「私は子どもをつくれないけど…」黙秘を続けていたオウム真理教・中川智正が最後に口を開いた理由

文春オンライン / 2021年2月20日 17時0分

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「オウムのサリンを作った男」公判で見えた殺人犯に絶対的に“欠けているモノ”の正体 から続く

 1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、やがて教団の犯した事件に関与したとされる信者が次々と逮捕された。

 そして開かれた裁判。サリンを撒いた実行犯たちに死刑判決が下される中、土谷正実と一緒にサリンを作った中川智正は「黙秘」を続けていた。

 その判決公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『 私が見た21の死刑判決 』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。 前編 を読む)

◆◆◆

 土谷正実を補助するように、いっしょにサリンを作った共犯者に、中川智正という人物がいた。

 彼は京都府立医科大学を出た医者だった。

 在学中に自室でいわゆる“神秘体験”をする。その時に「この為にお前は生まれてきたんだ」という教祖の声を聞いて(と、本人は法廷で語っている)教団に入信。出家後はわずか2カ月で坂本弁護士一家殺害事件の実行メンバーに選抜されている。事件では、妻の都子さんの首を絞めて殺害。1歳2カ月だった長男の龍彦ちゃんの鼻腔を塞いで窒息死させている。

 その後は、サリン製造はもとより、松本サリン事件では現場に向かい、VXによる殺人事件や、信徒殺害、目黒公証役場事務長監禁致死事件などに関わり、多くの人の命を奪ってきた。起訴された事件からすれば、死刑は避けては通れないところだった。

 その中川は、裁判に臨んで事件の事実関係について証言することをずっと拒んでいた。教祖はもとより、誰の公判に呼び出されても、一切を黙秘して語ろうとはしなかった。

 ただ、いっしょにサリン生成中に事故で死にかけた土谷正実とは仲がよかったらしく、互いの法廷に証人として呼び出されていくと、満面の笑みで無言のうちに再会を喜んでいた。でも、ふたりは事件について一切を語らなかった。

 太っていて、いつも飄々とした態度でいた中川の法廷に、あるときひとりの弁護士が証人として出廷した。名前を滝本太郎といった。滝本弁護士は、当初、坂本弁護士から、いっしょにオウム問題に取り組まないかと誘われていたが、これを断っていた。ところが、坂本弁護士一家が忽然と姿を消してしまった日を境に、オウム問題に積極的に関わるようになる。全ては、一家の救出が目的だった。それを敵対行為とした教団では、滝本弁護士の暗殺を計画。教団を相手にした訴訟で甲府地裁を訪れた滝本弁護士の車にサリンを滴下し、交通事故を装って殺害しようとしたのだった。幸い体調が悪くなっただけで一命を取り留めたが、この暗殺未遂事件も立件され、その実行グループに、やはり中川がいた。その被害者として、法廷に呼び出されたのだった。

「裁判所にも聞いて欲しいことがあるんですが」

 検察官の質問に答えていく滝本弁護士。事件当日のことを淡々飄々と語り、中川の弁護人による反対尋問もまた、当日の行動と症状の確認程度で済んでしまった。裁判官、裁判長においては、何の確認も質問もないまま、尋問が終了しようとした、その時だった。

 裁判長の「じゃ、ご苦労さまでした……」と退廷を促す言葉を遮るように、慌てて滝本弁護士が言った。

「あ、あの!   被害感情は聞かないんですか!?」

 一瞬にして傍聴席からドッと笑いが起きた。サリンを外気取り入れ口から滴下されていたとはいえ、その車で甲府地裁をあとにすると、長野県内の別荘地を物色してまわり、それから神奈川県の自宅に戻っている。視界が暗くなるというサリンの中毒症状は出ているものの、あまりに元気だったものだから、サリンを被曝して殺されかけた被害者だということを、法廷中の誰もが忘れていた。

「裁判所にも聞いて欲しいことがあるんですが」

 さっきまでの飄々とした受け答えとはうって変わって、焦って懇願するような態度だった。

 それを見て、証言を引き取ったのは、中川の弁護人だった。中川の背後から立ち上がって、「それじゃあ、どうぞ」と、反対尋問の延長として促したのだ。

 滝本弁護士は、それからおもむろにズボンのポケットから、書いてきたものを取り出すと、それを証言台の前に開いておいて、静かに語りはじめた。

「結論から言うと、中川智正被告について、厳正な処罰を望みます。しかし、死刑にはしないよう、強く望みます」

 急にその雰囲気にのまれて、法廷が水を打ったように静かになった。

 それから「顔を合わせるのは今日がはじめて」と言った中川被告の顔を、時折じっと見つめながら、話しかけるように続けた。

「あなたの手を見せてください」

「中川被告は、極悪非道の行為をした。あなたは多くの人を殺した。多くの人を苦しませた。松本サリン、地下鉄サリンで殺された人、ひとりひとりの人生があった。あなたは、その命を奪った。多くの人を苦しめてきた」

 そして、言った。

「あなたの手を見せてください」

 中川は、照れ隠しなのか、いったん自分の目で確認してから、少しおどけたように両掌を身体の前に構えてみせる。

 それを見て、滝本弁護士が続ける。

「あなたは、その手で多くの犯罪を犯した。その手で、坂本龍彦君を殺した。その手で、鼻を塞いで殺した……。

 あなたは、私の友人、坂本堤を殺した。ああも簡単に殺した……。

 都子さんを殺した。龍彦君を殺した。サリンまで作った。

 私は、中川智正を許しません。もし、来世があるなら、あなたの来世でも、そのまた来世でも、許さない。それでも、君を死刑にしたいとは思わない」

 そこから、教団におけるマインドコントロールについて触れ、その理由を述べる。死刑になるのは、教祖ひとりで十分だと言った。そして、

「自分と私のことを考えて、メッセージにしてください。あなたはそれをしていない。それをしてから謝罪の資格がある。形だけの謝罪なんていらない。見せかけだけの謝罪なんていらない」

 それから、急に優しい口調になって囁く。

「あなたのことは、89年11月(坂本事件)から、ずっと気にかけていました」

 そして、裁判長に向き直って、毅然と言った。

「以上のことから、中川智正には厳正な処罰を望みます。ですが、たとえ本人が望んだとしても、死刑にはしないよう強く望みます」

 中川はぐっと顎を引いたまま、真っ赤な顔になっていた。身の置きどころを失っていた。

語り始める中川

 それからしばらくは、淡々と裁判が進んでいた。相変わらず、事件については何も語ることがなかった。

 そうして、初公判から4年、滝本証言から約2年の歳月が過ぎた時だった。

 この頃になると、地下鉄サリン事件や坂本事件の実行犯に、相次いで死刑が求刑されるようになった。中川にとっての“法友”の死が現実のものとなって迫ってきていた。

 延々と続いていた中川の裁判も、検察側立証が終了し、弁護側の立証に入った。

 すると、その日を境に、弁護人の質問に答えて、それまで口を割らなかった事件についての真相を、中川が語りはじめたのだった。

「どうせ死刑だとあって、なげやりになっていたはずのあなたが、どうしていまここで事実関係を話そうというつもりになったのですか」

 弁護人がそう尋ねると、中川は「とりとめもない話です」と前置きしてから、こう語りはじめたのだった。

「ひとつには、いまでも死刑になると思っているし、それは変わりありません。そういう意味の責任から逃れる気もありません。──責任という言葉を使ってしまいましたが、それで責任がとれるとも思ってません。私が死刑になった、だからといって何か変わるかといったら、何も変わらない。御遺族、被害者、何も変わらない。関係のないところで、私が死んでいくだけのことです。プラスになることでもなければ、私が死んでも、償いになることでないことが、少しずつわかってきた。やはり大きな事件だったんだなと、徐々にわかってきたんです。世界の歴史に残る汚点となることをしたんだなと、わかってきた……」

「親戚が増えたんです」

 そこへ、家族や友人から、きちんと話したほうがいいというアドバイス、あるいは法廷で証言する最後の機会がこの時であるという進言を弁護人から受けたことがあった、と言った。

「それと……、私事ではあるんですが、実は最近、親戚が増えたんです」

 それは、どういうことなのか、と尋問が及ぶ。すると、

「……私は子どもをつくれないけど、身内に子どもを生んだ者がいるんです。その子は私が何をしたかを知らない。おそらく一生会うことはないでしょう。むしろ会わない方がいい……。だけど、何十年か経って、身内の私のことを考えて、『この人はいったい何を考えてこんなことをしたのかな?』と理解されないのでは、残念な気がしたんです。言っていること、わかってもらえます?」

 わかる、と弁護人が言う。

「自分は死刑になるとわかってて、人間の世界が終われば、別の世界に転生すればいいと思ってた。でも、私が居る居ないに関係なく、この世界は増えて、続いていくんだな、きちんとしないといけないな、そう思ったんです。あと、麻原氏の念というか、想念を強く感じることが一時あったが、それがなくなった」

 中川の心変わり。幼い命を殺め、新しい命の誕生に新しい何かを感じた時──。

 もっと早くに気付いていれば──。

 命を狙われた被害者が、彼に伝えたかったことも、それだったのかもしれなかった。

 全てを語り尽した中川に残されていたものは、やはり極刑の選択以外になかった。

(青沼 陽一郎/文春新書)

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