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「美味しいんでしょうが、僕は大嫌いなんで」偏食家・落合博満が初デート後に放った“衝撃発言”の意図

文春オンライン / 2021年7月3日 6時0分

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©iStock.com

 スポーツ選手は体が資本。25歳でプロ野球入りした落合博満が現役を退く45歳まで第一線で活躍を続けられたのは、食に関する信子夫人の創意工夫があったからだといっても過言ではないだろう。

 ここでは落合博満氏の著書『 戦士の食卓 』(岩波書店)の一部を抜粋。在りし日の映画デートの思い出から、一人の男の食習慣を変えたある出来事まで……。夫婦が当時の記憶を思い返しながら“食卓の思い出”を振り返る。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

在りし日の映画デートの思い出

落合信子 今でもはっきりと覚えているのは、作品を鑑賞中に落合が手を握ってきたこと。それも両手で包み込むように。そんな落合の積極さに警戒心を抱き、次に会う時からは友人を伴い、グループで出かけるようにしました。その友人の希望で、ブルース・リーの作品を鑑賞したはずです。

 そう言えば、映画に誘われた時、落合はオードリー・ヘップバーンが好きだと言っていました。世界的に有名な女優さんは、いつもキラキラとしたドレスを着ているという印象ですけど、私もそういうタイプの服装が好みで、確かこの時も提灯袖のワンピースを着ていたんじゃないかな。

 それで落合も手を握ったのかと思いましたが、映画館を出ると私の実家に立ち寄って、両親に挨拶をしたいと言うんです。途中で手土産にウイスキーを買い、本当に突然、落合は私の実家にやって来ました。

「はじめまして。僕はお酒が好きなので、ウイスキーを持って伺いました。飲める方がいらっしゃれば」

 落合は若者らしく挨拶をしました。すると、私の母も落合に出身地などを尋ねながら、手早くお抹茶を点てたのです。さて、落合はどうするのかとハラハラしながら見ていると、恐らく見様見真似なのでしょうが、しっかりしたお作法を見せました。

 これには両親も驚いていました。そうして、落合に好感を持ち、落合が買ってきたウイスキーを開け、母がおつまみを何品か作りました。すると、どうでしょう。金平牛蒡の小鉢をススッと遠ざけながら、「お母さん、これは美味しいんでしょうが、僕は大嫌いなんで、今度から出さないでくださいね」なんて言うんです。

 私は心臓が止まりそうでした。ところが、大正生まれの母はこう言うのです。

「うちには、信子の下に2人の男の子がいますけど、たぶん2人ともよそ様のお宅にお邪魔したら、出された物を嫌いでも我慢して食べるでしょう。それよりも、落合君のように、嫌いなら嫌いだと本心を言えるのは素晴らしいじゃないの」

 日本人は謙虚さが美徳とされていた時代です。社会でも家庭でも、自分の考えを主張するよりは、相手の立場や思いを考えて譲る気持ちがよしとされている中、落合の若者らしい礼儀正しさと「NO」と言える部分が、新鮮で誠実に感じられたのでしょう。はじめに「そういうところが気に入ったわ」と言った母が「落合君」から「ヒロちゃん」と呼ぶようになり、父も「囲碁はできるか」と落合を可愛がる。いつの間にか、落合は本当の家族のようになっていました。

 ただ、落合には好き嫌いが多いと知った私にとっては、食の面から落合を一流選手にしていく闘いにプレーボールが宣告されたのです。

落合博満 その後、私は25歳でロッテオリオンズからドラフト3位で指名され、野球を職業とするようになる。大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)が本拠地を川崎球場から横浜スタジアムに移転した1978年、本拠地球場がなく、「ジプシー球団」と呼ばれていたロッテが川崎球場を本拠地とするようになる。

 私は翌1979年に入団し、東京都杉並区高円寺にある球団寮から川崎球場に通った。朝から練習し、午後は2軍のイースタン・リーグの試合。1軍の試合がある日は、その試合前の練習を手伝っていた。

定食屋から出ると「よーし、それじゃ、家に帰って飯を食おう」

落合信子 目標だったプロになってからも、落合は時間を見つけては私の実家を訪ねてきました。落合から連絡があると、私と母で3人分の食事を作ります。落合、母、私の3人分ではなく、落合が1人で3人分を平らげるのです。そうしたお付き合いを続けながら、私は落合の好き嫌いを探っていました。

 この頃の落合は、いつもお腹が少し緩かった。聞けば、球場で摂る昼食は、ほとんどカップ麺だというのです。また、子供が水に溶いて飲んでいた粉末のジュースの素を、白米にかけて食べていました。基本的には肉が好きで、魚は焼き鮭くらい。刺身や煮魚はほとんど口にしません。それにゆで卵と蒲鉾。この偏食の若者にどうやってバランスのいい食事を摂らせるか。落合を野球で大成させるためにも、食生活の改善には真剣に取り組むようになりました。

 ある時、「俺がご馳走するから」と、落合から外食に誘われました。まだ年俸は高くないけれど、プロになった自覚が出てきたと感じ、とても嬉しくなって出かけたのです。「何でも好きな物を」と言うので、「河豚を食べたい」と返すと、「河豚は嫌いだ」とピシャリ。落合が決めた駅前の定食屋さんに入りました。

 それでも、自分の給料でご馳走してくれるのが嬉しく、私はほうれん草のお浸しなど3品くらいを注文しました。すると、「そんなに次から次へと頼んで、全部食べられるんだろうな」と怖い声で言うのです。そして、落合はビールを注文したくらいでほとんど食べません。

 私が食べ終わり、その店を出ると、落合はこう言ったのです。

「よーし、それじゃ、家に帰って飯を食おう」

いつのまにか食事もユニフォームの洗濯も…

 家って、私の実家です。結局、その日も私と母で3人分を作ります。バランスよく食べさせようと工夫はするのですが、落合はお腹が落ち着いてくると、「おい、おまえも一緒に食べろよ」と私を呼びます。そして、食べたくない物を箸でつまみ、私の茶碗や皿にポンポンと移してくる。自分の嫌いな物だけを私に食べさせるのです。

 しかも、食べ終わると落合はゴロリと眠ってしまいます。それだけでは終わりません。日付が変わる頃に目を覚まし、「腹が減った。何か作ってくれ」と。眠い目をこすりながら日本蕎麦の乾麺を茹で、薬味を刻んで出すと、「美味いよ。もう一杯」と悪びれずに言うのです。でも、そういう子供っぽい態度が母性本能をくすぐるのでしょうか、落合を嫌いになることはありませんでした。

 食事だけでなく、落合のユニフォームなどの洗濯も、いつの間にか私の仕事になっていました。洗濯機を夜遅くに回せばご近所迷惑だし、まだ人工芝よりも土のグラウンドが多かった時代ですから、洗濯機の中が泥だらけになります。落合に聞けば、1軍に上がればユニフォームは球団が洗濯してくれるというので、それなら何としても1軍に上がりなさいと尻を叩くようになりました。

 1年ごとが勝負のプロ野球という厳しい世界で、プレーを続けていくことができる目途が立った頃、私は落合に「食費くらい出してくれる?」と言いました。落合には「早く言えよ」と返されました。夢はあるけれどお金はない東芝府中の頃に出会い、プロ入りしても年俸360万円で必死にプレーしている姿、私と母が作る手料理を好き嫌いしながらも美味しそうに食べている姿を見ていると、「食費くらい出してよ」と言い出すことはできなかったのです。

夕食の買い出しに付き合わせた効果

 しかし、落合の好き嫌いを治すのは簡単ではありませんでした。でも、ご飯粒ひとつ残さず食べるところ、財布に入れるお札はきれいに伸ばして方向も揃えるなど、几帳面さがあるとわかっていたので、そういう部分を利用して食に対する考え方も変えていこうとしました。

 まず、時間がある時は夕食の買い出しに付き合ってもらいました。私は財布を持たず、車の運転と支払いを落合に任せます。店に着いたら、自分が食べたい物を買い物カゴに入れてもらうのです。

 そうやって店の中を見て歩くうち、「おまえは何が食べたいんだ。好きな物を入れろよ」と言ってくれるようになり、レジで支払う際には、どれくらい買えばいくらかかるということがわかるようにもなりました。帰宅したら、えんどう豆の下ごしらえを手伝ってもらったりしました。

 そうすると、自分が朝早くから起きてグラウンドに行き、一生懸命プレーしていただいた給料と生活がリンクし、私が作った料理を残すことがもったいないと感じるようになるのです。この買い物同伴作戦は効果てき面で、食べたくない物を箸でつまみ、私の茶碗や皿にポンポンと移してくることは一切しなくなりました。

【続きを読む】「監督にはならない」と言っていた落合博満が中日ドラゴンズの監督に就任した“知られざる瞬間”

「監督にはならない」と言っていた落合博満が中日ドラゴンズの監督に就任した“知られざる瞬間” へ続く

(落合 博満)

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