養老孟司が語る「コロナの壁」とは? パンデミックで暴かれた“日本的空気”の問題点

文春オンライン / 2021年2月26日 18時0分

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養老孟司氏(解剖学者) ©文藝春秋

「私は政治とか社会の問題は、不確かな“変数”が多くて複雑すぎるから、あまり語りたくないんですが、それでもコロナのおかげで、『国家とは何だろう』ということを少しは考えるようになりました」

 そう語るのは、解剖学者の養老孟司氏(83)だ。著書『バカの壁』(2003年)において、「自分が知りたくない情報を自ら遮断」してしまう人々との間のコミュニケーション不全を指摘した養老氏の目に、新型コロナウィルスという未知の「壁」を前にした今の日本人の姿はどう映っているのだろうか。

漠然とした「空気」で動いているように見える

  この間の日本政府の対応について、養老氏はこう述べる。

「政府のコロナ対策は、あまりうまくいっているとはいえません。『Go To キャンペーン』をめぐる対応にしても、『緊急事態宣言の発出』にしても、後手後手で徹底し切れていませんね」

 感染症対策は本来、軍事や経済と同じで「ああすれば、こうなる」という「予測と統御」の原理に基づいてなされるべき、と養老氏は語る。例えば「人と人との接触をこれだけ減らせば、2週間後にはこうなる」というのは、まさに「予測と統御」に基づく発想といえよう。

「ところが、政府は案外、そういう『予測と統御』の原理では動いていない。もうちょっと漠然とした『空気』で動いているように見える」

 とりわけ養老氏が「一番気になった」のは、政府の「お金の出し方」だという。

「(国家には)色んな定義があるのでしょうが、国民が必要なときに必要なものを提供する、それが国家だろうと思うんです」

 昨年の緊急事態宣言の頃は「休業補償」のないままの自粛要請がまかり通り、全国民への一律10万円給付までにも紆余曲折があったのは周知の通り。ところが、その後はむしろ「大盤振る舞い」で、昨年12月には今年度3回目、総額73兆円超のコロナ経済対策が閣議決定された。

「自粛警察」「不要不急」のおかしさ

「“裏付けのないお金”を出して赤字予算をくんだわけです。振り返ってみると、これまでに出した金額を、昨年の緊急事態宣言の時点で思い切って入れて、しっかり補償して休業してもらえば、もう少しいい方向に行っていたんじゃないかな、という気もします。

 もちろん結果論であることは重々承知していますが、それでも、司馬遼太郎さんが旧日本軍の悪弊として指摘した『戦力の逐次投入』という言葉をどうしても連想してしまう」

 さらに、時代を経ても変わらない「日本的な空気」があるとして、こう指摘する。

「『自粛警察』とか『不要不急』という言葉が使われています。『自粛警察』は、やっぱり戦時中と似通った雰囲気を感じましたね。自分で判断するから『自粛』なのに、それを周囲の空気に半ば強制されるというのは、不思議な話です。『不要不急』なんて言葉もそうです。何が『要』で何が『急』なのか、いったい誰が決めるのか」

 新型コロナウィルスのパンデミックは、現代社会が「行き着くところまで行った必然の帰結だった」と語る養老氏。「コロナの壁」が明らかにしたものは、日本人と日本社会の偽らざる姿だったのかもしれない。はたして、この壁を乗り越える方法は、あるのだろうか。

 新型コロナウィルスと日本人、解剖学者の目で見た新型コロナウィルスの「本質」や、コロナ後の世界の見通しなどについても語った養老孟司氏の「 『コロナの壁』を乗り越えよ 」全文は、「文藝春秋」3月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。

(伊藤 秀倫/文藝春秋 2021年3月号)

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