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ホテルには“下着にタイツ姿”の30代女性が… 中国人妻の故郷を訪ねた男性の“悪夢の始まり”

文春オンライン / 2021年2月4日 17時0分

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©iStock.com

「家族の中で私だけがハズレなのです」 中国人“毒婦”が経験した貧困の実態とは から続く

 2006年、“中国人妻の夫殺人未遂事件”が世間を騒がせた。お見合いツアーを経て結婚した中国人妻の鈴木詩織と、親子ほども年の離れた夫、鈴木茂。その詩織がインスリン製剤を大量投与するなどして、茂が植物状態に陥ったのだ。夫の目を盗んで性風俗で働いていたことや、1000万円で整形した等との噂も影響して、センセーショナルな報道が相次いだ。そんな中、事件記者として取材を進めていた、田村建雄氏は、獄中の詩織から300ページに及ぶ手記を託される。取材の様子を『 中国人「毒婦」の告白 』から抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。 前編 を読む)

◆◆◆

悪夢のはじまり

 不思議なことに帰りの道は、相変わらずの砂塵の道にもかかわらず、一度来た道ということもあってか、方正県の高速道に出るまでさほど労苦には思わなかった。それでも、やはり2時間ほどはかかった。

「田村先生、いま午後6時少し前ですから、ここまでくれば、何さんが待っている五常には午後8時ぐらいに着けると思いますよ」

 馬は晴れやかな顔でそういう。

 五常はハルピンから約100キロほど南東にある人口100万人ほどの市だ。行政的にはハルピン市の行政管轄に入る。詩織の義兄の何はそこで待っているという。

 車は、方正で一度、高速道路に乗ったが、20キロほど走ると一般道へ降りた。馬が説明する。

「地図で見ると、この道を斜め南西にいくと、そこが五常です。高速道でハルピンに戻り、それから南に五常までいくより時間は半分ですむ筈ですよ」

 しかし、これが悪夢のはじまりだった。

 地図では、ごくごく普通の一般道とみられたが、走り出してみると、方正から林口県の鳥羽口に行くよりも数十倍ひどい、すさまじい道路だった。なにがひどいかというと、確かに道路の幅員は4~5メートルあり、しかも簡易舗装してある。だが、その簡易舗装が剝がれ、放置されたままなので、直径15センチ、深さ7、8センチほどの穴がいたるところに口を開けているのだ。下手に落輪すると、タイヤが穴の鋭角な部分に引っかかりパンクする恐れすらある。従って、ゆっくりじっくり進むしかない。運転手が唸る。

 そうはいっても、この穴は一時的部分的なもので、少し走ればなくなるだろうと私たちは考えた。だが、これがなくならない。

強盗にあわなかっただけでも幸運だと思え

 高速道路を降り街中をすぎたあたりから始まり、延々とどこまでも続いている。私も馬も、そして運転手も最初のうちこそ「ひどい道路だね。でもダイエットにはいいかもしれない」と冗談を言っていたが、もしかしたら五常まで200キロの道路が、すべてこの状態ではないかと疑い始めた頃には、すでに引き返すには遅すぎ、誰もが声を失っていた。

 私は、後部座席の上にある手すりに摑まり、尻に伝わってくる激しい振動と闘いながら、車酔いしないよう必死に耐えるしかなかった。

 地元の人は、こうした道路事情をよく知っているのだろう。擦れ違う車といえば、工事用トラック、短距離移動のバイク、さらには農業用の小ぶりのトラクターのみで、およそ一般の運搬用トラックや乗用車は皆無。多分、急がば回れで、多くの一般車両は高速道路を走っているのだろう。

 北京、上海、そしてハルピンでも、大都会では次々と近代的な高層ビルが立つ。高速道路網の発達も日本に比べても目を見張らせるものがある。それもこれも全て北京オリンピック、上海万博を目指したものだ。一方で、この黒龍江省の一般生活道路のように、何年も修復されないまま放置され、住民に苦渋を強いているものもたくさんある。私は、これこそが、経済沸騰・中国の現実であり、矛盾や格差の象徴ではないかと思った。

 なにしろ、外国人観光客の通訳兼案内を生業とし、あちこち飛び廻っている馬ですら、「こんなひどい状態とは知らなかった」と漏らすほどなのだ。

 しかも、林を抜け峠を越えてくねくねと続くワイルド道路には、夜が更けるに従い霧まで湧き出し、数メートル先すら見えなくなってしまった。

 かくして、午後8時前後到着予定の五常市街に入ったのは、深夜11時近くになっていた。やっと着いたという安堵感もあり車窓を大きく開け放つと、香辛料の香りと埃がないまぜになったひんやりとした空気が鼻腔を突く。

 後に、この体験談を北京にいた中川に話すと、彼には「そんな車も人家も少ない山の中を走って、よく強盗にあわなかった。それだけでも幸運だと思え」と笑われたものだ。

詩織の義兄

 私も馬も運転手も、口を利くのも億劫なほど疲れきっていた。

 それでも、仕事を終えてからこの時間まで待ち続けていた義兄がいる。なにはともあれ彼に会わなければならない。ホテルへのチェックインは後まわしにし、とりあえず約束の場所に向かった。

 指定した街角にいた義兄は、私たちの車を認めると走って近づいてきた。短髪で目がギョロリとし、身長が180センチはゆうにあるガッシリとした体軀の男性だった。年齢を聞くと42歳だという。しかし、その顔に刻まれた年齢のわりには深い無数のしわが、彼が中国社会で置かれてきた立場を如実に物語っていた。

 固い握手をする。

 義兄を同乗させ、荷物を一度、ホテルに預けることにする。馬が、車の中から携帯で「遅くなる」と連絡をしていたが、市役所そばにあるこの100万都市最大のホテル「五常賓館」は、すでに建物全体の灯りを落とし暗闇の中に溶け込んでいた。

 真っ暗な玄関ドアをそっと押してみると、突然、すっと開いた。薄明かりひとつの玄関ロビーに入ると、誰もいないと思われた暗闇から突然、中国語の声がした。ギョッとして声の方角を見ると、ゴミのように置いてあった毛布の中から守衛と思われる男が顔だけ出している。男は、私たちをジロジロ眺めまわし賊でないと確認すると、何かを馬に話しかけた。

「タイツ女」のすごみ

 どうやら、客室係は4階にいるらしい。

 教えられた4階の部屋のドアを馬が叩くと、眠そうな顔をした30歳代のタイツ姿の女性が鍵束をジャラジャラさせながら出てきた。明らかに寝巻きではなく下着姿だ。とはいえ、愛らしさや色っぽさは微塵も感じられない。むしろ、中国女性の「すごみ」だけが迫ってくる。私だけではなく、馬もア然としているようだが「タイツ女」は、そんなことを一向に気にする風もなく私たちを部屋に案内した。

 荷物を納め、馬が「タイツ女」にこう聞いた。

「私たちは、これから1時間ぐらい食事と仕事の打ち合わせで外に出る。戻ったらまた鍵をあけてくれるのか」

 このホテルはキーを客に預けず、客の要望で部屋の開け閉めをするスタイルなのだ。「タイツ女」は少し迷惑そうな顔はしたものの仕方なさそうに「OK」と答えた。

 車で街中に出た。

義兄だと噓をついているのか

 私は、この時間だから開いている店ならどこでもいいと言った。すると義兄がこう反論する。

「田村先生とは、いろいろ複雑な話もしなければならないし、お金のやりとりもある。だから個室を探さねばならない。つい先日も、普通の酒場で金のやりとりをしていた人たちが店を出てからまもなく強盗にやられた。だから個室を探す」

 9月の五常市は、昼間は暑いが夜中は少し肌寒い。あと1ヶ月もすれば夜は零度近くまで冷え込むという。

 やっと、いわゆる郷土料理店らしきところに個室が見つかった。私は詩織から預かってきたお金を義兄に渡さなければならないが、現れた彼を、まだ完全に義兄と認定したわけではない。

 だから、こう切り出した。

「疑うわけではないが義兄の何さんだという証明が欲しい」

 すると何は、自分の身分証明書らしきものと詩織からの手紙を見せた。私はとりあえず、成田空港で購入した子どもたちへのお土産、寿司形の消しゴムを渡す。何はにっこりして「シェーシェー」と私の手を強く握った。

 そこで私は尋ねた。

「子どもたちとは明日にでも会えるか」

 すると何は、馬に何事かを懸命に説明し始めた。その間、私と運転手は、日本の肉じゃがのような、芋を煮付けた、この地方独特だという田舎料理をがつがつと食っていた。なにしろ悪路に悩まされ時間に追われて昼食も食べていなかったのだ。

 馬が話を聞き終えて、私に説明する。

 詩織の子どもたちも義兄の何の子どもたちも、この五常市には住んでいないので、会うことは出来ない、という。

 義兄と連絡が取れさえすれば、詩織の子どもたちと直ぐ会えると考えていた私は、一寸啞然とした。

「エー、どうして?何故あなたは子どもたちと一緒ではないのか?義兄だと噓をついているのか」

(田村 建雄)

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