1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

《広島・長崎の原爆投下》「総理、約束が違うではありませんか」2時間に及ぶ議論の末に昭和天皇が出した“答え”

文春オンライン / 2021年8月6日 6時0分

写真

©文藝春秋

《広島原爆投下》あの日内閣では何が語られていたのか「保証なく皇室をまかすことは絶対に反対である」「戦争を終結させるほかはない…」 から続く

 今年1月、90歳で亡くなられた半藤一利さんは、昭和史研究の第一人者として、多くの著作を残しました。「歴史探偵」として、昭和史や太平洋戦争など、今につながる歴史について教えてくれた半藤さん。2015年に映画化もされた『 日本のいちばん長い日 』(文藝春秋)より、一部を紹介します。(全2回の2回目。 前編 を読む)

◆◆◆

第二の原子爆弾の報

 第二の原子爆弾の報に暗然としながら、最高戦争指導会議は予定時間を1時間も超えたが、ついに結論がでず、つぎに閣議が予定されているため1時すぎ休憩に入った。その閣議も、夕食をはさんで、第1回が午後2時半から3時間、さらに第2回が午後6時半から10時までひらかれたが、ポツダム宣言を受諾すべきか否か、ここでも閣僚の意見はまとまらなかった。

 しかし、日本に戦う余力はほとんどない、というのが共通した意見となった。阿南陸相は憤然としていった。

「かかる事態は十分承知のことである。この実情のもとで、これにたえて戦うことが今日の決心であると思う」

 議論に疲れたとき、文部大臣太田耕造(おおたこうぞう)が突然に思いついたように、首相にいった。

「対ソ交渉が失敗したことの責任、そしてただいまの内閣の意見不統一という点からみましても、筋道からいえば内閣は総辞職すべきではなかろうか。総理はいかがお考えになりますか」

 これは重大発言であった。事実、ソ連仲介の和平工作は天皇に上奏済(ずみ)である。その見通しを誤って大失敗したこと、この一点をもってしても総辞職は当然であったからである。

 鈴木首相はつむっていた眼をあけると、無造作にいった。

「総辞職をするつもりはありません。直面するこの重大問題を、私の内閣で解決する決心です」

 閣僚の何人かは阿南陸相をこのとき注視した。陸相がここで太田文相に同調すれば、内閣を総辞職に追いこむこともできるのである。陸相はこうしたやりとりを聞かなかったかのように、背筋をのばして端然たる姿を崩さなかった。

「大和民族は精神的に死したるも同然なり」

 そうした阿南陸相に、陸軍部内からの突き上げは時々刻々と激しさをました。閣議中に呼びだされた陸相は、参謀次長河辺虎四郎(かわべとらしろう)中将から、全国に戒厳令を布(し)き、内閣を倒して軍政権の樹立をめざすクーデター案をひそかに提示されていた。

 しかし、阿南は動かなかった。そして、かりに戦争を終結するにしても、四条件を連合国に承知させることが絶対に必要なことを、静かに、だが力強く閣僚たちにいいつづけた。日本は国家の命運と民族の名誉をかけ、自存自衛のために戦いつづけてきた。それであるのに、相手のいうなりに、国体の存続も不確実のままに無条件降伏するのでは、あまりに無責任、かつみじめではないか。手足をもぎとられて、どうして国体を守ることができようか。

「このまま終戦とならば、大和民族は精神的に死したるも同然なり」

 陸相はそう主張して不動であった。

 午後10時、第1回からひきつづいてえんえん7時間に及んだ第2回閣議を、鈴木首相はいったん休憩することとした。もう一度、最高戦争指導会議をひらき、政戦略の統一をはかり、再度閣議をひらくことにする、と首相はいった。この最高戦争指導会議を御前会議とし、一挙に聖断によって事を決するというのが、首相の肚(はら)であった。

 御前での最高戦争指導会議開催の知らせに、より大きな危惧を感じたのが大本営であった。

「何のための御前会議なんだ。結論はどうするんだ」

 電話口の向うで怒声が書記官長の耳にがんがんと響いた。

「結論はない。結論の出ないままの議論を、陛下に申しあげるのだ」

「そんな馬鹿な……それにしても陸海両総長の花押(かおう)はもらってあるのかッ」

 御前会議開催には、法的に首相と参謀総長、軍令部総長の承認〈花押〉が必要であった。その花押をこの日の午前中に迫水書記官長はすでにもらってあった。

3対3の対立

「急な場合に、いちいち両総長を追いかけまわして花押をいただくのは、大変ですし、緊急に間にあわなくてもいけません。この書類に花押をください。もちろん会議をひらくときは、これまでの手続きを守り、あらかじめの了解をえますから」

 と、そういわれて、両総長は深い魂胆が隠されているとも思わず、花押をした。

 御前会議の正規の手続きはそろっている。

 こうして8月9日午後11時50分、ポツダム宣言受諾をめぐる御前会議が、御文庫付属の地下防空壕でひらかれた。出席者は、6人の最高戦争指導会議構成員のほかに平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)枢密院議長、そして陸海両軍務局長と書記官長が陪席した。15坪の狭い部屋は、換気装置はあったが、息詰まるように暑くるしかった。しかし、誰も暑さなどを気にとめていなかった。にじみでる額の汗をぬぐうハンケチが、ときおり白く揺れた。

 天皇を前にしての、台本のない議論は、低い声ではあったが、真剣そのものにつづいた。一カ条件案と四カ条件案をめぐって、会議は3対3にわかれた。東郷、米内、平沼と阿南、梅津、豊田の対立となったのである。

 時刻は10日午前2時をすぎた。いぜんとして議論はまとまらなかった。結論のでないままにこの会議は終るのであろう、まさかに票決という強硬手段を首相がとるとも思えぬ。首相がどうしたものか、もてあましているように誰もが考えた。人びとの注意が自然と首相に集った。

 そのときである。首相がそろそろと身を起して立ちあがった。

「議をつくすこと、すでに2時間におよびましたが、遺憾ながら3対3のまま、なお議決することができませぬ。しかも事態は一刻の遷延も許さないのであります。この上は、まことに異例で畏(おそ)れ多いことでございまするが、ご聖断を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたいと存じます」

「総理、約束が違うではありませんか」

 一瞬、緊張のざわめきが起った。陸海軍首脳には不意打ちであった。

 首相に乞われて、天皇は身体を前に乗りだすような格好で、静かに語りだした。

「それならば私の意見をいおう。私は外務大臣の意見に同意である」

 一瞬、死のような沈黙がきた。天皇は腹の底からしぼり出すような声でつづけた。

「空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、世界人類の不幸を招くのは、私の欲していないところである。私の任務は祖先からうけついだ日本という国を子孫につたえることである。いまとなっては、ひとりでも多くの国民に生き残っていてもらって、その人たちに将来ふたたび起ちあがってもらうほか道はない。

 もちろん、忠勇なる軍隊を武装解除し、また、昨日まで忠勤をはげんでくれたものを戦争犯罪人として処罰するのは、情において忍び難いものがある。しかし、今日は忍び難きを忍ばねばならぬときと思う。明治天皇の三国干渉の際のお心持をしのび奉り、私は涙をのんで外相案に賛成する」

 降伏は決定された。8月10日午前2時30分をすぎていた。その夜はかがやかしい月が中天にかかり、宮城の庭の老松の葉影が一本ずつ数えうるほど明るかった。そして夜明けを告げる鶏鳴が聞かれた。この夜は空襲がまったくなかった。

 地下道を出て、玄関の車寄せまで首相がきたとき、うしろから階段を昇ってきた陸軍軍務局長吉積正雄(よしづみまさお)中将が、つかつかとその前に立ちふさがると、

「総理、約束が違うではありませんか。今日の結論でよろしいですかッ」

 と嚙みつくようにいって、詰めよった。首相は温顔でにこにこしていたが、何も応えなかった。ふっと阿南陸相のしまった体軀があいだに入った。陸相は自分の身体を張って、吉積の強烈な意志を防いだ。

「オレはこの内閣で辞職なんかせんよ」

「吉積、もういい」

 と、陸相は軍務局長の肩を何度もたたいた。

 軍務局長の痛憤には理由がないわけではなかった。御前会議をひらくときは事前に了解をとる、また、本日は結論はださぬと、迫水書記官長にいわせておきながら、首相みずからぬけぬけと聖断を仰ぐという畏れ多いことをしたのである。陸軍をこけにしたともいえるのである。

 御前会議ののち、ただちに閣議が再開された。細かい議論はあったが、閣議は御前会議の決定をそのまま採択した。席上、阿南陸相は鈴木首相にたいし、「敵が天皇の大権をハッキリみとめることを確認しえないときは、戦争を継続するか」とたずねた。首相は「もちろん」と答えた。陸相は米内海相にもおなじ質問をしたが、海相もまた戦争継続に同意した。午前4時近く、全閣僚は必要な文書に花押して閣議は散会した。阿南陸相も躊躇なく花押した。東郷外相の頭は心労のため、真ッ白に変じていた。

 陸軍出身の安井藤治(やすいとうじ)国務相が、士官学校同期の陸相の心情と立場を思いやって、人影のないところで、ざっくばらんに聞いた。

「阿南、ずいぶん苦しかろう。陸軍大臣として君みたいに苦労する人はほかにないな」

「けれども安井、オレはこの内閣で辞職なんかせんよ。どうも国を救うのは鈴木内閣だと思う。だからオレは、最後の最後まで、鈴木総理と事を共にしていく」

 と阿南陸相はしっかりといった。

(半藤 一利/文春文庫)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング