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『ゴジラvsコング』の原点『キングコング対ゴジラ』撮影秘話……敵の大ダコはその日のスタッフの夕食になっていた

文春オンライン / 2021年7月2日 11時0分

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キングコングvsゴジラ ©共同通信社

 監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二に敬意を表して終わった『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(’19年)の公開から2年……ついにハリウッド版『ゴジラ』新作が日本に上陸する。前作は快作『三大怪獣 地球最大の決戦』(’64年)のリメイク風新作だったが、今回はゴジラの国際的なポジションを決定的なものにした1962年公開の大ヒット作『キングコング対ゴジラ』のリメイクにあたる。その名も『 ゴジラvsコング 』。オリジナルのタイトルで、キングコングの名前が先に来ている事実に対し、“敗戦国”という言葉が脳裏をよぎったが、半世紀以上を経て今作では、同胞・ゴジラの名前が先に来たことは素直に嬉しい。

 さて、オリジナルの『キングコング対ゴジラ』の観客動員数1120(1255という記録もあり)万人という数字は、当時の日本の人口比からすると相当な数だが、入場料ひとりン百円という事実も考え合わせると、想像以上の特大ヒットだったのでは!?……と、思えてならない。

 そこで今回は、特撮マニアにとっての常識、一般人にはトリビアな『キングコング対ゴジラ』の裏話を少々お伝えしよう。

◆ ◆ ◆

『キングコング対ゴジラ』で一番ウケた「大ダコ」とのバトル

 この『キングコング対ゴジラ』で、海外で一番ウケたのが、なんと、キングコングと大ダコのバトルシーンだった。確かに観れば、迫力と工夫に溢れた屈指の名シーンであることには違いないと思うが、「この映画の売りはキングコングとゴジラのプロレスばりの激バトルなのでは!?」と思わざるを得ない。でも、そこが一番ウケてしまったというのだから仕方がない。

 その証拠(?)に、本作の3年後にアメリカのベネディクト・プロと合作・公開された東宝特撮映画『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(’65年)にも、先方のリクエスト(!)で大ダコが登場することに。それも、主人公のダークヒーローであるフランケンシュタインが、仇敵たる地底怪獣=バラゴンを倒した後、山の湖から(なぜ?)なんの伏線もなく大ダコが登場! フランケンシュタインに絡み付き、共に湖に没してそのまま幕を閉じる……という唖然呆然ぶり。このラストはあくまでも海外向けで、日本ではバラゴンを倒して終わっているが、いくら“タコ好き”といっても、さすがにこの唐突なラストには当時の海外の観客も度肝を抜かれたのではないか。なお、大ダコは『フランケンシュタイン対地底怪獣』の続編『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(’66年)にも登場。こちらでは冒頭で、普通に怪獣ガイラに倒されて終わった。それほど『キングコング対ゴジラ』の大ダコは世界を震撼させたのだった。

撮影で使ったタコが、そのままスタッフの夕食に……

 この大ダコ、本物のタコを特撮セットに放して撮影するという驚異のアナログ手法で撮られており、それも海外の観客の琴線に触れたのかもしれない。海外の特撮映画でも本物のトカゲやワニを恐竜に見立て、特撮のミニチュアセットに放して撮影した作品は存在するものの、タコ嫌いの外国人には“本物のタコを使う”ことなど夢にも思わないのだろう。当時タコは海外では“デビルフィッシュ”という不名誉なあだなまで付けられ、忌み嫌われていたとか。その苦手っぷりが窺い知れよう。

 後に円谷英二の後を継いで『ゴジラ対ヘドラ』(’71年)などで特技監督を務めた中野昭慶さんによれば「とにかく、タコが言うことを聞いてくれなくって大変だったね」とのこと(「そりゃそうでしょう」としか言い様がないが)。中野さんは『妖星ゴラス』('62年)に続いて、この『キングコング対ゴジラ』の特技・円谷組への参加となったのだが、いきなりのビッグスター(=タコ)の演出補佐に付くことになり、「こりゃまいったな」と思われたそう。むべなるかな。タコを海水入りのバケツから出して、海岸沿いの岩場に組み立てた島民の木造住宅とヤシの木が並ぶミニチュアセットに置いた途端、動かなくなる。いくら棒で突いても、怒って墨を吹き出す始末。

 すっかり困った挙げ句、熱した鉄の棒(焼火ばし?)を近づけてみたところ、熱さを嫌がって動き出した。そうして赤い鉄棒を近づけては動かし動かしして徐々に撮影していったという。ようやく撮影が終わったその夜、円谷監督や中野さんたちが旅館に戻ると、待っていたのはタコ料理のフルコース。撮影で使った大量のタコがそのまま夕食に。いくらタコとはいえ、つい先ほどまでの主役スター。さすがにそれを食べるのは……と、円谷監督も中野さんたちスタッフも苦笑したそうだが、結局は美味しくいただいたとか。ある意味、獲物をムダにしない、昔ながらの日本人の美徳といえよう。

本多監督がこだわったコングに捕まった美女の“悲鳴”

 一方、本編監督の本多猪四郎さんは、戦前の海外特撮映画の大スターでゴジラの大先輩にあたるキングコングを演出するにあたり、1933年公開の元祖『キング・コング』のフィルムを取り寄せ、事前に何度も鑑賞を重ねて研究した。その結果、“美女の悲鳴”が演出上の要になると感じた本多監督は、ヒロインの浜美枝さんがコングに捕まって悲鳴をあげるシーンの演出に特に力を注いだ。本多監督の熱心な演技指導に引っ張られた浜さんは喉を嗄らす熱演を披露。本家に勝るとも劣らぬ“美女の悲鳴”を世界中の観客にお届けすることとなった。

 後年、「浜君には申し訳ないことをした」と思った本多監督は、『キングコング対ゴジラ』の約4年後に再び『キングコングの逆襲』(公開は’67年)を監督するチャンスに恵まれた際、今度は浜さんを、前回と真逆の“コングを捕まえる某国の女性スパイ”役でキャスティング。「コングにリベンジしてもらった」と生前、語っていた。そのとき、内心では「それは浜さんがコングにリベンジしたことになるのでしょうか……!?」と思ったが、本多監督の満面の笑みに圧倒されて何も言えず……。それも今となっては非常に貴重で大切な想い出となった。

円谷監督がアクションで参考にした、力道山のプロレス

 最大の見せ場となるゴジラとキングコングのバトルは、ほとんど円谷監督がアクションを付けていた。何せ『キング・コング』を観て特撮を志しただけに、その喜びよう熱の入れようはハンパなかったという。今では殺陣師やアクション監督が付けるものだが、当時の怪獣映画にはそんな考え方やポジションがなく、特技監督であるはずの円谷監督自らが指導。その際、自分がカメラマンをしていた往年の大俳優・長谷川一夫の時代劇の殺陣や当時TVで大ヒットしていた力道山のプロレスを参考にしたという。つまりゴジラとコングのバトルは、戦後一時封印されていた時代劇の復権であり、力道山とシャープ兄弟、あるいはルー・テーズとのプロレスバトルの、ゴジラとキングコングによるスクリーン上での再現だったのだ。

 そんなそこはかとなく漂う“戦後感”に思いを馳せるのも、オリジナル『キングコング対ゴジラ』を楽しむ醍醐味のひとつかもしれない。

 もしこの原稿を読み、映画を観て興味がわいたらオリジナルの『キングコング対ゴジラ』も観ていただきたい。そこには、日本が敗戦から起ち直った新しい生命の息吹が満ち溢れている。それを天国の円谷・本多両監督も願っているに違いない。

(岩佐 陽一)

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