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「死を恐れるのは人間の本能です」10年前、立花隆が“最後のゼミ生”に伝えていたメッセージ

文春オンライン / 2021年6月26日 6時0分

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立花隆さん ©文藝春秋

「数年以内に君たちは人生最大の失敗をする」立花隆が“6時間の最終講義”で東大生に語っていたこと から続く

 ジャーナリスト・評論家の立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。立花さんは1996年から東京大学駒場キャンパスでゼミを開講し、多くの教え子を各界に送り出してきました。その後、「立花ゼミ」は形を変えながら続けられましたが、2010年3月には立花さんが東京大学を退官。それから3ヶ月後の6月26日、立花さんは“最後のゼミ生”に向けて、実に6時間にも及ぶ最終講義を行っていました。

 当時70歳だった立花さんが、次の世代に向けて残したメッセージとは――。講義の内容を収めた『 二十歳の君へ 』(文藝春秋)より、その一部を抜粋して紹介します。(全2回の2回目/ 前編から続く )

◆ ◆ ◆

リアリティの皮相

 人間、若いときほど死が怖いものです。

 死を恐れるのは、人間の本能です。戦争の時代のような特殊な時代を除けば、死にいちばん近いのは老人です。若い人ほど死からは距離があります。僕のように70歳にもなると、同世代の人間が次々に死んでいきます。中学校の同窓会に行けば、同級生の新しい死を毎度のように聞かされます。隣近所でも顔を見知っていたお年寄りが次々に死んでいくし、新聞を読んでいても直接間接に知っていた人の訃報が次々に報じられていきます。知っている人たちが、こんなに次々に死んでいったら、いずれ知っている人で生きている人はひとりもいなくなる日がくるんだな、と当たり前のことが分かってきます。老人にとっては、死は日常性の中にあることです。しかし若い人にとっては、死は非日常そのものでしょう。

 人の死は若い人に、いつでもある種の衝撃を与えるものです。特にそれが予期せぬ死であった場合、与えられる衝撃の大きさが違います。僕も、今でこそ何が起きても驚かないし、動揺もしないだけの体験を積んでいますが、若いときはやはり思いがけぬ人の死に出会うごとに、激しく動揺させられたものです。身近なところでは、学校の同級生の急死、自殺、事故死などがそれにあたります。

 ある年齢を過ぎてからは、社会的事件となった一連の不自然死に心をゆさぶられました。僕らの世代にとってそういった衝撃的な死として誰の記憶にもあるのは、安保闘争における樺(かんば)美智子さんの死でした。僕の数年先輩ですから直接の知人ではありませんが、彼女を直接知っている人は、僕の周辺にたくさんいました。

 時代はちょっと違いますが、三島由紀夫の死もまた衝撃的でした。三島さんには文春の編集者時代に何度か直接会ったことがあったからです。三島さんが東大全共闘の学生と対決すると言って東大に乗りこんでいったときも、取材がてら近くからウォッチしていましたしね。それより、三島さんと共に死んだ森田必勝(まさかつ)のことはもっとよく知っていました。ある雑誌の仕事で、楯の会とは何たる組織なのかを伝えようということで、その隊員たちを取材したことがあったからです。森田必勝と、もうひとり現場にいて生き残った古賀浩靖(ひろやす)の両方の話を、事件の数週間くらい前だったか、1時間くらいにわたって聞いたことがあったのです。森田必勝は、よくそう想像されるようなイデオロギー過多のファナティックな右翼青年というよりも、赤い頬っぺがかわいいナイーヴな地方出身の若者という感じでした。

 それにしても、あの三島さんの死に方はショックでした。自ら切腹した上で、森田に介錯させ、自分の首を斬らせるというあの死に方は、人の想像を絶するものがありました。現場があまりにも凄惨であったため、当局の発表にも、それを報道する側にも自然に抑制がかかり、結局、現場の様子がリアルなかたちで表に出たのは、10年も経ってから、写真雑誌『フライデー』が、当局が保管していた現場写真をスクープというかたちで掲載してからのことです。あの写真は警視庁公安部の右翼担当の部員が、現場写真として保存していたものです。あの日内部から鍵をかけた総監室で行われた、切腹から斬首に至るまでの一部始終を、公安部員は廊下側の天窓ごしに全部ウォッチしながら、証拠写真を何枚も何枚もバチバチ撮りまくっていたのです。公安部員というのは、右翼担当でも左翼担当でも、どんな重大な事件に遭遇しても、それに直接介入することなく(止めに入ったり逮捕したりせず)ただひたすら、事の成り行きをじっと見ているという習性があるのです。普通の人なら必ず目を背けるに違いないどんな恐ろしい場面でも、じっと見続けることをもってよしとする職業倫理があるのです。

 この話を聞きながら、公安という組織の空恐ろしさは、その組織原理の奥底に流れる、このようなとことんまでのニヒリズムにあると感じました。後に僕は『日本共産党の研究』の中で、戦前の特高組織の空恐ろしい側面を次々に暴いていくのですが、その原点には、三島由紀夫事件で感じた公安警察の不気味さがあったように思います(公安警察の前身が特高警察)。

 なぜこんな話をするかといえば、君たちがどれほどものを知らないかを教えるためです。大学生は、この社会ではまだヒヨコのごとき存在です。二本足でやっと歩けるようになったので、本人はもう一丁前になったつもりでいるかもしれませんが、実はまだ世間様のことなどほとんど何も知らない存在なのだということです。

 例えば、君たちの常識では、メディアをちゃんとウォッチしていれば、その報道を通して世の中の動きのたいていのことは分かるはずだと思うでしょう。しかし、メディアの現場を何度も踏んできた人間として断言できることは、メディアの報道をいくらカバーしても、本当に社会で起きている事象の大半は分からないままに終わるということです。特に大事件の場合、報道量は爆発的に増えるけれど、同時に、伝えられないあるいは伝えきれない事実も爆発的に膨れ上がるのです。

 第一にリアリティの細部が伝えきれません。三島の自決の場面がその好例です。またその現実の背景、持っている意味の深さなども伝えきれません。メディアが伝えるものは、いつでもリアリティの皮相の部分だけです。事件の影の部分というか、より深いレベルの真実を知ろうと思ったら、何年かして、その事件に入れ込んだレポーターが当事者たちにディープな取材をして本を書くまで待つほかありません。

 しかも、「事件の影の部分」以上に、この社会には「そもそもの影の部分」というか、闇社会あるいは社会のダークサイドとしか言えない部分があって、そこはそもそもメディアがカバーする範囲に入っていないのです。公安警察が日常的に本来の職務上の監視対象に対して行っている密行捜査などは「表のウラ部分」になります。一般人があまり知らないだけで、公安警察の「表のウラ」的な部分はこの社会のあちこちにあるものです。世の中のナイーヴな人々は、「見ぬもの清し」の原則に従ってそのようなダークサイドはこの世に存在しないと思っているようですが、そんなことはありません。実際は驚くほどたくさん散らばっているのです。

 これから君たちが社会に出ていく際に、決めなければならない重要なことのひとつは、この社会のオモテウラ構造のどのあたりに自分が入っていくかということです。オモテだけしか知らないナイーヴな純オモテ種族として生きていくか、オモテ社会とウラ社会の間を行き来する両生類として生きていくか、それともウラ社会に身を沈めて生きていくか(それも全身どっぷり浸かるか半身だけにしておくか)です。それは、そこを生息圏とするかどうかという問題に留まらず、そこを生息圏とはしないまでも情報圏として活用していくかどうか、あるいは、そこを経済的交易圏として認め、取引関係を保つことを容認するかどうかといったことを含む微妙な問題なのです。

 君たちの中で、ウラ社会に全身どっぷり浸かって生きていく道を選択する人はおそらくいないでしょうが、これから社会のどの部分に自分の身を置くかによって、かなりの人に、社会のダークサイドと一定の関係を持たざるを得なくなる可能性が出てくるはずです。なにしろ、君たちは知らないでしょうが、日本のGDPの結構な部分が、社会のダークサイドとの交易関係の中で産み出されているのです。いろんな試算がありますし、また「ブラック」「ダーク」の定義によっても違いますが、GDPの1割は楽に越えているはずです。これは日本に限った話ではありません。GDPの1割どころか2割、3割というレベルまで闇世界に侵食されている国がいくつもあります。そういう国、地域は、アジア、中央アジア、東ヨーロッパ、ラテンアメリカ、中東、アフリカなどに多く、つまり世界GDPの相当部分が闇世界に侵食されているわけです。

 オモテ世界だけを見ていたのでは、世界の現実はほとんど分かりません。実際に社会のどこかに身を置いて経済活動、社会活動を始めれば、どこかでダークサイドと接触せざるを得ないというのが世界の現実なのです。

疑わしきに囲まれて

 僕は、週刊誌の仕事を業として長くやってきましたから、そのようなダークサイドに関して、断片的な情報を日常的にたくさん聞き込んでいました。編集会議にはそういう断片的な聞き込み情報がしょっちゅう出てきます。しかし、それを取材して週刊誌の記事にできるところまで持っていけるかといったら、ほとんどが無理です。活字にできるだけの裏付け証言がとれないままに消えていく話が山のようにあるんです。真偽不明の怪しい噂がゴロゴロころがっているというのがマスコミの裏側です。怪しい話を安易に信じすぎてしまう人間はもちろんマスコミ界では落第者です。若い人の間にありがちな軽信家タイプがそれです。僕も若いころはずいぶんいろんなガセネタに動かされたものです。しかしガセネタに何度か騙されてみないと、ウソとホントの見分け方が学習できません。マスコミの中堅幹部以上はみんなそういう騙されたり、あるいはスレスレの経験者ですから、若手のどんなに面白い聞き込み情報にも厳しい真偽性チェック(ウラ取り要求)をかけてきます。大マスコミほど、そういう懐疑的中堅層の厚みがあるから間違いを犯さないで済んでいるのです。

 マスコミの世界とサイエンスの世界に共通して必要とされる精神が、「職業的懐疑の精神」(professional skepticism)です。それがいかにも本当らしく、自分としては信じたい話でも、まずは「本当にそうか」と徹底的に疑ってみて、その信憑性をとことん確かめるまで信じないという精神です。この精神がない人はサイエンスの世界でも、マスコミ界でも落第生になります。ただし、掘れば見つかるかもしれない手がかりをつかんでも、自分で本当に掘ってみる手間を惜しんで、宝を見逃してしまう人は、それはそれで別のタイプの落第生と言えますが。

 さて、僕がいつごろこんなふうに世の中のことがある程度分かったつもりになれたかというと、社会に出て、十年選手になってからです。君たちもたぶん同じでしょう。世の中がある程度分かったつもりになれるのは、これから10年経ってからです。大学を出たあとどういう現場に入っていくにしろ事情は同じだろうと思います。大学で学べることなど、本当にたかが知れています。知識が本当に身についていくのは、すべて社会に出てからです。ある程度大きな組織に入り、見晴らしのいい現場を三つくらい経験して視野を広げ、ある程度部下を持ってチームワークの仕事もこなせるようになるのが、十年選手です。そこまで行ってはじめて、自分に自信がつき、自分が見ているものを正しく見分けられるようになります。それまでは、間違い続きです。自分が見ているものが本当のところ何なのかすら、よく分からない時代が続きます。十年選手になってはじめて、自分が考えていることが正しい方向か否かを自分なりに正しく判断できるようになります。自分は一人前の人間になったという自覚を持てるようになるのです。年齢でおよそ30代前半というところでしょう。そのあたりから、若手呼ばわりされていた人間が中堅と呼ばれるようになるわけです。こういう大づかみな話がパッとできるようになるのが70歳の年輪というものかもしれません。

 僕が『田中角栄研究』をやったのは34歳のときでした。そのとき、約20名の取材班をひっぱっていましたから、まあ、マスコミの現場では、働き盛りと言っていい年齢になっていたわけです。

 僕の上に30代後半の担当デスクがいて、この人が日常的に取材の進行をチェックしていました。その上に46歳の編集長がいて、原稿の最終チェックはこの人がしましたが、日常の取材はノーチェックでした。他に取材班の中に大ベテランの取材記者が入っていて、この人が何でも相談に乗ってくれたのが、信頼性確保に役立ちました。チームの仕事は、チーム全体の経験知の集合量で決まってくるものです。

 僕は、大学を卒業して、文藝春秋に入り、そこで2年半勤めたあとフリーになり(同時に哲学科に学士入学して大学生に復帰)、複数の雑誌の仕事をするようになります。しばらくすると文藝春秋で週刊誌と月刊誌2誌、講談社で週刊誌2誌(女性誌と男性誌)と月刊誌1誌の仕事をかけもちでするようになりましたので、踏んだ現場の数(こなした締め切りの数)は人一倍多いわけです。だから、34歳になったときには、雑誌の世界の経験量(特に取材して書くという意味での経験量)は誰にもひけをとらないレベルに達していたわけです。それがあの歳で、あれだけの大仕事をまかせてもらえた理由だと思っています。結局、人間に何ができるかは、その人がそれまでにこなした仕事の量と質両面の関数値です。大学生時代は、自分が将来いい仕事に食らいついていくための現場探しの時間くらいに心得て、自分の能力のブラッシュアップをもっぱら心がけるべきです。自分の脳の中をよく耕して、肥料をたっぷり鋤(す)き込み、ブレインパワーの基盤力を養っておくということです。

 こういうアドバイスなら、今の若い連中にしておけるかなと考えたのが、70歳になった今、この場を設けた理由です。

INFORMATION

▼立花隆公式サイト chez. tachibana
https://tachibana.rip

(立花 隆)

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