「経済を回すと『家庭内感染』は避けられないのでは?」三浦瑠麗氏に聞いた現実的コロナ対策「6つの疑問」

文春オンライン / 2021年1月18日 9時0分

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撮影/石川啓次 Ⓒ文藝春秋

三浦瑠麗氏緊急提言「保育園を止めるな!」自粛要請ばかりの政治家が理解していない“現実的コロナ対策” から続く

 新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づき、東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県が緊急事態宣言の適用期間に入ってから17日で10日が経った。政府は13日に、緊急事態宣言の対象地域を栃木県、岐阜県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、福岡県に拡大したが、各都県では繁華街の人出に目立った減少はなく、医療提供体制の逼迫は続いている。果たして日本はコロナとどう向き合っていくべきなのか。国際政治学者の三浦瑠麗氏に改めて聞いた。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

Q4.政府と地方自治体の連携がうまくいっていないのはなぜでしょうか?

  全体の方針は国が決定し、舵を切る。そして地方自治体にはその実行を任せるべきです。どういう地域に高齢者がどのくらい住んでいるかなど、地方の実情は各自治体が一番よく分かっているからです。

 ただ正直、現在の各都道府県知事の「ポピュリズム偏重」の政策決定には失望しています。もともと私は地方分権論者でしたが、ここへきて自分の考えを一部改めざるを得なくなりました。新型インフルエンザ特措法は、今までの法律と比べて都道府県知事に強い権限を持たせています。ところが結局、彼らは一番重要な医療体制の拡充にリーダーシップを発揮できなかった。確かに中央政府の無能さも目につきます。しかし知事たちは直接選挙で選ばれることもあり、中央政府にもまして選挙民の圧力に弱い。今回、そうした構造が明らかになったと言えるでしょう。

 たとえば、大阪府知事と兵庫県知事の間での競争に加え、最近では和歌山県知事と大阪府知事も反発しあっている。さらには、今回の緊急事態宣言に関しても小池都知事が主導して、埼玉県の大野知事が同調、その後に慌てて神奈川と千葉が続くという話でした。これは、それぞれの県の実情に合わせて判断したというよりも、ほぼ政治的な動きだったとしか言いようがありません。こうした不必要な政治と人気取りが先にたってしまい、合理的な解決策を考えられず、医療体制の拡充もできないのであれば、「知事に任せる」ということ自体が非現実的です。

「和歌山モデル」は東京や大阪では不可能

 さらに言えば、知事たちは会見を利用しすぎです。例えば小池都知事は記者会見をしてステイホームを呼びかけることで注目を浴びていますけれども、同じだけの情熱で医療体制の拡充に取り組んでこなかったことは明らかです。知事が会見を開けば、メディアも集まりますし、テレビでも放映されて存在感を発揮できますが、そこにいる記者たちは鋭い質問も投げかけないのですから、そんなに頻繁に会見を開く必要があるとも思えません。

 国は国で、縦割り行政の弊害で、感染症を管轄する厚生労働省と経済政策を管轄する経済産業省では連携が取れず、全体像を見ることができていません。省庁横断で物事を考えられていなかったり、都道府県とも連携できていない。完全なクラスター追跡を通じて全ての濃厚接触者にPCR検査をし、軽症者も全て隔離し経過観察をするという「和歌山モデル」が話題になったこともありましたが、それは人口密度の低い和歌山県だからこそできることであって、人口密集地域の東京や大阪では不可能です。これを私は「偽りの解」と呼んでいます。ところが「偽りの解」が東京や大阪にも適用できるかのような印象が広がり、ゼロリスクを求める声が勢いづいてしまい、保健所が疲弊しているわけです。

Q5.コロナに関して「罰則」をつくるのは正しい政策なのでしょうか?

  政府が、新型コロナウイルスに感染した患者が入院・療養先から逃げ出した場合に刑事罰を科すことなどを盛り込んだ感染症法の改正案を通常国会に提出する見通しのようです。

  今の罰則規定の議論の問題は、病院から抜け出したり、入院を拒否したり、静養先のホテルを抜け出したりした人は「けしからん」という議論ばかりが先行していること。このような弱毒性のウイルスに対してひとたび重い罰則を適用すれば、日本における罪刑のバランスが崩れ、感染症に際してはどれほど人権侵害をしてもよいということになってしまいます。それに、人々はかえって熱があることを隠し、検査を受けなくなるでしょう。

 そして、物事の軽重から言えば、そのような懲罰感情より優先すべきことがある。そもそも国民の払っている税金と保険料によって保険診療が成り立っているという点です。病院が勧告を受けてもコロナ患者の診療を拒否した場合には、保険診療自体を停止するというような罰則があってしかるべきだという議論が欠けていますね。 

玉木雄一郎氏の刑事罰に関する主張はそもそもの解釈が間違っている

 病院側は「今は経営が苦しいから、患者の受け入れを拒否できる」のに、なぜ私人が静養先から抜け出した時にだけ、罰則を与えられなければならないのでしょうか。病院にきちんと赤字補填の保証をしたうえで、資源配分の適正化を図るべきです。 

 刑事罰については国民民主党の玉木雄一郎代表が「既に特措法の中に刑事罰はあるんだ」と主張していますが、そもそもの解釈が間違っています。従来の特措法における刑事罰というのは、それこそエボラのような猛威を振るう感染症が拡大し、物資難に陥って国全体が騒乱状態に陥っているところ、例えばヤクザ集団による違法な買い占めが行われ、高額転売の闇市が跋扈したような場合が想定されている。それでさえ、実態を見極め勧告したうえでの懲罰です。家族が心配で会いに行ってしまった、というような個人の行動に懲役を課す発想とはわけが違う。

 日本の法律は私権制限に非常に敏感です。なぜなら、戦争の反省から国家が権力を乱用しないようにすべきだという考え方が根底にあり、国家の都合によって私権を制限することが日本では危険視されてきたからです。

  これだけ市中感染が広まっており、弱毒性の病気にそんな厳罰を科すことが物事の軽重の判断として正しいのかということですよね。

Q6.一方で、経済を回すことを重視すると、現役世代が外からウイルスを家庭に持ち込む「家庭内感染」のリスクは避けられないのでは?

  家庭内感染に関しては、そのリスクをアナウンスしたうえで個々人の判断に任せるべきだと思います。高齢者が絶対に感染したくないからもう同居もやめたいということであればやめればいいですし、同居はするけど外食を諦めるなどして、なるべく感染リスクは減らしたいということであれば、そうすればいいのです。そして、コロナ禍でも音楽を聴きに行ったり、孫と会ったりして自由に生きたいと思えば、自由に生きればいい。これは我々が生きる意味というものに関わっている。コロナ禍によっていかに生きるかを支配されるべきではありません。マスクとソーシャルディスタンスは気を付けて生活したらいいと思いますが、それでも生活スタイルを選ぶことはできる。

「日常を淡々と過ごしていることが大事」

  いずれにせよ、そこは刑罰を科すところではなく、個々人の自己決定権を尊重すべきだと思います。働く世代からすれば、こちらも生きていかないといけない。仮に同居する親に「一切外に出るな」と言われても、「でも、私も働かないと生きていけない」と言うしかない。それは個々人の家庭の問題なので、そこに法律が立ち入らなくていいと思います。

 コロナ禍によって今、私たち自身の生き方が試されています。私もInstagramで写真を上げると叩かれたりしますが、なぜ発信するかといえば、「日常を淡々と過ごしている」ことが大事だと思っているからです。日ごろから感染しないように気を付けるなどということは当たり前です。コロナ禍によって、必要以上に、精神まで萎縮しないこと。人にとやかく言われないことよりも大事なことがあります。どうやって「日常」を守っていくか。これは政府や地方自治体に任せるべき問題ではないのです。

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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