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「野球にも楽天にも興味なかったんだけど…」女川のおじさんとイーグルスの復興物語

文春オンライン / 2021年7月15日 11時0分

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2013年、楽天日本一で宙に舞う星野仙一監督 ©文藝春秋

※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2021」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】けん(けん) 東北楽天ゴールデンイーグルス 25歳。MyHEROは高校と大学の先輩である戸村健次さん。日本とイギリスの二カ国で政治を学び、現在は永田町に身を置いている。いずれは選挙に出馬するという説も。趣味は学生時代から続けているテニス。絵がとてつもなく下手。

◆ ◆ ◆

 宮城県女川町。三陸海岸沿いの小さな町に、親戚のおじさんが暮らしていた。水産・養殖業を営んでいたおじさん。昼間は寡黙なのに、酒が入ると途端にフランクになるおじさん。浦霞とか一ノ蔵とかが好きだったっけ。新鮮なホヤにマツカワの刺身。今でも僕がこよなく愛する東北の海の味は、みんなおじさんに叩き込まれたものだ。

 おじさんには子どもがいなかった。そのせいか、僕が遊びに行くたびに、おじさんは我が子同然のように、僕のことを可愛がってくれた。時には女川を出て、石巻で海水浴をしたり、松島を船で遊覧したりもした。僕にとって三陸海岸は、おじさんとの楽しい思い出が詰まった場所だった。

 それが180度変わってしまったのが、2011年3月11日。

 三陸海岸は巨大な津波に襲われ、甚大な被害を受けた。僕は関東にいて、次々と流れてくる恐ろしいニュースを眺めていた。

 女川における被害の甚大さを示すデータがある。当時の人口約1万人のうち、死者・行方不明者は827人。住家総数4411棟のうち、全壊が2924棟。人口の8%と住家の66%が、一瞬にして失われたのである。

 おじさんは一命こそとりとめたものの、住家や仕事場・商売道具は全て津波に流されてしまった。水産・養殖に人生を捧げていたおじさん。避難所での生活を余儀なくされ、電話越しの声からも憔悴しきっていることが容易に想像できた。

「避難所のみんなで嶋のスピーチを見て、好きになっちまったよ」

 そんなおじさんの声色が、ある日を境に急に変わった。2011年4月8日。震災からひと月が経とうとしていた日のことである。

 何か良いことでもあったのかと聞くと、思わぬ返事が返ってきた。

「岩隈と鉄平が避難所に来てくれたんだ!」

 おじさんは野球には興味がなかったはずだ。というか、趣味らしい趣味は持ち合わせていなかった。趣味を聞いたら真顔で養殖だと答えそうなくらい、とにかく仕事一筋の男だった。そんなはずのおじさんが、なぜイーグルスの選手の訪問にここまで心を躍らせているのか、僕にはわからなかった。

「野球、好きだったっけ?」

 こう尋ねた僕に対して、

「全然興味なかったんだけど、避難所のみんなで嶋のスピーチを見て、好きになっちまったよ」

 と答えたおじさん。

「野球にも楽天にも興味なかったんだけど、なぜかわーっと涙が出て。それと同時に力も湧いてきて。『底力』。良い言葉だよな」

 なんでも、避難所に設置された大きなテレビで、嶋の「底力」スピーチが繰り返し流されており、すっかり虜になってしまったのだという。

 ご存知の方も多いだろうが、当該スピーチの一部を抜粋しておく。

今、スポーツの域を超えた「野球の真価」が問われています。
見せましょう、野球の底力を。
見せましょう、野球選手の底力を。
見せましょう、野球ファンの底力を。
共に頑張ろう東北!
支え合おうニッポン!
僕たちも野球の底力を信じて、精いっぱいプレーします。被災地のために、ご協力をお願いします。

 嶋のスピーチをきっかけにイーグルスファンになりかけていたところ、ナインが発災以来約1カ月ぶりに仙台入り。その足で宮城県内各地の被災地に赴き、支援活動を行った。その行き先の一つが、おじさんの暮らす女川の避難所だったようだ。

 サインを書き込んだパネルを贈呈したり、自分の野球道具をプレゼントしたり、サイン会や写真撮影会を開いたり、じゃんけんゲームで楽しんだり、選手たちは工夫を凝らして被災者を元気づけてくれたそうである。

 宮城県民の中には、震災直後のこうした取り組みをきっかけに、イーグルスファンになった方も多い。もちろん震災以前からの地域密着の土台があったればこそではあるが、笑い声も活力も失われ、寒さと不安に震えていた震災直後の宮城で、イーグルスが希望の星として光り輝いていたことは間違いない。

 そして、震災から3シーズン目の2013年。イーグルスは見事日本一の座に輝き、チャンピオンフラッグを東北の空になびかせた。

 球団創設9年目での日本一。それも、当初は他所の球団に必要とされなかった選手の寄せ集め集団。最初の数年は全く勝てなかったチームがわずか9年でもたらした歓喜は、まさしく「野球の底力」「東北の底力」の賜物だったように思う。

 あの夜、マウンド付近で突き上げられた拳、スタンドで沸いた大歓声、球場外の各地で握りしめられた無数の両手。僕は日本一を決めたゲームを、南三陸町のパブリックビューイングで見ていたが、あの瞬間は一生忘れることはないだろう。

 そして僕は、あの景色をもう一度見たい。もちろん、長らくプロ野球チームのなかった東北にイーグルスがあるだけで、それは素晴らしいことだ。しかし、優勝すると地域の盛り上がりも段違いになるのだということを、我々は8年前にこれでもかと体感した。なんとしても、あの熱気をもう一度味わいたい。

震災を機にガラッと変わった今の女川の町

 震災から10年目となる今年。女川の復興も着実に前進している。駅の近くにはモダンなデザインの商業施設が並び、海の幸を提供する飲食店もズラリと並んでいる。レンガ道の行きつく先には紺碧の女川湾が広がり、元日にはそこから初日の出を拝むことができる。

 8年前の日本一の時は、女川はまだまだ仮設住宅だらけだった。今の新しい駅舎も、駅に併設された『女川温泉ゆぽっぽ』も、町中の商業施設が集約された『シーパルピア女川』も、当時はまだなかった。震災を機にガラッと変わった今の女川の町は、イーグルスが再び日本一に輝いたらどのような表情を見せるのか。今から楽しみで仕方がない。

 交流戦が終わり、リーグ戦再開後最初のカードとなった対オリックス3連戦は、「がんばろう東北シリーズ」として開催された。様々な催しが企画されたが、その一環として、監督・コーチ・選手が着用するキャップに、岩手・宮城・福島の沿岸部および避難区域の42市町村名の入ったワッペンがつけられた。

 42市町村の中で、女川のワッペンをつけていたのは早川隆久投手であった。今季は1年目ながらリーグトップの7勝をマーク(6月20日現在)。田中将大が2勝、岸孝之が3勝と大先輩が思ったように白星を積み上げられていない中で、まさにチームを引っ張る大車輪の活躍を見せてくれている。女川を背負って投げた先日のゲームも、打線の援護に恵まれない中で、しっかりとゲームを作っていた。

 女川はあえて港に堤防を作らず、震災以前と同様に「海と生きること」を選択した。その代わりに、津波が来たらすぐに高台に逃げられる街づくりを進めている。これは一つのモデルケースになっており、沿岸の被災自治体の中でも、女川に追随するところが出てきている。

 人口わずか6200人の小さな港町が復興をリードする姿と、大卒1年目のルーキーピッチャーがチームを引っ張る姿がどこか重なって見えるのは、僕だけだろうか。

 震災からの復興とイーグルスの日本一。東北の2つの悲願に向けて、女川と早川のこれからに、是非注目していただきたい。

◆ ◆ ◆

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(けん)

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