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Kōki,の炎上に怒り心頭の工藤静香が、それでも“プロデューサー”として敏腕な理由

文春オンライン / 2021年4月9日 17時0分

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koki, ヴァレンティノの日本公式ツイッターより

 木村拓哉(48)と工藤静香(50)の次女でモデルのKōki,(18)が、大炎上騒動に巻き込まれた。イタリアの高級ブランド・ヴァレンティノのウェブCMで、ヒールを履いたまま日本の伝統的な着物の帯の上を歩いたというものだ。思わぬ炎上に、デビュー以来Kōki,のプロデュースを手掛ける工藤の怒りはマックスに達しているという。

 問題のウェブCMは、ヴァレンティノの2021春夏コレクション「ヴァレンティノ コレツオーネ ミラノ」にKōki,がキャンペーンモデルとして登場したもの。雅楽のような音楽をバックに、白いミニドレス姿で美脚を大胆に露出したKōki,が、ヒールのままで着物の帯のような布の上を歩いた。

 これがSNS上で炎上。「日本の文化に対して敬意がない」、「なぜ止められなかったのか」、「事前にまずいと分かっていたはず」と批判が殺到。本来ならCMの制作チームに向かうはずの批判が、モデルを務めただけのKōki,にも及んだ。

制作チームとKōki,の意志疎通が失敗?

 批判を受けたヴァレンティノジャパンはすぐに動画CMを削除し、3月30日には公式ツイッターで「日本の文化に敬意を込めて作成されたもので、日本の文化を冒涜するような意図は全くなく、このシーンで使われた布も、着物の帯ではありませんが、多くの方に不快な思いをさせてしまったこと、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。

「ヴァレンティノが謝ったあとも、Kōki,のインスタグラムには4月1日まで問題のCMがアップされたままでした。その顛末にも、制作チームとKōki,サイドの意思疎通がうまくいっていなかったことが表れています。今回のウェブCMは、日本とイタリアのクリエイターチームが制作に当たっています。日本の伝統的なアイデンティティーである帯を粗末に扱えば問題になるのはすぐにわかりそうなものですが……」(ファッション誌編集者)

 高級ブランドにとって炎上は命取り。なぜこれほどリスキーなCMが制作されてしまったのか。

「あれは帯ではないと否定していますが、むしろ着物や帯など日本文化へのリスペクトを表そうとしたCMだと思います。モチーフになっているのは、1983年に47歳で亡くなった寺山修司さんの映画『草迷宮』。1979年に制作されたフランスのオムニバス映画『プライベート・コレクション』の一編で、当時高校生だった三上博史の俳優デビュー作でもあります。泉鏡花の同名小説を元に撮られた映画で、世界的にも評価が高いです」(テレビ制作会社関係者)

Kōki,の成功は母の努力のたまもの?

 寺山の映画「草迷宮」では、母を失った主人公が夢と現実を行き来しながら旅をする。和小物を効果的に配置することで、ありふれた風景を迷宮に仕立てる映像美が話題になった。その中で、森の中に置かれた朱色の金襴緞子の帯の上を主人公が駆け抜ける場面があり、今回のCM動画とも酷似している。

 Kōki,はもともと、15歳だった2018年にファッション誌「ELLE JAPON」7月号の表紙でモデルデビューしている。同年8月には日本人として初めて、しかも歴代最年少でブルガリのアンバサダーに就任した。9月にはシャネルのビューティーアンバサダーにも起用され、こちらも日本人初だった。2021年には米国の化粧品メーカー、エスティローダーの最新グローバルスポークスモデルにも抜擢されている。

「新人モデルとは思えない抜てきは、もちろん木村拓哉と工藤静香という両親の力によるものでしょう。とりわけ、母親の工藤がKōki,のブランディングに奔走したと言われています。デビューから安売りせず、世界的な有名ブランドにターゲットを絞って仕事を獲得することで、Kōki,の価値を高めることに成功しました。複数のモデルエージェンシー経由で仕事をすることもありますが、基本的には工藤の個人事務所の所属タレントです」(スポーツ新聞芸能デスク)

 工藤は早い時期から、Kōki,を日本の芸能界の外側で通用するように育ててきた。インターナショナルスクールに通わせて英語を日本語レベルで使えるようにし、仏語とスペイン語もマスターさせている。また、自身が二科展に20回以上入選した絵画の腕前もKōki,に伝えている。

「50歳になり自身が表舞台に立つ機会は減った工藤ですが、Kōki,や姉のCocomi(19)を通じて現在もプロデュース欲は衰えていません。それだけに、今回のヴァレンティノの炎上でKōki,のイメージに傷がついたと怒り狂っているそうですよ」(テレビ関係者)

当時人気絶頂だったとんねるずにも近づく

 工藤のプロデュース能力は、アイドル時代からずば抜けていた。中学2年生だった1984年に「ミスセブンティーンコンテスト」で特別賞を受賞して芸能界入りし、翌年1月に3人組のセブンティーン・クラブのメンバーとしてアイドルデビューした工藤がブレイクしたきっかけは、1986年のおニャン子クラブ加入だ。おニャン子内の派生ユニット「うしろ髪ひかれ隊」メンバーとしても人気を集めた。

「工藤はおニャン子クラブ内でも自分のキャラを確立して渡辺美奈代や新田恵利とファンの住み分けを意識していましたが、本当にすごいのは87年におニャン子が解散してソロになってからです。解散後は人気を落とすメンバーが多い中で、工藤は右肩上がりに人気を獲得していきました。『MUGO・ん…色っぽい』、『恋人よ』など大ヒットを連発して、80年代後半には中山美穂、南野陽子、浅香唯とともに“アイドル四天王”と呼ばれるまでになりました。おニャン子時代に自分より上位だったメンバーをごぼう抜きしたことになります。所属していた尾木プロの力もありますが、工藤自身のセルフプロデュース力のなせる業でもありました。当時人気絶頂だったとんねるずに近づくなど、どうすれば自分の得になるかを嗅ぎ分け、実行する力はすごいです」(前出・スポーツ新聞芸能デスク)

YOSHIKI、そしてキムタク

 工藤は男性遍歴も豪華だ。X JAPANのYOSHIKI(55)とのロサンゼルスでの同棲生活などを経て、2000年12月にはSMAPの木村拓哉と“できちゃった結婚”。翌年5月に長女のCocomiを出産し、03年には次女のKōki,も生まれた。

「よく美人の奥さんのことを“トロフィーワイフ”と言いますが、工藤の場合は逆の“トロフィーハズバンド”ですね(笑)。95年に独立して個人事務所を設立してからのプロデュースは見事のひと言。おニャン子時代からの“師匠”である秋元康氏(62)の後を立派に継いでいます。自分自身、そして娘と、昭和から令和にかけてスターをプロデュースし続けているのですから。木村との結婚だって、メリー喜多川さんを説得したのは工藤本人。15年から始まったSMAP解散騒動の時も、木村にジャニーズ脱退を思いとどまらせたのは工藤の“プロデュース”によるものと言われています」(女性誌編集者)

 最近は“Kōki,の父親”としてインスタグラムに登場することもある木村だが、平成最大のアイドルSMAPのエースという存在感はいまだに大きい。そして、それを操っているのも工藤であると言われている。

木村家ビジネスの先行きは

「キムタクは『RAV4』や『カローラフィールダー』などトヨタのCMに1994年から20年以上出演する“トヨタの顔”でした。しかし2020年8月にライバルの日産自動車のブランドアンバサダーに就任して、矢沢永吉の後を継いで『やっちゃえNISSAN』のフレーズでCMに出演しています。2018年のカルロス・ゴーン元会長逮捕で地に落ちたイメージを回復させる頼みの綱として、日産が三顧の礼でキムタクを迎え入れたと言います。30代~40代の自動車を購入するコア層は、まさにキムタクの直撃世代ですからね」(広告代理店関係者)

「トヨタ+電通」から「日産+博報堂」という木村の移籍は、日本の広告業界全体を巻き込むような大移籍劇だったのだ。その陰にも、当然工藤の意向は働いているだろう。Kōki,の炎上でつまずいた形の“プロデューサー”工藤静香だが、その先行きは明るい。

「Kōki,自身はもらい事故ですから、これで価値が大きく下がるわけではありませんし、長女のCocomiのしごとも軌道に乗っています。昨年5月の『VOGUE JAPAN』でモデルデビューし、フルートの実力も本物で、オーケストラグループ『Japan Popular Classics Orchestra(JPCO)』にフルート奏者として参加しています。狙っていたサブカルチャー方面への進出も順調で、今年6月に公開される明石家さんまプロデュースのアニメ映画『漁港の肉子ちゃん』での声優デビューも決まっています」(前出・スポーツ新聞芸能デスク)

 夫、2人の娘、そして自分という4人のタレントをプロデュースする立場で、工藤の野望は広がるばかり。木村家の“ファミリービジネス”はまだまだ大きくなりそうだ。

(川田 南雲/Webオリジナル(特集班))

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