「泣きたい時に泣ける奴はいいよねぇ…」地下鉄サリン・井上嘉浩への被害者娘の“悲痛な叫び”

文春オンライン / 2021年1月2日 17時0分

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「一言で言えば“イヤな奴”だった」法廷に立つオウム真理教・井上嘉浩が英雄気取りで評判が悪かったワケ から続く

 1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、やがて教団の犯した事件に関与したとされる信者が次々と逮捕された。地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。 サリンを撒いた実行犯たちに死刑判決が下される中、いわば「現場指揮者」だった井上嘉浩にだけは、無期懲役が言い渡された。

 その判決公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『 私が見た21の死刑判決 』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。 前編 を読む)

◆◆◆

井上の本性を見抜いた遺族

 もっとも、ぼくが感じたところの井上の本質を、もっと早くに、もっと鋭敏に見抜いていたのは、事件で家族の命を奪われた遺族だった。

 裁判も大詰めとなると、地下鉄サリン事件の遺族が、井上の法廷に証人としてやってきた。

 そして、あの日、起こったこと、家族との別れをどのような思いで迎えたのか、いま何を思うか、どんな処罰を望むのか、裁判官たちにその胸の内を吐露していく。

 その度に、被告人席から身を乗り出すように、証言台の遺族の横顔を見つめながら、その一言一言に頷き、時には目を閉じながら、あらん限りの深刻かつ神妙な表情で反省の態度を示していた。

 ところが、遺族たちは口々に、被告人からは反省の情が感じられないと言った。

 林郁夫の法廷での態度に、極刑を望まないとした遺族でさえ、井上には厳罰を望むと言った。

 どうやら、そのことが井上には理解できなかったようだった。

 あの林郁夫と同じように、麻原糾弾の先鋒として戦い、事案の究明に努めてきた。遺族の心情を慮って、教団の犯罪を追及してきたはずだった。それが教団の中枢にいた自分の償いのはずだった。それも、かつて多くの信徒が自分に賛同してくれたように、毅然とした姿勢で、熱意を込めて語ってきた。それなのに、なぜ自分の思いは伝わらないのか。どうして、わかってくれないのか。なぜ、自分の思うようにならないのか──。

 そんなあるとき、丸ノ内線で通勤途中の父親を奪われた、ちょうど井上と同世代の女性が法廷にやってきた。

「私は法律とか正義とかよくわからないんです。でも、大好きで、大好きで、その父がなくなった時のことを思い出すと、悔しくて、悔しくて、身体が震えて来ます」

「泣きたい時に泣ける奴はいいよねぇ…」

 彼女にとって特別だったのは、毎朝父親といっしょに家を出て、同じ通勤電車に乗っていたことだった。数年前に心臓を手術した父親の身体を案じて、途中までいっしょに通勤していたのだ。そして、あの日の朝も、いつものように途中駅で下車した彼女が、車窓越しに手を振って去っていく父親を見送ったのが、最後となった。

 井上はいつものように身を乗り出し、一言一言に頷いては、これ見よがしに大粒の涙を零して泣いてみせていた。その姿が、ぼくには、どこか気取っているように見えて仕方がなかった。

 そんな姿を横目で認めた彼女は、不意に冷めたように、井上と同じ涙を流すことをやめて言った。

「泣きたい時に泣ける奴はいいよねぇ……。泣きたい時に泣けないから、みんな苦しいんじゃない。あんたが高校の時に書いた詩に、『毎朝、満員電車に乗って行く、あんな疲れた顔のオヤジにはなりたくない』ってあったよね。あんたみたいに、泣きたい時に泣いて、言いたいこと言ってれば、あんな顔しなくたって済むんじゃないの?」

 そして、被告人への極刑を望むと明言して尋問を終えた──はず、だった。

 その彼女の言葉の中に、なにか感じるものがあったのだろう。訴訟指揮をとっていた裁判長が、こう切り出したのだ。まったく予想外のことだった。

被害者の娘の悲痛な叫び

「地下鉄サリン事件の裁判はどこでも進めていますが、みんな裁判官が違います。その度に事件について証言することは辛いと思いますが、あえて聞きます。最後に言い残したこと、被告人に言っておきたいことがあれば、言いなさい」

 まだ、地下鉄サリン事件で死刑判決が下る以前のことだった。井上を担当していた裁判長が、地下鉄サリン事件を審理するのも井上の公判だけだった。

 遺族の女性は、被告人に向かって話しても構わないか、裁判長に確認してから続けた。

「本当のこと言って、あなたのしていること(法廷証言で麻原を糾弾すること)、償い?   そうやって、償ってくれって言った?   『御免なさ~い。反省してま~す。裁判所の判断にしたがいま~す』。それって、今まで信じてたオウムを法律に入れ替えてるだけじゃないのかな。誰もあんたの心の中なんて読めないよ。人の心なんてわからないよ。でも死にたくはないよね、死にたくないよね?   私のお父さんだって、そうだったんだよ!」

 さらに泣きながら続ける。

「高校の時に凄いこと考えてるよね。世の中は荒廃している?   立派だよね。私なんて考えてもみなかったよ。思い付きもしなかったよ。自由がなくて、理想がなくて、人類に愛がなくなった?   うちは普通の家庭だったんだよ!   理想なんてなくたって、幸せだったんだよ!」

 井上はこの言葉を聞きながら、泣いてみせ、「おっしゃる通りです」「謝罪にもならないし、反省にもならない」「おっしゃる通りです」などと声をかけていた。「じゃあ、どうすんの?」と、彼女も負けじと言い返す。そこへ裁判長が割って入る。

「被告人には言いたいことがいっぱいあります。今日は証人として発言を許しています。他に言いたいことがあれば、いいなさい」

まるでドラマのような演出

 そこで彼女は黙り、しばらく考える。

 それでもモゾモゾと“きれいごと”を囁く井上に、突如、彼女が怒鳴った。

「うっとうしいから呼び掛けないでくれる!」

 その一言に、井上は面食らっていた。そして、呆気にとられて黙った井上を尻目に、

「もう、これでいいです」

 とだけ裁判長に告げた。

「それでは、証人は傍聴席にいてください」

 通常であれば、尋問終了と同時に証人を解放するのだが、この時の裁判長は、遺族に傍聴席に留まるように告げたのだ。その上で、「被告人は前に出なさい」と証言台に呼び寄せた。

「ここで被告人質問の形を取ります。正式な質問ではないが、言いたいことがあれば、言いなさい。弁護人と相談してと言うなら、後でもいいが、言いたいことを言える機会を与えます!」

 まるでドラマを見ているような演出だった。そこに証人に自分の言ったことに対する被告人の意見を聞かせたいという意思と、この現実を被告人がどう受け止めるのか確認したいという心根が見てとれた。

 だが、遺族に裸にされた本性から繰り出される井上の言葉は、空虚に法廷を漂うばかりで、いつもの勢いのように響くことはなかった。

(青沼 陽一郎/文春新書)

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