人と変なうわさが立ち…」

 東日の「相ついで家出」という記事には

〈犯人さだは本年2月ごろ、吉田屋へ女中として住み込んだが、美人で様子のいいことから主人と変なうわさが立ち、二人は主人の妻女とくさんの目を盗んであいびきしていた。4月23日ごろ、さだは荷物をまとめて無断で家出し、その翌日、石田さんも金を懐中にブラリと飛び出し、そのまま便りもなかったが、1週間前、石田さんはひょっこり帰宅し、また家出したままになっていたものである。〉

 とある。この段階で各紙には、有名学校の校長である1人の地方の名士が登場していた。東朝は「中京商業校長を取調」の見出しで報じている。

〈凶行前夜の男女は夕食にビール2本を抜いて間もなく寝込んだようであったが、18日朝8時ごろ、きれいに化粧した女は「水菓子を買ってきます」と称し、待合で呼びつけの三業タクシー運転手・小林春綱の自動車で新宿へ向かい、伊勢丹横側の交差点で停車するや「ここでいいわ」と車から降り、にぎやかな新宿通りへ姿を消してしまった。同女がさる16日、神田区淡路町2ノ8、萬代屋旅館に宿泊中の名古屋市市会議員、中京商業学校長・大宮五郎(49)に手紙を差し出した事実が判明したので、同氏につきその間のいきさつを調べに急行したが、大宮氏は18日朝、外出したまま深更に至るも宿へ帰らず、捜査本部では旅館へ刑事を派して帰館を待ち構えていたが、大宮氏は19日午前1時、市内某所から尾久署に連行。参考人として取り調べられている。〉

「ただれた情痴生活」の行方

 大宮校長は、定が名古屋の小料理屋で働いていたときに知り合い、パトロンのような存在だった。名古屋の地元紙・新愛知(現中日新聞)は初報の19日付朝刊で「中商校長も登場 帝都に猟奇の怪事件!」の横見出しをとっている。女が男を殺したのだから、背景を探るのは当然だが、当初は大宮が事件に関連しているとみた新聞もあった。

 読売は「中京商業の校長と 凶行後、日本橋で密會(会)」の見出しで、定が事件後、「日本橋某所でかねてなじみの中京商業学校校長・大宮五郎氏と会って姿をくらましたことが分かった」と記述。

 報知は「冷たい秋風吹き 大宮校長へ鞍替(くらがえ)の肚(はら)」の見出しで「牛を馬に乗り換えようと、吉蔵氏を殺して大宮氏の懐に飛び込もうとしたものらしい」と書いている。

 これは後で誤報と分かる。実際は東朝が「爛(ただ)れた情痴生活」という別項記事に載せている「まさき」の伊藤もとの証言の方が事実だったようだ。「二人はやけるほど仲がよかった。時々女が胃けいれんを起こすと、男は夜っぴて介抱してやるというほどに睦まじかった」。

逃走中とは思えない優雅な行動

 逃走した定のその後の動きは刻々と捜査本部に入った。5月20日付読売夕刊の「怪美人を追ふ(う) 變(変)装、偽名して轉(転)々と 帝都内に潜伏の形跡」という見出しの記事を基にすると、それはこうだ。

18日朝、尾久三業自動車のハイヤーで待合「まさき」を出ると、新宿伊勢丹前交差点に至り、そこで車を乗り捨てると、それから円タクに乗り換え、午前9時半ごろ、かねて知り合いの下谷区上野町3ノ10、古着店「田中第三分店」こと小野真二方に現れ、「暖かくなりましたから、もうこれは着ていられないよ。何か格好のセルはありませんか」と、取り乱した様子もなく店内をしばらく見回していたが、望む品物がなかったので、銀色と白色の鱗(うろこ)模様のある薄ねずみ色の鶉お召(うずらおめし)の単衣(ひとえ)を5円で買い求め、着てきた角型浮織袷縮緬(あわせちりめん)の着物、薄ねずみ鶉縮緬の単衣(ひとえ)羽織を13円50銭で売り払い、奥の間で着替えして差し引き8円50銭を受け取った。

〈大事そうに所持してきた新聞包みと脱ぎ捨てた長じゅばんをその風呂敷に包み、これを抱えて同10時すぎ立ち去った。さだはその足で神田区淡路町の萬代旅館に中京商業学校長・大宮五郎氏を訪れ、午前10時ごろ、大宮校長と連れ立って外出した。大宮校長の申し立てによると、二人は須田町交差点の萬惣果実店の前まで歩きながら、定は「いろいろお世話になりました」と、別れの言葉らしいことを述べながら、日本橋の某そば屋に立ち寄り、ここで30分ほど話し合って別れ、それより同校長は全国商業学校校長会議に出掛けたと言っているが、実は(2人は)午前11時ごろ、豊島区西巣鴨2丁目、みどり屋旅館に立ち寄り、約1時間密談したのち、正午すぎどこかへ立ち去ったことが分かった。〉

「円タク」とは1円(2017年の価格に換算すると約2000円)均一のタクシーのこと。「セル(の着物)」はいまで言うウールの着物で、当時は春秋の季節の変わり目によく着られた。「鶉お召」は絞りの大きなちりめん(湯で縮ませた絹織物)で、明治末から大正時代に流行した。袷は裏地の付いた、単衣は裏地の付かない着物。当時の5円は2017年の価格に換算すると約1万円で、13円50銭、8円50銭はそれぞれ約2万7000円と約1万7000円。

 変装というより、着物を着慣れた女性が、5月後半という季節に合わせて着替えたとも思える。とても殺人を犯して逃走中とは思えない、堂々として優雅ささえ感じさせる行動だ。

「血文字の定」「妖美な悪の華」「淫奔で情熱の情痴的痴呆者」…過熱する報道

 20日付朝刊になると、定が18日午後、新橋の古着屋でまたセルの着物に着替えたことを各紙報じた。「大膽(胆)、再び變装して 風の如く消える」(東日見出し)、「まるで變幻・女役者」(時事見出し)…。定の一挙手一投足を事細かく伝え、東朝、東日、読売、国民、都は足どりを図解で載せる騒ぎに。東朝は「いずこに彷徨ふ(さまよう)? 妖婦“血文字の定”」の見出し。

〈警視庁捜査当局が全管下の警察はもとより、近県各地のおよそ犯人が立ち回るべき懸念のある温泉地はじめ、あらゆる筋へ水も漏らさぬ手配を発して厳探(厳重探索)を続けているにもかかわらず、依然検挙に至らず、しかも、その後判明してくる同女の逃走経路は巧みに網目を潜り、躍起の警察当局を尻目にかけ悠然たるものがあり、今後はたしていかなる方面へいかなる形でその姿を現すか、興味はますます加わるばかりであるが……〉

 どこか面白がっているようにも思える。「闇を漁る牝(めす)犬」(東日)、「妖美な悪の華」(読売)、「淫奔で情熱の情痴的痴呆者」(都)……。定を形容する語句も毒々しくなる一方。

 そして、ついにその時が来た。

「返してください」切り取った“男性”に執着し続け…妖艶な“情痴の女”はどのようにして生まれたのか へ続く

(小池 新)

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